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≪3/4≫
阿達史緒がはじめて関谷篤志と会ったのは、阿達咲子の葬儀から10日後のことだった。
その日、昼過ぎに部屋のドアが鳴った。呼びかけは司の声だったので、史緒はとくに警戒することなく、ゆっくりとドアを開ける。
「!」
ドアを開けた途端、史緒はハッと息を呑んでドアノブを戻した。しかし前に立つ男に阻止されてしまう。そこにいたのは司ではなかった。見知らぬ背の高い男だった。咄嗟に腕のなかのネコを抱きしめる。そうすることで取り乱さずに済んだ。
「はじめまして。関谷、篤志です」
その声に史緒は顔をあげる。人なつっこい笑顔がそこにあった。
「だれ?」
「さっき、和成さんが連れてきたんだ。おじさんのところで挨拶してきたんだって。史緒たちの親戚らしいよ」
関谷篤志の背後から司が顔を覗かせる。とりあえず知らない他人と1対1でないことがわかり、史緒は安心した。それにしても。
(親戚?)
耳慣れない言葉だ。
「俺の父親と、史緒のお父さんが従兄弟同士なんだ」
「知ってた?」
ぶんぶんと首を横に振って答えた。今まで、家族以外の血縁者のことなど考えたこともなかった。母方の祖父には会ったことがあるが、あまりよく覚えてないくらい久しくなっている。それ以外にもこんなに年の近い親戚がいたなんて。
「あ、史緒、今、ひま?」と、唐突に篤志。さらに答える隙さえないまま「とくに用事無いなら、付き合って。この辺、前から行きたいところあったんだ」
「え」
「出掛ける予定だった?」
「う、ううん」
「じゃ、行こう」
笑顔のまま強引に手を引かれる。「え、…きゃあ」突然のことに史緒は満足な抵抗もできない。突然でなくてもできなかったと思うが。
手を引かれたまま廊下に出て、さらに階段を降りる。
「司も行くかー?」
「いや、僕は病院行くから」
篤志の呼びかけに司はひらひらと手を振った。
この頃の史緒には司のあからさまな嘘でさえ見抜くコミュニケーション能力がなかった。もちろん篤志は見抜いている。
「じゃ、また今度な」
1階まで降りると和成がいた。史緒は助けを求めようとしたがそれすら叶わず玄関へ引きずられていった。「ちょっと史緒と出掛けてきます」和成は目を丸くして2人を見送っていた。
初対面の人と出かけるなんて初めてだ。史緒はびくびくしながら、そのまま手を引かれて長く歩いた。腕の中にネコがいる。道中、それを何回も確認したのは不安さ故だろう。
空は晴れていた。久しぶりに陽の光を浴びてめまいがする。
そっと、前を歩く篤志の背中を見る。史緒は歳を読む能力を持たない、けれどたぶん、櫻と同じくらい(後で聞いたところによると、櫻のひとつ下だそうだ)。篤志は長い髪を結んでいる。それが印象的で、史緒はしばらく毛先が動くのを見ていた。
篤志が行きたいと言っていたのはここのことだろうか。なんのことはない、家の近くの公園だった。
篤志は少しも迷わずここ向かった。そもそも史緒は尋ねられても道案内などできない。果たして史緒が同行する意味があったのだろうか。
促されてベンチに座る。なんとなく居心地が悪くて、視線のやり場に困る。俯くと履き慣れない靴を履いている自分の足が見えた。
ふと顔を上げると、篤志がまぶしそうな表情で風景を眺めていた。少しの興味が沸いて史緒も同じ方向へ視線を向けた。
公園の端にはいくつかの遊具がある。子供たちが走り回って遊んでいる。赤ん坊を連れた母親も数人見られた。史緒にとっては見慣れない光景だが、取り立てて珍しいものとは思えない。篤志には楽しい風景なのだろうか。
もう一度、篤志の横顔を見上げる。篤志のその表情には懐かしさが込められているように見えた。道順も知っていたようだし、前にも来たことあるのかもしれない、しかし訊く必要も意味もない。口を利くのが億劫なので史緒はまた俯いた。
逆に、篤志のほうが訊いてきた。
「史緒はここで遊んだりしないの?」
「…」
無視したわけでない。答えに迷ったのだ。驚いたことに篤志はちゃんとそれをわかっていて、史緒の返事を待っていてくれた。
「私は」
「うん?」
「遊ぶ、っていうのが、よく、わからない」
小さく不安定な声だったけど、初対面の人にちゃんと答えを返すことができた。
「外に出るのが怖い?」
顔を覗き込まれて、慌てて視線を逸らす。篤志の質問は結局答えられなかった。答えたくないという思いはあった。しかしそれ以上に、質問に対する答えが複雑すぎて史緒は言葉にすることができなかった。
「関谷くんは」
「篤志でいいよ」
「…」
猫を抱きしめる。
「どうしてウチに来たの」名前は呼べなかった。「今まで、知らなかったのに」
篤志が視線を向けた。気配でそれが判ったが、合わせる勇気は無い。
う〜ん、と悩む声。次に息で笑う。
「櫻と史緒に会ってみたかったから、だな」
正直に言えば、この家に関わる人間が増えるのは憂鬱だった。司のときもそう、櫻の犠牲者が増えるという懸念は史緒を苦しめる。
でも、篤志に関してはそんな心配は無用だった。
関谷篤志には櫻の陰険さに負けないくらいの快活さがあった。とても明るくて温かい、大きなものだ。事実、篤志は櫻の嫌みも平気で突っぱねて、それどころか毎回しつこく話しかけては櫻に煙たがられていた。「あれは嫌がらせだよ」と司が真顔で言ったことがある。
では、「部屋に閉じこもってんな」「暇ならついてこい」などと振り回される史緒も、嫌がらせを受けているのだろうか。史緒自身は篤志の強引さを苦痛には感じないが櫻は違うらしい。受け止め方は人それぞれなんだ、と妙に感心した。
図書館に連れて行かれたことがあった。
「ネコは館内に入れられないぞ」
大きな建物の前で、篤志は史緒はかれこれ30分立ち止まっている。「公共の場所ではケージに入れるのが常識」
「…やだ」
「あのな」
史緒は胸に抱いたネコを離そうとしない。やがて根負けしたのは篤志のほうだった。篤志は上着を脱いで史緒のネコを抱く腕にかける。
「隠してろ。今日だけな」
図書館という場所を初めて訪れた史緒は、その本の多さに圧倒された。
「高価な本をタダで読めるという点で使わない手はない。俺なんか内容もわからないのに7万円の本を読んだりもしたし」
と篤志は笑う。史緒も笑った。
「俺にとっては暇つぶしに最適な場所だな。なんせ、ここにある本を全部読むのは一生かけたって無理なんだ。それを思うだけでおもしろい」
どうやら常連らしい。篤志は史緒が興味を持ちそうな書棚をいくつか案内した。
「動物は持ち込み禁止だ、関谷くん」
背後から声をかけられ、2人して飛び上がる。そろそろと振り返ると、2人を見下ろすように女性が両手を腰に立っていた。ネームプレートを胸に付けている。この図書館の司書らしい。
「葉子さん、今日だけ見逃して」
篤志が声をひそめて言った。
「平日の昼間に小さい子を連れ回すのも感心しないな。2人とも、大人しく学校へ行け」
「それも見逃して」
司書はふんと息を吐く。それから史緒を一瞥した。
「そっちの子は?」
篤志は史緒の肩に手をかけて答える。
「俺の妹。カワイイでしょ?」
「嘘を吐くな。君は一人っ子だろうが」
「うわ、即バレ?」
「大体、君に妹がいるなら、高雄氏が自慢しまくって今頃耳にタコができてるだろうよ」
「ごもっとも」
篤志と司書の応酬に人名がでてきたので訊いた。
「…だれ?」
「俺の父親。おもしろい人だよ、史緒も会ってみる?」
* * *
篤志の実家は新横浜の郊外。静かな川沿いのマンションの2階にある。
「いらっしゃい!」
と、勢いよく3人を出迎えたのは関谷高雄、篤志の父親だった。
「ただいま」
「こんにちは」
「ご無沙汰してます」
篤志、司、史緒の挨拶を受けて、高雄は満面の笑みを浮かべた。
「やぁ、揃って来たな。嬉しいよ」
そして家の中に向かって声を張り上げる。
「おーい、母さん。子供たちが来たよー」
ぱたぱたとスリッパの音とともに関谷和代が現れる。篤志の母親だ。
「そんな大声出さなくても聞こえます、お父さん」
「ただいま、お母さん」
「珍しい。何しに来たの」
「顔見せろってしつこく言ってたのはそっちでしょう」
「しつこく言わなきゃ帰らない薄情な息子なんて知りません」
ぷいとそっぽを向く和代に苦笑して、すみませんと篤志は謝った。
「ほら、早く上がりなさい。外は暑かったでしょう? 史緒、司、なにやってるの、玄関先でぼーっとしないで、早くいらっしゃい」
「はい」
「おじゃまします」
史緒と司は自然とこぼれる笑みを抑えることができない。
「相変わらずだね」
司が耳打ちするので、
「ほんとに」
いつ来ても変わらない関谷家の風景を見て、史緒は同意した。
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