キ/GM/11-20/20
≪4/6≫
再び、一年前───。
扉を開けるなり、少女は祥子が(まさか…)と思っていた疑惑を証明する言葉を口にした。
「史緒さーん。こんにちはっ」
両手を大きく広げ大声で挨拶した。少女の背後にいた祥子は目を丸くする。
(史緒の、…友達っ?)
信じ難いことだった。絶対に釣り合わない。どういう友達?
祥子は心の中で、自分がこんなにも動揺していることの理由付けを必死で考えるが、的を射た理由は出てこなかった。
ただ、何に動揺したのかは分かる。少女が史緒の友達ということもそうだが、それより、少女の口から、親しみを込めて史緒の名前が出たことにだ。
この動揺の理由は分からない。分からない、が。
(…くやしいとか、思ってないよね?)
それはすぐに打ち消した。その思い付きを取り上げて考えるのは、怖い。
一方、室内にいた阿達史緒は、少女の登場に軽く視線を上げただけだった。
「よくここまで来れたわね、篤志を迎えに行かせようと思ってたのに」
とんとん、と書類をまとめながら言う。
「そんな嬉しいこと考えてたなら教えてくださいよぉ。遠慮なく電話したのにな。…あ、こちらの方に、道を教えていただいたんです。本当にありがとうございましたっ」
祥子は突然話題を振られてびっくりした。
「偶然ね」
史緒は少女の後ろに祥子が来ているのに気付いていたので驚くことはしない。それより少女のほうが驚いているようだった。史緒と祥子の顔を見比べて言う。
「え? お知り合いなんですか?」
「───え? 蘭、来てるの?」
祥子の背後───廊下から、七瀬司が現われた。隣の部屋から出て来たところのようだ。
「わぁ。司さん、こんにちはっ」
少女(蘭、と呼ばれた)は、ぴょんと跳ねるように司に駆け寄る。
「思ったより早かったね。史緒に呼ばれたんだろ?」
「えへへ。およばれしました」
「司ー、ドア開けてくれー」
この声は関谷篤志だ。隣の部屋の中にいるらしい。
「ちょっと待っててー」
司が方向を変え、ドアのほうへ歩こうとしたとき、蘭は小声でそれを制した。それだけで司は蘭の意図を察し、足を止め、背を壁に預け口元に笑みを浮かべた。成り行きを楽しむ体勢だ。
蘭はそろりと足を忍ばせて廊下を進む。隣の部屋の前まで辿り着くと、そっと、ドアノブに手を添えた。
そっと息を吐く。そして吸う。蘭はにやっと笑い、ノブを回した。
ガチャリ。
「篤志さあぁぁぁん、お久しぶりでーっす」
「え? あ? …うわっ」
バサバサバサと篤志は両手に持っていた書類をぶちまけてしまった。蘭が体当たりのごとく抱きついたのも、原因の一つである。その衝撃がもろに腹に入り、篤志がぐはっと声を洩らした。
「…蘭っ? おまえどうしてここにっ」
「あれ、史緒さんから聞いてません?」
「聞いてないっ! 史緒っ」
蘭の腕を振りほどきながら、篤志は史緒の名を叫んだ。史緒は廊下に首を出した。
「ちゃんと言ったじゃない。一人増えるよって」
「それだけでわかるかっ」
「司は分かってたよね?」
「まあね」
含み笑いをする2人。しかし意図的に固有名詞を出さなかったことは明白だ。こういう結果を面白がる為に。
(…この子が来たことで雰囲気が変わった)
突然の新顔、「蘭」の登場に一番驚いているのは三高祥子だった。自分より年下と思われる、破天荒で掛け値なしに明るい少女。
ここにいる人達とは無縁かと思われるタイプなのに。
それに、蘭は史緒だけでなく、司と篤志の「友達」でもあるのだろう。もしかしたら島田三佳のことも知っているかもしれない。
「蘭」
祥子の不信の目に気づき、史緒は蘭を手招きした。すると蘭はするりと篤志から離れ、史緒のもとへと駆け寄った。
史緒は祥子に言った。
「今日からメンバーになるから。紹介するわ…」
史緒の言葉を踏んで、少女は自己紹介をする。
「川口蘭、今年15歳でーす。よろしく、祥子さん」
かわぐちらん。それが少女の名前だ。何の躊躇も警戒もない笑顔を、祥子にも向けてくる。
蘭は手を差出し握手を求めた。
「…」
祥子はかなり躊躇したが、蘭のその手に、触れた。
(この子…)
祥子は思わず蘭の顔を見た。蘭は真っすぐ目を合わせてにっこりと笑った。
「田舎から出て来たばっかりで、こちらの勝手がよく分かりません。もしかしたらご迷惑おかけするかもしれないですけど、宜しくお願いしますっ」
祥子はその明るい勢いに圧され、握手を終えた手を引っ込めた。
───蘭のその台詞には明らかな嘘があることを、祥子以外の全員は気が付いた。(嘘、ではないかもしれない。彼女の家の所在地は確かに都会ではないので)史緒以外には予期しない嘘だったが、誰も何も言わなかった。もし、三佳がここにいたら、三佳もその嘘に気付いただろうし、そして同じく何も言わなかっただろう。
蘭は突然、辺りを見渡してから、
「今日三佳さんいないんですねー。残念」
と、残念そうに、言う。
「アルバイトに行ってる。明日は来るよ」
口を尖らせた蘭に司が答える。くるくると表情が変わる蘭は、次に先程散乱させた書類をそろえている篤志に近付いた。
「あ、手伝います」
その場にしゃがみ込み、器用に書類を拾い始めた。
「それにしてもおまえン家のじーさん、こっちに来ることよく許したな」
「そりゃあ、私の篤志さんへの思いを知ってますから。あの人は」
「はいはい」
蘭の力説に篤志は脱力した。
そして。
祥子は蘭が笑うのを見た。
篤志の顔を見上げて、目を細めて本当に、本当に嬉しそうに微笑むのを、見た。篤志の隣りにいること、泣きたくなるほどのその幸せを噛み締めるような、笑顔を見た。
(……)
「あの子、篤志のこと好きなんだ」
二人が隣りの部屋に資料を置きに行ったときに祥子は呟いた。
司がクスクス声をたてて顔をあげる。
「わかった?」
「…あれじゃあ私じゃなくてもわかるわ」
「もう3年になるよ。一目惚れだってさ」
(やっぱり…違う)
祥子はそう思う。
あの子は史緒たちとは違う。愛想笑いじゃなく、本気で祥子に笑いかけた。感情の起伏、行動の素直さ。篤志を好きなこと…すべて本物だ。一点の曇りも無く。
きれいなこころ。
「…」
(あんな人間も、いるんだ)
祥子は、ただそのことに驚いていた。
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