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「失礼しまーす」
 期末考査初日が終わり、蘭は昼過ぎに写真部の部室を訪れた。
 テスト期間中は部活動は基本的に停止になるが、今日、蘭が足を運んだのは同じ部の同級生から言伝をもらったからだ。
 この学校では部活動は中等部高等部合同で行われているので、たとえ蘭が3年生だとしても部内にはまだ先輩がいる。
「加也先輩、お呼びですか?」
 部室内は静まり返っていた。証明もついてないし、人気もない。蘭は首を傾げて、もう一歩前に出た。すると。
「川口ー? ごめん、ちょっと待ってて」
 くぐもった声が遠くで聞こえた。
 蘭はすぐにぴんときて、室内に入り、両手でドアを締め、部屋の奥を覗き込む。奥にはもう一つの部屋へ続く扉があって、「暗室」というプレートが掛かっている。さらにその下には「使用中! 開けんじゃねーっ」という紙が貼ってあった。
 部内では暗室作業をする際、使用中を意味する言葉と、入室を禁止する言葉を書いた紙を貼っておく習慣がある。表現は人それぞれ。
 蘭は張り紙を見て了解し、大きめの声を出して返した。
「暗室ですか? ではこちらで待ってまーす」
 蘭は室内を見渡し、奥の壁に貼ってある先輩たちの写真を見つけた。それらはピン一つで留まっているものもあれば、様々なサイズのパネルに仕上がっているものもある。それらはみんな、部員が撮影し、現像したものだ。
 写真の感動は、「現実の美しさ」と、それから「歴史」にあると思う。
 校内の長い廊下や噴水、部員の食事風景、皆がおどけているものもあり、何となく微笑ましい。ただ、それらの中に蘭の姿はなかった。
 がちゃり、と、ドアが開く音と共に、背後から声がかかった。
「お待たせ」
「お疲れ様です」
 部内では暗室作業を終わらせた者に、「お疲れ様」と声をかける習慣がある。
 加也は高等部の2年生で、この部の副部長を努めている。さばさばした性格で「かっこいい」という形容が似合うこともあり後輩からのウケも良かった。
 暗室からハンカチで手を拭きながら出てきて、室内を横切り、椅子の上に置いてあった荷物に手を出した。
「川口、外、出るんだってね」
 荷物を漁りながら、何気に言う。蘭は苦笑した。
「もう、伝わっちゃいました?」
「あんた人気者だもん。中等部の連中、大騒ぎよ」
「それは、…。光栄ですね」
 実際、びっくりしていた。朝、中等部の寮での蘭のちょっとした発言が、校舎が違う高等部の先輩まで伝わっているなんて。
「結局、最後まで現像覚えなかったね。その前に、川口はほとんど幽霊だったし」
 幽霊とは、もちろん幽霊部員のことだ。確かに、蘭は入部してから数えるほどしかここへ来たことはなかった。蘭は現像技術を覚えるどころか、暗室にも入ったことがない。
「すみませぇん」
「責めてるんじゃないって。現在を未来に遺そうって思うヤツは、ここにいる資格あるよ」
 そう言うと、加也はぴらり、と鞄の中から取り出したものを蘭に差し出した。
「はい。これ。私からの餞」
「?」
 それはどうやらチケットのようだ。2枚ある。
「なんですか?」
「上野で新見賢三の写真展あるよ。川口、好きだったよね」
「えーっ!! だって、このヒト、そういう表だったことしなかったのに…」
「好きなら雑誌くらいチェックしな」
 新見賢三は蘭のお気に入りの写真家である。風景写真───特に、都会の街中の風景が多い。あまり派手な活動はなく、賞への出展で見かけるくらいで、この間やっと写真集が出版されたばかりだ。歳は20代半ばとあったが、きっと、澄んで落ち着いた眼を持つ人なのだろう。と、蘭は思っている。
「え? ええぇ? いただいていいんですかっ? 加也先輩っ」
「私はそういう街中写真は趣味じゃないから。あげる」
 蘭は破顔してチケットを胸に抱き締めた。
「ありがとうございますっ」
 思いっきり頭を下げてから、蘭は、「あ」と思い出した。
「加也先輩の趣味は確か白旗志郎ですよね」
「そ。登山写真」
 こちらは著名な、山をテーマに撮る写真家である。この手の写真を撮るのは写真家であると同時に登山家である場合が多い。
「川口が何を目指してるかは知らないけど、ま、がんばんな」
 加也はもしかしたら、幽霊部員だった川口蘭を、少しでも気に入ってくれていたのかもしれない。
 蘭は最後に加也と握手を交わして、部室を後にした。




 一年前───。
 三高祥子(当時17歳)は放課後A.CO.の事務所へと向かう途中だった。
 A.CO.所長・阿達史緒と契約させられてから約一ヶ月。
 生まれてこの方ここまで嫌悪を抱いたことがあるだろうかと思うほどの人間だ。他のメンバーとも、人付き合いに慣れてないせいで会話にイチイチ疲労を感じずにはいられない祥子は、事務所が見えるところまで来ても、重い足を中々振り切れなかった。いつものことだけど。
 阿達史緒は一ヶ月付き合っても良いところなど見えてこないくらいの性悪。島田三佳は意外な分野に知識があることには驚いたけど喋る言葉にはいちいち刺があるし。七瀬司は人の良さそうな顔して実は意地が悪い、人の心内を読むし、苦手だ。関谷篤志はあのメンバーの中では比較的まともで普通に話せるけど、史緒に依存しすぎてる感があるかな、と祥子は思っている。
(やめようかなー…)
 既に何百回何千回と繰り返した溜め息を、ここでまた、一回。
 そんなにメンバーの悪態を列ねても、また、ここへ足を向けてしまう自分は何だろう。
 と、こんなことを考えるのもいい加減何百回目なので、祥子はまた溜め息をついた。
「あのぉ、ちょっと失礼します」
 背後から呼びかけられ、はい、と祥子は振り返った。
 そこには中学生くらいの女の子が立っていた。髪を両耳の上でおだんごにして、花柄のワンピース。何よりその笑顔が目を惹いた。内心の高揚感がそのまま溢れ出ているような、真っ直ぐ、素直な表情。祥子は一瞬見惚れた。
「道をお尋ねしたいんですけど、よろしいですか?」
「あ…、ええ」
「良かった〜。これ…住所は分かるんですけど」
 と、助かったぁという表情を正直に表に出して、少女は一枚の紙片を差し出した。
「地図、送ってくれないんですもん。たどり着けるはずないですよねっ」
 次に怒った顔を見せる。この住所を教えてくれた人物に当てているつもりだろうが、全く関係の無い祥子の前でころころと表情が動くのを、何となく微笑ましく思った。
「───?」
 祥子は少女の差し出したメモを見て、目を見張った。
 二行に分けて書かれている住所は、最近やっと、祥子が暗記したものだった。
 それはA.CO.の住所だった。
(何だってこんな子が、あんな所に…)
 祥子は目の前に立つ少女の顔を見る。
「?」
 その視線を受けて、少女は笑った。
「ここ、知ってるわ」
「えっ、本当ですか? 良かったぁ」
「依頼か何か?」
「え?」
 少女はきょとんとした。そして
「…あっ、そっか。お仕事の事務所なんですよね」
 何だと思っていたのだろう。
 少女は姿勢を正して言った。
「いえ、あたしは昔からの友達に会いに行くんです」
 にっこりと、笑ってた。
 祥子は少女の人格を尊重せずに思いっきり訊き返してしまった。
「はぁ?」
「ええ。ですから友達に」
「え…、だって。…え? 友達?」
 祥子は自分が混乱していることに気付く。少女は清々しい程の笑顔を見せてくれている。
 しかし。
「…え? …友達って───…誰の?」
「?」
 祥子の言葉の意味が分からなかったのか(そりゃ分からないだろ)、少女は笑顔のまま、首を傾げていた。

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