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七瀬司がはじめて関谷家を訪れたのは、篤志と知り合って間もない頃のことだ。
「えっ、史緒も一緒なの!?」
その日の朝、出かける直前になってから、司は驚きの声をあげた。篤志が阿達家まで向かえに来てくれて、さあ行くかというときに、2階から史緒を引きずり降ろしてきたのだ。
史緒は最近、この年上のはとこに振り回されている。同じ家にいてもほとんど声を聞かないほど部屋に籠もっていた史緒を、篤志はよく連れ出しているのだ。その傍若無人たるや司の度肝を抜いたほどである。
今日も史緒は篤志に手を引かれて階段を降りてきた。どうやら本当に同行するらしい。司にとって史緒は、櫻より話す機会が少ない同居人だ。気まずくてしかたない。
史緒が切符を買うのに手間取っている。それを待っているときに、
「本当は櫻も連れてきたかったんだけど」
と篤志は司が耳を疑うようなことを言った。
「櫻は絶対来ないよ。それにもし櫻が来たとしても、今度は史緒が来ない」
と心から呆れて見せると、
「まるで磁石だな」
と、篤志は笑った。司は言葉を失う。
笑い事じゃない。
大物なのか無神経なのかわからない。篤志が阿達家に出入りし始めて早半月。その半月の間に阿達家の空気は読めているだろうに。そう、わかっているはずだ。にもかかわらず篤志は、強引に史緒を連れまわし、鷹揚に櫻に接し、まるで台風のように周囲を巻き込んでいく。阿達兄妹の根深い怨恨を肌で感じている司はいつもハラハラさせられていた。
電車の中で史緒はずっと無言だった。やはり手放せないのかネコはケージに入れて連れてきていた。
渋々とは言え、ここまで付いてきているということは、篤志のことを少しは気に入っているのかもしれない。
「手、貸そうか?」
大きくも小さくもない声で篤志が言った。これは司に対しての言葉だ。不慣れな駅構内でうまく動けないでいたので、司は素直に手を借りた。
目が見えない人間にとって、先に声を掛けてくれるというのは本当に重要なことだ。突然、肩を叩かれたり、無言で手を引かれたりするのは、例えそれが助け手であっても恐怖の対象でしかない。
そういう意味で、篤志の気遣いは有難かった。不必要に手は貸さなかったし、階段では僕より一歩先を降りた。足下の状況を教えてくれていた。それは絶妙なタイミングで、本当にさり気ないもので、さりげな過ぎて、篤志が気遣ってくれていることにしばらく気付かなかったくらいだ。
どうして篤志には司が必要としている助け手や情報がわかるのだろう。晴眼者である篤志にはどうやったってこの感覚は伝わりはしないのに。
「どうしてわかるの?」
と、口にしてから気づいた。
これはかつて、櫻に抱いた疑問と同じだ。
(どうしてわかるの? 櫻は見えてるんでしょ? なのにどうして僕が見ているものが解るの?)
櫻は人を不安がらせるということにかけては天才的で、他人の弱点をやんわりと突いてはひやりとさせた。櫻はそれが楽しいのだろうか、他人に危機感を与えなければ気が済まないように、司には思える。しかもそれは、注意しなければわざとやっているということに気づかないほどにさりげなく日常的な行為だっだ。司は櫻が同じ空間にいるというだけで重圧を感じる。その気配に注意を払わなければならなかった。
どうして解るの?
(見えないおまえには解らない)
櫻はそう答えた。
そして今、篤志が答える。
「見てれば解るよ」
「…っ」
背筋が寒くなった。
(───同じだ)
自然と冷静に結びつけることができた。
きっと櫻はそう答えたかったのだ。見ていれば解る、だから、「見えないおまえには解らない」と。
櫻の嫌がらせと篤志の気遣いは、よく他人を観察し客観的思考ができるという点について同じものなのだ。ただ、ベクトルの方向が正反対なだけで。
篤志が櫻に似ていると気づくと途端に怖くなった。このまま付き合っていてよいのだろうか。篤志のベクトルがいつ反転するとも限らないのだ。
和成に訊いてみた。
「櫻と篤志くん!? 全然似てない…と思う」
妥当な答えだろう。
そして蘭。
「篤志さんは史緒さんを裏切りません。それだけはわかります」
蘭の目利きは大概は根拠が無いけど、大抵は信用することにしている。
しかし今回に限って妙な断定の仕方をする蘭の答えは、司に猜疑心を持たせるだけだった。
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