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 10分程で流花との電話を終わらせ、蘭が部屋に帰ると絹枝はもう寝ていた。
 壁側に体を倒し、毛布を巻き込むようにして。
 部屋の明りは点いたままだった。蘭に気を遣ってくれたのだろう。
「萩ちゃん…?」
 反応は無かった。
 ありがと、蘭の本音、聞かせてくれて。
 そう、絹枝は言った。
(こっちこそ、ありがとうだよ)
 本音を、聞いてくれて。
 ───あたしは皆が思ってるほど、強くはないよ。ひとつ以上の自分の場所で、うまく立ち回ることができないんだもん。
 蘭は苦笑した。でも、泣きたくなった。
 A.CO.と同じく、学校だって自分が選んだ場所のはずなのに。
(蘭にとって、私たちとの学校生活って、あんまり重要じゃないみたい)
 重要だよ。優しい友達がいっぱいいるもの。
 でも、そんな風に思わせてしまうほど、自分はうまく立ち回れなかった。
 ひとつ以上の場所にいられないなら、ひとつに絞ればいい。ひとつ以外を捨てればいい。
 蘭にとってその「ひとつ」は悩む必要も無く明らかで、そう、阿達史緒がいる場所だ。
 それが分かっているのに、それでも、学校生活を捨てることができなかった。
 ひとつ以上の場所で生活していたのに、努力が足りなかったのだ。
 蘭は絹枝の寝顔を覗き込んだ。目を閉じて、微かな呼吸が聞こえる。
(…)
 ありがとう。叱ってくれて。気付かずに済ませたくなかった事実に、気付かせてくれて。
 蘭は上半身を屈めて、絹枝の頬に、キスした。すると。
「ぎゃーっ!」
 がばっ、と。絹枝は悲鳴を上げて飛び起きた。
 ありゃ、と蘭は合わせて視線を上げる。
 絹枝は頬に手を当てて、顔を赤くして、ふるふると震えていた。
「な…、何すんだ、蘭っ」
「あははっ、あれ、起きてたのぉ?」
 わざとらしい蘭の台詞に、絹枝はもう片方の手で拳を握り締めた。
「おまえとゆー奴は…っ」
 毛布を剥いで、戦闘態勢にはいる。
「蘭っ!」
「あははっ」
 蘭は部屋の中を器用に逃げ回った。
「おやすみのキスでーす」





 突き抜けるように青い青い空の、暖かい日だった。
「蘭。もしかして、不機嫌?」
 4月。
 タクシーで現地につくと、蘭は目ざとく関谷篤志と七瀬司の姿を見付け、法事の参集までの余った時間、竹林の木陰で雑談をしていた。
 黒服ばかり着た人間が集まる場所など、何度来ても慣れるはずがない。そのせいで蘭はいつもより無口になっていたけれど、司に指摘された事実にはそれ以外の理由もあった。
「はい」
 と、素直に答える。
 篤志と司は黒いスーツを着ていて、蘭もボレロつきの黒いワンピースを着ている。このような場所で不謹慎かもしれないが蘭はしっかりと篤志の隣をキープしていた。
「蘭でも不機嫌なことってあるんだな」
 その篤志の発言にも、蘭は多少むっとした。いつもならあまり気にしなかっただろうが、今は司に指摘された通り、自分が不機嫌になっているせいだろう。
 その理由を、蘭は口にする。
「だって流花ちゃんたら、こっちに来るって言って、結局ダメになったの、これで2度目ですよ? 会えるの楽しみにしてたのに。偶に帰っても、いつもどこか飛び回ってるし、もぉ」
 当日になってのドタキャンに、文句を言うこともできなくて、蘭は無口で、不機嫌になっていた。(法事という席にやっぱり不謹慎かもしれないが)久しぶりに会えるのを、本当に本当に、楽しみにしていたのだ。
「流花…って、確か2番目の?」
 篤志は小声で、司に訊いた。司は頷いて、
「そう。僕の先生でもある」
 と、答えた。次に司は宥めるように蘭に言った。
「でも、まぁ。流花さん、仕事忙しいし」
「お仕事が忙しいのは分かってます! …でも、もぉ半年近く会ってないんですよぉ。───淋しいんです。あたし」
 微かに声を震わせ、蘭はうつむいた。
 すると、こん、と頭を叩かれた。
 顔を上げると、今度はぽんぽんと軽く叩かれた。
「向こうも淋しいんだ。お互い様だろ」
 篤志だった。
「待ち人が来なかったからって文句言うな。蘭のほうから、会いに行ってもいいだろ?」
「篤志さあぁあんっ」
「うわっ。───おまえ、その抱き付きグセどうにかしろっ」
 やっぱり好きだなぁと思う。
 大好き。泣きたいくらい、好き。
 その優しさも厳しさも。一途さも。
(あたし、篤志さんに惚れましたっ!)
 一目惚れも嘘じゃない。だって、あたしは、本当に一目で分かったもの。
 出会えた。愛しいと思える存在に。
 世界で一番、好き。


「あ、それは嘘。俺もそれくらいは分かるよ」
 と。以前、篤志は蘭の何百回目かの告白(?)をあっさりと否定したことがあった。
「篤志さん?」
 蘭としては、毎回真剣な告白(?)を簡単に否定されたものだから、怒るより先にびっくりした。
「ど、どうして嘘なんて思うんですかっ」
 蘭が詰寄ると、篤志は5秒程悩んでから、
「じゃあ、もし。史緒と俺が同時にいなくなったら、蘭はどっちを捜す?」
 と、切り返した。
「え?」
 ここで史緒の名前が出てくるとは思わなかった。蘭が呆けてる間に、篤志は続きを口にした。
「史緒だろ」
 篤志は静かに笑った。
 蘭は目を丸くした。
(史緒さん───?)
 蘭は篤志に否定されたことより、篤志からそんな風に史緒の名前が出てきたことに驚いていた。
 胸から込み上げる喜びがあった。口元が自然に緩んでしまう。
 だって、そんな風に思われてたなんて。
 篤志が蘭を理解している証拠だ。
 すごくすごく嬉しくなって、浮かれてしまうのを隠すために、蘭はわざと高い声を出した。
「それって焼もちですか、篤志さんっ」
「違うっ」
 篤志の手を離れて、蘭は一度自分を落ち着かせた。ゆっくりと息を吸い、篤志に微笑んだ。
「───だめですよ、篤志さん。そんな喩じゃ、私の気持ちを否定できません」


「あたしは篤志さんを捜します。───でも、史緒さんも捜すと思う。だって、篤志さんも史緒さんを捜すはずですから」
「?」
 史緒と篤志が居なくなるなんて、そんなこと考えたくない。
 でももし、本当にそんなことが起きたら、きっとじっとしていられない。捜さなきゃいけない。そんな逸る気持ちが、きっとあたしを駆り立てる。
 そう。あの時のように。
「…もしあたしが史緒さんを先に見つけたら、あたしは史緒さんの近くに居ながら、篤志さんを捜します。篤志さんが戻る場所は、そこなんですから、離れてしまったら意味ないですもの。…ねぇ、逆にあたしが篤志さんを先に見つけたら───…一緒に史緒さんを捜しに行きましょう?」
 篤志は蘭を見つめ、黙り込んでしまった。蘭の言葉の意味を理解したようだった。
 蘭は目を細めて笑う。
「あたし達2人とも、史緒さんのこと好きなんですよ。だから史緒さんを抜きにして、あたし達2人の関係を語ることはできないんです。そうでしょう?」


*  *  *


 あまり気持ちの良くない声が、小さく聞こえてくるのはしょうがないのかもしれない。
 今日の、この顔合わせでは。
(───誰だ? あそこで騒いでるガキ共は)
 どこからか聞こえてくる、噂話。場にそぐわない若人3人に好奇心を抱いた者がいるのだろう。
(知らんのか? あの背の高いのが関谷篤志。社長の跡取り第一候補だ)
(親戚というだけで社長令嬢の婚約者に収まった若造か)
(隣にいるのは蓮家の末娘。…日本に来ているというのは本当だったんだな)
(蓮家はアダチと違い、子供が多い割に、いざこざも無くすんなりと跡取りが決まったそうじゃないか。皮肉なものだ)
(もう一人…。あれは七瀬…司、だな)
(七瀬…っ? 8年前の事件の…あの子供か、あんなに大きくなったか)
 アダチのトップである阿達政徳のかつての妻・阿達咲子の法事とあればアダチの幹部が来ているのはごく当然のことと言える。それに、今日ここに集まっている人間は50人近くいる。その中に噂好きの人間がいても不思議ではないだろう。
 篤志と蘭と司はそれを聞いていた。
 3人3様であるが、面白くないのは3人同じだ。
「おい、放っておけ」
「何で僕に言うの、篤志」
 司の問いに篤志は答えなかったが、ああいう連中に皮肉の一つでも返しそうな気性を持っているから、篤志は司を止めたのだ。
 司は昔のこと…特に8年前のことを、赤の他人に言われるのが何より嫌いだ。
 篤志が司や史緒と出会ったのは、つい4年前のこと。8年前の事件を直接知っているわけではないが、一条和成から一通りのことは聞かされていた。司や史緒はそれについて口にすることは一度もなかった。
「そうだっ」
 と、突然、蘭が叫んだ。
「あたしと篤志さんが結婚すればいいと思いませんっ? ウチとアダチがくっつけばすごいニュースじゃないですかぁ」
 篤志は手を額に添えて呆れたようで、司は一瞬の間のあと笑い出した。
「蘭…。篤志だけじゃアダチは関係ないよ」
 そういう問題か? と篤志が突っ込む。蘭はそれでもめげずに、
「あ、そっか。じゃあ、史緒さんもいれて3人で結婚しましょおっ! すごく良いアイディアじゃないですか!」
「…あのな」
 蘭は両手を胸の前で組み、飛び跳ねている。本当に、良いアイディアと思っているあたり、ある意味では大物と言えるかもしれない。
「それから祥子さんとぉ、健さんとぉ、もちろん司さんもっ! そうすると三佳さんもですよねっ」
 そんな風にはしゃいでいる蘭を見て、司も先程の噂話への憤りも忘れることができた。
 篤志は、はぁ、と息をついて、首の後ろをがりがりと掻く。そして呆れたような声で。
「…それって、いつものメンバーが集まっただけだろ」
「そうとも言いまーす」
 両手を広げて大きな声で、蘭は思いきり笑った。

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