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「ひどーい、篤志さん! あたしを置き去りにするなんてぇ!」
 蘭は篤志の横っ腹に飛びついた。しかしそれしきのことでよろめく篤志ではない。篤志は振り返りもしなかった。蘭はそれが悔しくて、ぎゅうううぅ、と回した手に渾身の力を込めるがそれでも効果はなかったようだ。篤志からの反応は無かった。
 場所はA.Co.の事務所、日曜日の午前8時。室内には蘭と篤志の他に、司と史緒もいる。蘭は高校の制服姿で、他の3人は外出着だった。史緒も珍しく仕事で出かけるときのようなスーツではなく、年相応の夏らしい服を着ている。日曜日はA.Co.は定休日。なので、他のメンバーが来るとしても昼過ぎだろう。
「人聞きの悪いこと言うな」
 ようやく篤志が蘭のほうへ顔を向けた。
「おまえは学校なんだろ」
 と、容赦なく蘭の腕を引き剥がす。
「そーなんですけど! でもずるいですッ、3人でお出かけするなんて! しかも篤志さん家!」
 半泣きの蘭に、端で見ていた史緒と司は苦笑するしかない。
「また機会があるじゃない」
「そうそう。次は篤志と2人で行けばいいよ」
「え? えぇっ! 2人でって、それってすごく特別な意味がある気がしません!?」
 赤くなってはしゃぐ蘭の額を篤志が小突く。
「しない。ほら、遅刻するぞ。課外研究なんだろ」
 実際、もう危険な時間だった。蘭は壁掛け時計を見上げた後、渋々と鞄を手に取る。
「ねっ、篤志さん。お母様にくれぐれもよろしくお伝えくださいね! 後で伺いますからって」
「あぁ」
「それから、そのときは篤志さんが一緒に連れて行ってくださいね。お父様も紹介してくださいねっ」
「わかったって」
「やった」
 笑うしかない篤志が生返事をするも、蘭は言質を取ったとばかりに拳を握る。
「じゃ、行ってきまーす!」
 元気よく一礼して、蘭は走って事務所を飛び出していった。嵐が去ったような余韻だけが残る。
「俺らも行くか」
 篤志が鍵を鳴らした。
 今日は3人で篤志の実家へ行く。



「実際のところ、どうなの。蘭と篤志は」
 ボックスシートに収まってから司が言った。今日は遠出のため、サングラスをかけ白い杖を持っている。含みを持つ司の問いに、向かいに座った篤志は白けた声で返した。
「どうって」
「昔馴染み以上のつきあいがあるのかってこと」
 くす、と司の隣で史緒が笑った。
「この顔ぶれでそういう話題は珍しいわね」
「え。史緒は他では恋愛話なんかするんだ? 祥子とか?」
「まさか!」
 想像すらできないことを司が言うので史緒は真剣な表情で声を大きくした。司も冗談のつもりだったのだろう、「だろうね」と軽く笑ってすぐに納得する。2人のやりとりを聞いていた篤志は少し考え込んだ後、ぽつりと言った。
「夜遊び友達か」
 ぎくり、と史緒の肩が揺れる。
「う…」
 視線を逸らして唸る。なんだ、と司がつまらなそうに嘆息した。
「知ってたの? もう少しのあいだ、脅迫カードとして使えるかと思ってたのに」
 脅迫カードというのは、もちろん、「夜遊びしていることを篤志に知られたくなかったら…」というものだ。史緒は恨めしそうな視線で何か言いかけるが篤志のほうが早かった。
「知ってたなら注意しろ」
「僕が言ったって史緒が聞くわけないさ。三佳だってそう。適任なのは篤志くらいだよ」
「どうかな」
 じろり。
「だ、だって」
 史緒は見るから慌てた。珍しいことだ。
「向こうも仕事だし、都合を合わせると夜になるの。仕方ないでしょ」
「仕事? 高校生くらいに見えたけど」
「年齢(それ)については僕らも他人のこと言えないんじゃない?」
「理由はどうあれ、女2人であの時間は危険だろ」
「危ない場所には行ってない。帰りはタクシー使ってるし、相手の子は私よりしっかりしてるし、そんなに心配しないで」
 この話題は避けたいようで、史緒は端的に答える。篤志もそれは解っているが身近な未成年の夜遊びを容認するわけにもいかない。
「交友関係に口出ししたくはないけど、どういう友達なんだ?」
「それは、機会があったらちゃんと紹介するから…」
 語尾が小さくなる。勘弁してやるか、という空気で篤志はため息を吐いた。史緒はこの場を逃れられて冷や汗が退くのを本当に実感した。
「じゃあ、話を戻すけど、篤志」
 と、司が矛先を転じる。
「なに?」
「蘭とはどうなの」
 もともとは篤志と蘭の話題だったはずだ。話を逸らしてしまった責任をとって、きっちりと元に戻す。
 史緒とは違い、篤志は冷静に返した。
「あいつと付き合うってことがどういうことかわかってるか?」
「まさか家柄を気にしてる?」
「違う。…あの兄姉が後ろにいるってことだ」
 司と史緒は一瞬「?」という表情をした後、「あー」と納得したように苦笑いする。
 蘭には年の離れた兄姉が合わせて12人いる。彼らは揃って末妹の蘭を溺愛しており、その蘭が片思いしている篤志に対して風当たりが厳しい。もし、蘭の念願叶って2人が付き合うなどということになったらどうなるか、想像するに難くない。
「それに、今、蘭と付き合ったりしたら、二股かけんなって親に殴られるよ。外聞もよく無いだろ」
「え? 二股って…、あ」
 司は手で言葉を止めた。史緒は目元をしかめて視線を伏せる。
 篤志は名目上、史緒の婚約者なのだ。本人たちにまったくその気はないが、その関係を解決させないことには恋愛云々など言っていられない。
「それに、蘭は盲目的なところがあるから、少し突き放しておくくらいがあいつのためだ」
 そう付け足して篤志はこの話題を打ち切りにした。
「それより、悪かったな、2人とも。休日に付き合わせて」
 努めて明るく言うので、司もそれに応える。
「いいよ、おばさんとはもう1年くらい会ってないし」
 そうね、と史緒は伏していた顔をあげた。
「再三、呼ばれていながらずっとご無沙汰していたもんね。こうして3人揃って行くのも、久しぶりじゃない? たまにはいいわよ」


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