キ/GM/21-30/23
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阿達史緒がA.CO.の事務所へ帰ってきたとき、ちょうど運送会社の配達員が建物から出てくるところだった。
配達員はいつもの顔だったので、史緒は「ご苦労様です」と軽く頭を下げた。配達員のほうも史緒の顔を覚えていたらしく体育会系の挨拶を大声でして、小走りのまま路肩に止めていたトラックに乗り込み、エンジンをかけて駅のほうへと走り去っていった。荷物は何だろう、と史緒は想像した。小荷物が届くような予定はなかったはずだ。多分、三佳が受け取っているだろうけど。
建物を入ってすぐの階段を上り、2階へと上がる。A.CO.の事務所はこの建物の2階にある。
階段を上りきり、2階の廊下へ足を踏み入れると、そこには島田三佳と大きなダンボール箱がいた。大きい、と言ってもダンボール箱はせいぜい50cm立方といったところ。対比物が10歳の少女だから余計大きく見えたのだ。
「なぁに? それ」
「帰ってたのか。早かったな」
「ええ。…ところでそれ、三佳宛て?」
「そう。昨日、峰倉さんのところでいろいろと譲ってもらえたから、こっちに送っておいたんだ」
ふぅん、と史緒は気のない返事をした。
島田三佳は峰倉薬業という薬品卸売店でアルバイトをしている。学校にも行かないで、と一般には思われるかもしれないが、三佳と同居する史緒はそんな風に考えたことはないし、口出ししたこともない。
史緒が何も言わないので、三佳は自分のことは自分で考える。何か言われても自分で考える。
自分に足りない知識があることは十分痛感している。でもそれは小学校に通わなくても得ることはできるし、今のアルバイト生活は重要な社会勉強になっているので三佳はこの生活に満足しているのだった。
三佳がダンボール箱を担ごうとしたとき、史緒はストップをかけた。
「待って。それ、上に運ぶの?」
「ああ」
「ちょっと待ってて、私も手伝うから」
史緒はそう言って、事務所のほうへ足を運んだ。手荷物を置いてくるためだ。
「別にいらない。大きさの割に、軽いんだ、これは」
「いいから。待ってて、いいわね?」
史緒はしつこく念を押すと、後ろ髪ひかれるように振りかえりつつ、事務所の扉の向こうへ消えた。
三高祥子はA.CO.の事務所でソファに座り、コーヒーカップを両手で包み込んで一息ついていた。
応接用のソファの中央に座り、背もたれに体重をかける。そんな少しの贅沢を味わって、ついでに今日はコーヒーも好みの味にいれられて、気分は上々だ。
今、事務所には祥子一人しかいない。事務所の留守を預かっていた島田三佳は運送屋が来たので荷物を受けに廊下へ出ているし、ああ、その運送屋ももう帰ったようだ。祥子自身は、現在、高校3年の家庭学習期間中で、学校へ行く事由はほとんどない。卒業式を待つだけの身である。今日は川口蘭と待ち合わせで、今、ここでこうしている。その蘭は、中学の卒業式が終わり、今は引越しの準備をしているとのこと。引越しは祥子も手伝う予定でいた。
事務所のドンである阿達史緒は仕事で外出中だと三佳が言っていた。七瀬司は一人で出かけているという。祥子はよく知らないが、意外と彼の行動範囲は広い。
木崎健太郎は現役高校生。今日は学校だ。(サボっていなければ)
関谷篤志も今日は仕事らしい。ただ、史緒とは別行動のようだ。
ガチャリ、とドアが開いた。入ってきたのは阿達史緒だった。
「あら、祥子、いたの? ただいま」
史緒はちらりと祥子に目を向けただけで、まっすぐ自分の席へ向かった。
「おかえり」
「暇そうね。仕事したいならいくらでもあるわよ」
コートを脱ぎながらそんなことを言う。祥子は素直に言い返した。
「あんたと顔合わせない仕事なら、ちょうだい」
「見繕っとく」
史緒は軽く笑いながら、コートとバッグを椅子に置いてすぐに来た道を戻って事務所から出て行った。ドアの向こうで三佳を呼ぶ声がした。
祥子は一人になった事務所でふぅと息をつく。
『卒業したら就職してこんなところやめてやる≠チて言ってたけど、───就職できたのかしら?』
少し前に、史緒に言われた言葉を思い出した。
確かに、祥子がA.CO.に入ったばかりのころ、史緒にそのように発言した覚えがある。あの頃は今以上に阿達史緒に嫌悪感を抱いていて、無理矢理、契約させられたことも手伝って(正確には祥子が賭けに負けたせいだが)辞めたいという思いが積もり積もっていたからだ。この場所に長くいることは自分の精神衛生上、絶対に良くないと祥子は自信を持っていた。
史緒は顔を合わせれば憎まれ口ばっかりだし、島田三佳と七瀬司は何考えてるのかわからないし、関谷篤志は比較的喋りやすいけど前述したような訳わからない連中を平気で叱れるような性格だし。
実際、不思議だと思う。1年以上経つ今も、自分がA.CO.にいること。
でも理由ははっきりと分かってる。それは川口蘭がいたからだ。
川口蘭がA.CO.に加わったのは、祥子がここへ来て一月後のことだった。ここでの生活にいい加減、我慢ならなくなっていた頃だ。蘭は史緒たちとは昔からの友人と言った。それを信じさせないほどの彼女の明るさと、素直さ、それらを惜しみなくぶつけるように臆することなく祥子に接してくる人懐っこさ。祥子はすぐに蘭に惹かれていった。
蘭を通して、他のメンバーの見え方も変わってきた。何が大切で何が許せないのか。落ち着いて接すればその人が見えてくる。もちろん、阿達史緒も例外ではない。だから祥子の史緒に対する評価も変わってきていて、「絶対、関わりたくない」が、今では「あまり、関わりたくない」になった。…これは大きな違いだ。
そんなこんなで祥子も高校を卒業する時期になってしまった。A.CO.に居座ると決めたからには仕事も増えるだろうし、史緒と顔を合わせる時間も増えるだろうし、色々な意味で覚悟しなければならないのかもしれない。
長い人生、「学生生活」という初期段階を終え、これからは「社会人」となる。
その長い期間を、いつまでここで過ごすのか、予測もつかないけれど。
ガシャーンッ
「!」
突然、大きな破壊音が聞こえて祥子は飛び上がった。
廊下の方からだ。
ドアの外には、今、三佳と史緒がいる。祥子はこの一瞬の間で脳神経が痛くなるくらいに様々なことを考え、想像した。でもほとんどは忘れてしまった。
結局、それらの思考は何の役にも立たず、何らかの結論が出る前に祥子はソファから立ちあがっていた。
「何があったのっ!?」
祥子は事務所から飛び出した。
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