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 私立京理学園中等部、学生寄宿施設麻宮寮。
 中等部本校舎に隣接するその施設は、その面積の半分を木造3階建ての建物で占められており、ここには中等部の学生が全員、寝泊まりしている。京理学園は女子校であり、故に寮内にいる人間も全員女子である。高等部の校舎はすぐ隣にあり、離れた場所に寮もあるが、高等部は強制ではない。
 それはともかく、この施設の面積の残り半分には広く芝が植えられ、幅1メートルほどのアスファルトの道が敷地内を一周していた。その端々には樹木が生い茂っており、まるで公園のようになっている。
 学校と共にこの寮も年季が入っていて、建物は木造で、節々で生じる支障には少なからずの苦情は上がっているが、この贅沢な環境と、この景観を損なわない佇まいに納得してしまう生徒も数少なくなかった。

 その日。
 202号室の住人の一人である萩原絹枝は怒りに耐え切れなくなり、むくり、とベッドから起き出した。その際、横目で時計を確認する。
 朝、6時。
 線対称に部屋を独占する同居人が、今は不在なのは分かっている。
 分かっているからこそ、絹枝は怒りを湛えたまま、勢い良く窓を開けたのだ。
「らーんっ!」
 運動部仕込みの大声で、絹枝は窓のすぐ下の通りに向かって叫んだ。
 群緑の景観の中に、その声はよく響いた。
 窓の下。芝庭の中を通る道の一端に。
 そこには、朝も早くから一人の女子生徒が立っていた。
 ショートパンツにローラーブレードを履いて、膝と手首にサポーターを付けている。もうこの通りを何周したのだろうか、汗を掻き呼吸を弾ませていた。
 それからいつも通り、写真部の彼女は首からカメラを下げていた。
 絹枝の声に気付くと、川口蘭は絹枝を見上げ、両手を上げて全開の笑顔を見せた。
「おっはよー、萩ちゃん。今日もいー天気ー」
 一方、絹枝は不機嫌さを露にし、蘭に声をぶつけた。
「蘭っ、朝っぱらからローラーの音、響かせるのやめてよっ。昨日は皆、夜更かししてるんだから静かに寝かせて」
「どうしてー? 就寝時間は11時だよー」
 と、蘭はとぼけた声を返す。いや、とぼけた声でも本人はいたって本気だ。確かに蘭は、昨夜、11時前に床に就いていた。川口蘭と同室の絹枝はそれを証明できる。しかしそれに故に、絹枝はひくっと口元を歪ませた。
「今日から期末考査じゃーっ!」



 この学園は開校が明治で、歴史と伝統と風格というものがある。が、特別それらが重んじられているわけではない。
 近隣に名門の名を轟かせている一方、帰国子女や外国人留学生を多く受け入れることでも有名で、そのあたりの、理事長の柔軟な考え方も評価されていた。時代とともに校則も改変され、昔の重苦しさは残っていない。けれど、中等部が全寮制であることや、入学金など金銭面において保護者にかなりの負担が掛かることを考えれば、この学校が「お嬢様学校」であることに変わりはなかった。
「萩原ー、朝のやつ、あんたの声のほうが大きいって」
「あははっ、言えてるー」
 朝の食堂はいつも以上に混雑していた。テスト中は、部活の早朝練習や補習が無いので、全員が同じ時間になるからだ。
 朝食を乗せたトレイを持った隣室2人組が絹枝と蘭の隣に座った。蘭の向かいには絹枝が座っている。
「おはよー、マリちゃん、ケイちゃん」
「おはよ、蘭」
 パチンと箸を割って、サラダに手を付けてから、マリは絹枝に言った。
「蘭には何言っても無駄でしょ」
「あんた達がそうやって甘やかすからだよ。一人くらいはっきり言わなきゃ」
「私は別に構わないな。蘭も絹枝も、いい目覚ましになるもの」
「マリ〜」
 蘭を無視して展開されるそんな会話に、さすがに蘭は頬を脹らませて意見した。
「でも萩ちゃん、朝早くって言うけど、6時なんて皆起きてる時間じゃない?」
「蘭〜っ、勘弁してよ、もぉ」
 と、泣きそうな声で言ったのはケイだった。
「今ってテスト中だよ? 皆、夜遅いんだから、そんな時間に起きてる人なんていないよ」
「え? そういうものなのかなぁ」
「そういうもんなのっ!」
 それを聞いていたマリは苦笑しながら言った。
「そういえば、蘭ってあんまり勉強してないよね」
「え? ちゃんと授業聞いてるよ? あたし」
「マリが言ってるのは授業以外でってことさ。…そうだね、蘭って寮ではあんまり勉強してないかな」
 と、絹枝。同室の誼で、この証言は正確さを保証している。
「あたし、できるだけ勉強に…というか、学校のことに時間を取られないようにしてるの。そのぶん、授業中、真剣に聞いてるっていうのは、ある、かな」
「そういえば蘭って、放課後はすぐ消えるし、土日もよく出かけてるよね」
「学生の本分は勉強だあっ」
「でも蘭って、成績良いよ。授業聞いてるだけで、そんなにできるもん?」
 そう尋ねられて、蘭は頷いた。
「暗記系は得意だよ。それに、あたしの場合、英語は勉強する必要ないし」
「あぅ、そっか」
「留学生の強みかぁ」
「でもそのかわり、古文・漢文・現国は苦手」
「古文・漢文なんて、日本人でも苦手だよぉっ」
 ケイの嘆き声に、一同は笑った。
「まあ、ね。でももう3月だし、これが終われば晴れて高等部。寮と学校の往復だけなんていう空しい生活も終わるし、部活も派手になるし、校舎もキレイだし、修学旅行も海外だし…って、あは、蘭には海外は関係ないか」
 ね? と、同意を求められた蘭は、しかし返事を返すことができなかった。
 気まずそうに視線を逸らし、笑みをしまいこんだ蘭。
「蘭?」
「あのねっ」
 気まずそうな顔のまま、蘭は顔を上げた。
「あたし、高校は、外、出るの」
 蘭は小さく、できるだけさり気なく、その言葉を口にしたが、やはり友人たちはそれを流してはくれなかった。
 え? と。3人とも、蘭に視線を集めた。辛いけど、蘭はそれを受け止めるしかなかった。
「…え?」
「嘘っ、なんでっ? なにそれっ」
「聞いてないよ蘭っ」
 3人はそれぞれ立ち上がった。
 蘭はそれらの視線を受け、茶化さずに、真正面に言った。
「…ごめんなさい。何か、言い難くて。推薦受けて、内定ももう貰ってるの」
「ごめんなさいじゃないよっ、それどころじゃないっ」
 マリとケイが騒ぐなか、
「蘭…」
 絹枝が静かに言う。
「───どうして、黙ってたの?」
「萩ちゃん…」
 そのとき。
「えーっ、蘭先輩卒業しちゃうのぉっ?」
「うそぉ、なにそれっ!」
 一気に人が集まり、蘭は絹枝と喋るどころじゃなくなった。
 朝の食堂の風景はいつもと一味違い、ちょっとした騒動になった。

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