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 麻宮寮202号室。
「ただいま帰りましたー」
 蘭は自分の部屋へ戻るとき、いつもこう言う。
 月曜館で祥子と別れた後、A.CO.の事務所で史緒と世間話をして、それでも門限までには時間があったので本屋やコンビニに寄ったりして帰ってきた。
「───萩ちゃん?」
 同室の絹枝が、ベッドの上で枕を抱き、蘭を睨み付けていた。じとっ、と迫力ある視線に、蘭はぎこちなく笑いつつもたじろいだ。
「萩…」
「蘭。私、朝のことまだ怒ってるんだからね」
「…」
 どうして黙ってたの?
 そう。一際低い声で言ったのは絹枝だった。
(…───)
 分かっていた。絹枝がこんな風に、問い詰めてくること。
 それから避けるために、門限ギリギリまで帰ってこなかったのも事実だ。
 自分がここから去ること、それを黙っていたこと。自分が悪いのはよく分かってる。それだけじゃない。
 絹枝の思いも、蘭は分かっているつもりだ。
 真顔になって、頭を下げた。
「───ごめんなさい。萩ちゃん」
「やめてよ、そんな風に謝るのっ。簡単に許したくないんだからっ」
 絹枝の声は大きくはなかったが、千切れそうな悲痛さが伝わって、蘭は背後のドアに背を預けた。
 蘭は一度浅く呼吸をしてから、笑った。
「…やだ、萩ちゃん。そんなに怒らないでよ、卒業するって言っても、あたしは都内在住だよ? すぐに会えるじゃない」
「そんな風に笑うのもやめてっ!」
「…っ」
 蘭は反射的に口元に手を当てた。確かに笑っていた。自然に───無意識に。
「蘭は、いつも笑ってて、勉強も運動もできて、皆と仲良くて…。後輩からも慕われてて、相談に乗ってくれたりするけど、…でも蘭自身が、何かを相談してくれたってこと、ある? 悩みを打ち明けてくれたりしたことってある? 何か…───」
 絹枝は震える声を押し留めようと、一度、深呼吸した。
「何か、蘭にとって、私たちとの学校生活って、あんまり重要じゃないみたい。放課後はすぐ帰っちゃうし、土日も付き合い悪いし、外の…サークルみたいなのに入ってるって聞いたけど、こっちの生活よりそんなに大事なのっ?」
 蘭は咄嗟に目をつむった。
 答えにくいことを尋問されたからじゃない。痛かったから。
 そんな風に友達を責めること、責めるほうも辛いことを、蘭は知っている。
 絹枝にそんな風に言わせてしまったことに、ものすごく罪悪感を感じた。
「ねぇ、萩ちゃん。…どっちが大切かって訊かれたら、外のほうが大切って答えることしかあたしはできない。そう答えることに後ろめたさもないし、弁解もしないわ」
 まっすぐ絹枝を見つめ、蘭は言う。
「───でも勘違いしないで欲しいの。あたし、萩ちゃんのこと好きだよ? …好きなものが沢山あるの。大好きな人たちがたくさんいるの。たくさんの人たちがあたしのことを愛してくれてることも知ってる。だから、あたしはいつも笑っていられるの。自分は幸せだって知ってるから、あたしは笑うことができるの」
 たくさんの人たちがあたしを支えてくれている。それを自覚している。
 それに感謝している。
 それはあたしの、限りないちからとなる。
「でもそれらすべてと、常に一緒に居られるわけじゃない。…切り捨てるんじゃないわ。あたしは選ぶことしかできない。いつもいつも、あたしは選び続けてるの」
 ぴんぽーん。
「…っ」
 館内放送の合図だ。完全に不意を突かれて、蘭と絹枝は驚いた。
『202号室の川口さん。電話が入ってます。至急、管理室横まで来て下さい』
 事務のおばさんの声が高く響く。
 2人はしばらく見つめ合っていた。お互いの出方を探るように。
 絹枝は表情の無い表情で、蘭に視線を固定させていた。
 蘭は沈黙が辛くなって、軽く息をついた。 
「話の途中にごめんなさい。…行ってくる」
 すると絹枝が言う。
「───いいよっ、この話題はもうやめよ?」
「萩ちゃん?」
「…ははっ、ごめん。私、機嫌悪かったみたい…蘭に喧嘩売ったりして。本当に、ごめん」
 絹枝はわざとらしく笑った。蘭は首を激しく振る。
「そんなこと…っ」
「いいの。蘭は蘭のやりたい事の為に卒業するのに、私がとやかく言えるわけないし。…まぁ、それを今日まで黙ってたっていうのは、やっぱりムカつくけどね」
 ふーっ、と大きな溜め息をつく。
「外のサークルで何やってるか知らないけど、私は蘭を応援することしかできないもん」
「萩ちゃん…」
「ほーら。早く行きなよ、電話の人、怒っちゃうよ」
「あ…うん」
「───ありがと。蘭の本音、聞かせてくれて」



「もしもし、川口です」
「なぁに? 折角、この私が電話してるのに、元気無いじゃない」
「───流花ちゃんっ!?」
 蘭は飛び上がった。思いもよらない人物からの電話に驚いて、何故だろう、涙が滲んだ。
 沈んでいた気持ちが一気に浮上した。いつも以上にテンションが高くなる。
「やだっ、久しぶりぃっ。本当に久しぶりじゃない〜っ。元気? 今、どこぉ?」
「実家よ。戻って来てるの」
「旦那様は?」
「今回は留守番させてる。…こっちは元気よ。そっちは?」
「何言ってるのぉ、元気だよぉ〜っ」
「史緒に苛められてたりしてない?」
「あははっ。史緒さんはそんなことしないもん」
「分からないわよ、あいつ、意地悪いし」
「もー、流花ちゃんてば」
「そうそう。来月、だったかしら? 史緒ん家の法事あったでしょう? 数年ぶりに顔、出そうかと思って」
「えっ、じゃあ、こっちに来るの?」
「ええ」
「お仕事忙しいんじゃない?」
「時間取れそうなの。…それに」
 久しぶりに私の教え子にも会いたいしね。…流花はそう、付け足した。


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