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A.CO.が設立して3ヶ月が経った頃のこと。
当時、設立時からのメンバーの増減は無く、初期メンバーのまま3人で活動していた。
所長の阿達史緒。このとき彼女は若すぎる自分の年齢を偽って営業していた。この頃、直接依頼される仕事はほとんど無く、オーナーである桐生院由眞から仕事を卸してもらっている状況だった。もともと弱音を吐く性格ではないが慣れない接客や足で稼ぐ仕事に振り回されていた史緒、彼女を支えたのは他2人の所員だった。
関谷篤志はそのとき19歳。史緒のはとこで、横浜にある実家から都内の大学に通っていたが、事務所近くのアパートに引っ越した。親戚ではあるが、史緒が篤志と知り合ったのは2年前。付き合いの日はまだ浅いが、史緒に対して遠慮無くずかずかと物申せる数少ない存在のひとりだ。
七瀬司は16歳。全盲である彼は、当初、史緒と同居する予定だったが、それを断わって近所で一人暮らしをしている。それ以前はというと、ある事情から司は史緒の実家に引き取られており、篤志よりは史緒と付き合いが長い。目が不自由故の感覚の鋭さと聴覚に優れていて、それが仕事に生かされることもあった。
一通の手紙から、その事件は始まった。
と、言っても、いわゆる内部告発的なその手紙の内容を七瀬司は知らなかったし、事件の全貌を知ることもなかった。彼にとっては、A.CO.が手掛けた数ある仕事の中のひとつに過ぎず、特に興味を持つものでもなかったのだ。
その手紙が事務所へ送られてきたという日、司は昔から世話になっている町田の病院へ顔を出していた。定期検診のためだ。補足すると、視力の検診ではなく、瞼や眉間の皮膚が他の部位に会わせて正常に成長しているかどうかの検査だった。司の視力が失われたのは外的な衝撃、それも少々特殊なケースで、顔の上半分に酷い傷をおった。眼球機能の回復は絶望的、外側の傷は違和感なく治ったものの、これは皮膚移植だ。成長期の司の体に問題なく適合しているかの定期検診だった。
さて、言うまでもないことだが、病院内は携帯電話の使用は厳禁である。携帯電話が最寄りの基地局と絶えずやりとりしている電波が、医療機器に障害を与えるからだ。
だから司はポケットの中の携帯電話の電源を切っていた。
篤志から何度も連絡があったことを知ったのは、病院を出て5分経ったときのことだった。
「司っ! 今どこにいる?」
「まだ町田。これから電車に乗ることろ。…何かあった?」
電話の向こうで、篤志は車に乗っているようだった。少し慌てた様子でありながら筋の通った口調だったので、自分で運転しているわけではなく、多分タクシーだろう。
篤志は長い説明を始めた。
A.Co.の事務所に直接の依頼が手紙できたこと。
時を同じくして桐生院から電話があり、緊急の仕事が舞い込んだこと。
付き合わせてみると、その2つの依頼に関連性が認められ、裏付けも取れたこと。
これから桐生院の所へ向かい、打ち合わせの後、現場へ向かうということ。史緒も一緒だということ。
「もしかしたら数日留守にするかもしれない」
何やら大変なことになっているようだ。更なる説明を求めても、篤志の邪魔になることがわかったので司は短く切り上げるようにした。
「僕の役割りは留守番でいいの?」
「頼む」
今回のような外に出る仕事に司は同行できない。足手まといになるのは明白。
しかしそれを歯がゆくは思わない。自分にできることと、3人の中での役回りは理解しているつもりだ。
「とりあえず連絡は定期的にいれるから」
「わかった」
「あと、史緒が…。えーと、依頼の手紙が机の上に出しっぱなしだから、ちゃんと保管しといてくれ、だとさ」
「それも了解」
そこで電話は切られた。
事務所に帰りついて、司はまず机の上にあるはずの依頼の手紙を探した。
手探りで漁るとそれはすぐに司の手に触れた。
それは依頼の「手紙」というより「メモ」だった。
一枚の紙切れ。
他数枚は机の下に落ちているのかと探してしまったほどだ。
紙一枚。それに何が書かれているのか、もちろん司に見ることはできない。篤志と史緒が慌てて出かけるような内容が書かれているはずだけれど。
司はその紙を指2本で弄びながらソファに座り込んだ。
(…?)
そしてあることに気付いた。司は紙を鼻先に近づけると匂いを嗅ぐ。
「薬…?」
その紙には薬品臭が染みついていた。これには篤志と史緒は気が付かなかっただろう。
その紙切れには右下に小さく印刷文字があり、「峰倉薬業求vと記されていたことを司は知らない。
そして中央には、乱雑な文字で大きく、「薫を助けてくれ」と書かれていたことを、司は知らなかった。
* * *
2人が帰ってきたのは1週間後だった。
「少しの間、女の子を預かることになったから」
と言ったのは史緒。
それが今回の依頼と関係があるのか、それとも全くの別件なのか、説明も何もなかった。
「まさか史緒が面倒みるの?」
司の冷やかしを史緒は無視した。
「しばらくは、医者が通ってくるわ」
「どこか悪いの? その子」
「あまり出歩ける状態でないのは確かね」
数日後───。
「ただいま。様子はどうだ?」
篤志はドアを開けるなり、そう史緒に尋ねた。椅子に座っていた史緒はおかえりと答えてから、
「変わらず、よ。医者は、来週まで変化が無いなら入院させたほうがいいって、おっしゃってたわ」
篤志の質問は、3階で寝ているはずの少女について尋ねたものだ。史緒にもそれは伝わり、肩をすくめて答えた。
数日前、連れて帰ってきた少女は未だベッドから立ち上がることができずにいた。
立ち上がるどころか食事をすることもできなかった。喋らず、反応を返さない放心状態が続いていた。ただ目を見開き、無表情で天井を見つめている。時々、目を閉じていることから、医者は「少しは眠れているんだろう」と安心したような吐息をついていた。
「でもあの肌の白さは異常じゃない?」
「そりゃ、あの年齢の子供が5年も太陽光を受けなかったらああもなるさ。それに、俺と知り合った頃のおまえも似たようなもんだったぞ」
「そんな昔のこと、引き合いに出さないで」
史緒は苦笑した。
「司にはどこまで話したんだ?」
「裏事情に興味は無いから、別に聞きたくないって」
「あいつも相変わらずだな、浜松町に来て3ヶ月経つけど」
「相変わらずって?」
「多分、無意識だろうけど、必要以上に深く関わらないようにしてる」
「篤志はけっこう司と仲良いじゃない」
「それを言うなら、史緒のほうが司と付き合い長いだろ」
「…」
このままでは責任転嫁に似た不毛な押し付け合いが続きそうだったので、2人はこの沈黙をもって会話を切り上げることにした。その区切りにのって、篤志は持って帰ってきた茶封筒を史緒の目の前に落とす。
「今日の収穫物」
「ありがと」
史緒はさっそく封筒の中から書類を取りだし、ぺらぺらとめくりはじめた。その書類について、篤志が説明を付け加える。
「日薬連の名簿。住所から戸籍が取れると思う。失踪宣言が出されていたとしても、まだ5年だから、失効はされてないはずだ」
「…これね。島田…芳野?」疑問型で口にしてから史緒は困惑した表情で顔を上げた。「これ名前?」
「俺も同じこと思った」篤志は苦笑する。
「確認もしてきた。島田芳野、薬理学者だそうだ。本人は誠実で穏やかな性格───出世は望めないタイプか、でも優秀で信頼できる人だったから、周囲からは好かれていて、名前で呼ばれてたらしい」
「本籍は茨城県…。本人から名前は聞けそうにないし、やっぱり戸籍を取りに行くしかないわね」
「いいよ、それは俺が行く」
篤志は応接用のソファにドサッと腰を下ろした。
「けど、警察は何やってんだ?」
あの少女の身元を調べることなど、警察だって簡単に調べられるはずだ。それにこんな一市民の家に預からせておいて放っておいているのもおかしい。あれだけの事件の関係者に監視も付けないなんて。───A.CO.が信用されているわけでは、絶対無いだろうし。
史緒は名簿をめくりながら淡々と答えた。
「研究施設の立ち入り捜査と関係者の事情聴取、それに出資会社の内情調査…。忙しくてこちらに来る余裕もないのよ」
「あの子だって重要参考人だろ」
「あんな状態だもの、半日で諦めたみたい。他の関係者の事情聴取は順調みたいだし、そっちに時間をかけてるわ」
ふと、篤志は机の隣に白い杖が立てかけられているのを目にした。
「…なんだ、司、来てるのか」
姿が見えないので、またどこかへ出かけているのかと思っていたけど。
史緒は書類から目を離さないまま、右手の人差し指を天井に向けて言った。
「屋上」
end
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