/薬姫/ティル
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   side:恵

 深い森のなかのおうちで、ホリーは暮らしていた。
 野菜を育てて、鶏と犬を飼って、静かに暮らしていた。ときどき町に出て、パンを買って、町の人と少しのお喋りを楽しむ。そんな生活を続けて半世紀ほど。ホリーはいつも心穏やかに過ごしていた。
 その日は清々しく晴れていた。背の高い木々の隙間から光が差し、緑がキラキラと光っていた。空気は澄み渡り、どこかで鳥の鳴き声がする。
 とても美しい日だった。
「そんなに苦しいなら、アタシが殺してあげる」
 ベッドに沈むホリーの細い手を両手で握りしめて、柳井恵(やないめぐみ)は言った。歯を食いしばった顔は涙で濡れていた。
「これは、私が望んだ終わり方じゃないわ。とても辛いの」
 ホリーの歪んだ表情はその白髪と同じくらい白い。ホリーはもう痛みを口にしなくなっていた。ただ思い通りじゃない今が辛い、と。
「だから…ッ。ネェ! 苦しませたりしないから!」
 手を強く握るとホリーは僅かに顔を向けた。それだけで苦しそうなのに白い顔は微笑う。
「メグ。罪を犯したら、天国へ行けないのよ」
「アタシはもう、天国(そこ)へは行けないもん。同じだもん」
「私自身のために、メグに私を殺させた私の罪はどうなるの?」
 ホリーは震える手をのばし、恵の頭を撫でた。
 白い顔は優しく微笑んで、目を閉じた。




   side:薫

 二人組の女子大生が電車に乗っていた。
 手すりにつかまってお喋りをしていたが、突然、そのうちの一人が気分が悪そうに膝を付き、座り込んだ。
「大丈夫? 貧血?」
 連れのほうが心配そうに声をかける。しかし、胸を押さえて苦しそうに蹲(うずくま)る貧血なんて聞いたことが無い。島田三佳(しまだみか)は荷物を放り出して椅子から立った。車内は混んでない、人はまばらだ。そのうちの一人に三佳は声をかける。
「おいっ! そこの会社員っ」同時に横目で車両番号を確認する。「車掌に言って、次の駅に救急車を回させろ、3番車両、急げっ」
 こんなとき、素人ができることは限られている。患者を楽な体勢させること、持病の有無、携帯薬のチェック、身元確認。乗り合わせた乗客の協力もあって、三佳はそれらを行うことができた。患者は喋れる状態ではなく、相づちで三佳に応えた。
 患者を寝かせるために席を空けた会社員、動揺してしまっている患者の連れをはげましている主婦、駅に着くとすぐに担架を誘導し始めた男子高校生。三佳も知り得た限りの情報を救急隊員に伝えることができた。
「あのっ、ありがとう」
 最後に、背中から声をかけられた。
「───」
 はじかれたように振り返ると、連れの女子大生が小走りで担架を追いかけるところだった。三佳はそれを見送り、長い時間、その場に立っていた。
 ありがとう。その言葉は電車に乗り合わせた全員に向けた言葉だ。その一端を、受け取らせてもらうことにする。
(よかった)
(役に立つことができた)


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