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篤志にとって、父・関谷高雄は、良き理解者で、厳しい教師だった。
中学生の頃、母はパートで働いていて昼間は家にいなかった。その代わり父がいた。篤志が学校から帰ると、必ず部屋から出てきて「おかえり」と言ってくれる。
明るく快活で、雑学豊富な父。たくさんのことを教わった気がするが、直接教えてもらったことはほとんど無く、たいていは痛い目にも合わされたし、反省を伴った教えだったように思う。
そんな父の教えのなかに、ひとつ、鮮烈に覚えているものがある。
「欲しいものは、考え無しに口にするものじゃない」
父がそこまで直接的に言うのは珍しく、篤志は驚いた。
「ただ、これは難しいんだ。篤志が何が欲しいのか言ってくれないと、父さんは何もあげられなくなるからなぁ」
と、眉尻を下げて苦笑する。父の顔を見上げた篤志の視線を、父はまっすぐに受け止める。
「父さんはね、おまえにはやりたいことをやって欲しいし、手に入れたいものをちゃんと手に入れて欲しいと思っているよ」
難しいな、とまた呟いた。
「欲しいものを口にすることは決して悪いことじゃない。でも気をつけなさい。それはときに、人を悲しませる。それが得難いものならなおさら」
「どうして悲しむの?」
「それをおまえに与えてあげられない不甲斐なさが、とても辛いんだ」
篤志にはよくわからなかった。
「お父さんは、なにが欲しかった?」
父は大きなてのひらで篤志の頭を撫でる。
「そうだな、俺はもう手に入れたから、篤志になら言ってもいいかな。父さんは昔から───好きになった女性と恋愛して、結婚して、子供を育てたいと思っていた」
「好きになった女性って、お母さん?」
「もちろん」
「へ〜ぇ」
「おっと、この話は母さんには内緒な」
「どうして?」
「照れくさいからだよ」
と歯をみせて笑う。
しかし、篤志は後になってから知った。母さんには内緒、と、父が言った本当の意味を。
かつて父はその願いを口にして、母を悲しませたことがあるのだろう。
「嘘は吐かないでいましょう」
そう言い出したのは母・和代だ。
そのとき、篤志は車椅子での生活を強いられていた。背中に傷を負い、立ち上がることさえできなかった。やっとリハビリを始められるかというときのことだ、入院していた病院の中庭に、父と母そして篤志の3人はいた。父が篤志の車椅子を押し、先を歩く母がゆっくりと振り返る。
「そういうことにしておいたほうが、篤志も気が楽でしょう?」
青空を背景に母は穏やかに笑った。
「誰かに訊かれたら、正直に言いましょう。嘘は吐かないでいましょう。私たち家族、3人の約束」
父・高雄と篤志は視線を合わせる。和代の意図が判らなかった。
「私はね、嘘を気づかれてしまうことに怯える生活なんてごめんなの。嘘を拠り所にするのも嫌」
和代は篤志の車椅子の前で膝を付き、その手を取った。
「嘘なんか吐かなくても、あなたを愛せるわ。本当よ」
篤志はその手を握り返して微笑う。
「ありがとう、お母さん」
その背後で高雄が息にのせて笑う。
「俺らも、咲子さんのイタズラ好きが伝染したのかな」
「ふふ、そうね」
「誰が、俺ら3人のイタズラに最初に気付くだろう」
「それは決まってる」
と、篤志が即答する。和代と高雄は興味深そうに篤志の顔を覗き込んだ。篤志はふたりに笑ってみせる。
「櫻だ。間違いないよ」
それは関谷篤志が、阿達史緒、七瀬司と出会うより5年前のことだった。
end
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