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12.終曲

 1997年12月5日金曜日。

 巳取あかねは本館4階の音楽室の教壇を踏んでいた。
「私が音楽を教えるのも、これが最後となりました」
 2年3組の生徒を前に、別れの言葉を告げる。もともと産休をとった音楽教師の臨時として、ここにきていたのだ。次の職場はすでに教育委員会から告げられている。
 名残惜しいのはいつも同じだ。ただ、この学校には特別な思いが残る。それは何年経っても消えない。そんな気がした。
「────最後に、どうしても聴いてもらいたい曲があります」
 あかねは自分の手荷物の中から、ケースにすら入っていないカセットテープを手に取る。ラベルにはかすれた文字で、日付だけが書かれていた。
《1987/12/13》
 あかねはそのテープを見て、懐かしがるように目を細めた。
「・・・・」
 生徒達は、この曲をただの授業の一貫として聴くのだろう。そう思うと運命というものの残酷さを感じずにはいられない。この結末(もしくは未来)こそが、あの子の望んだものだったとしても。
「過去十年間・・・私が最も尊敬し、そして生涯愛し続けるでしょう音楽家の、最後の曲です」 テープをデッキに差し込み、再生のスイッチを。
 押した。



 名前が語り継がれることは無い。
 十年前の、あの奇跡のような演奏を聴いた百数十人のうち、どれだけの人間が覚えているだろう。
 あの「神童」を。そして演奏を。
 歴史に刻まれること無く、一人の音楽家は消えた。あの時あの空間にいた者は全て、たった瞬間だけでも、その音に対する感動で拍手を送ったはずだ。あの、ステージの上の少女に。
 そう。やはりあの中の数人は、忘れないまま死んでいくのだろう。
 神の音楽を魂に刻み込んだまま。生まれ変わっても、忘れないために。




 中村結歌の突然の死は、発見されてから72時間の間に、2年3組の全生徒に知れ渡った。夏休みであるにもかかわらず、葬儀には一人を除いて、全員が出席したという。その後、各々の休暇を過ごし、新たな学期を迎え、秋を越し冬が来た。
 空は抜けるように青いのに、空気は切れるように冷たい。そんな季節になっていた。

 テープからの少し音の悪い、悲しく優しいメロディと、巳取あかねの声は音楽室の真上、屋上に立つ三高祥子にも届いていた。
 堂々とエスケープしているにもかかわらず、しっかりコートを身にまとっている。そして肩につかない長さのきれいなウエーブの髪は、首筋を冷たい空気にさらしていた。
「・・・・・」
 事の顛末は納得のできるものではなかった。
 中村結歌。
 何が起こったのだろう。自分の行動は間違いだったのか。
 あの時、何もいわなければこんなことにはならなかったのだろうか。
 唇を噛み締めて遠い空を睨む。
《死に神に追われているって言ったら、あんたは笑うかな》
《聴いて欲しいの。三高に。テストの最終日の放課後、屋上に来て》
 あの日、約束通りここに来ていれば、違う結果になっていたかもしれない。
 胸からこみ上げる感情に、祥子は顔を歪ませた。
「・・・・くっ」
 ガンッ。
 渾身の力で、祥子はフェンスを蹴った。
 冷たい風が祥子の髪を揺らす。髪で表情が見えないが、祥子の握った拳は、痛々しく震えていた。
「・・・・・何のっ・・・何の役にも立たないっ」
 自分のちからなんて。
 そのまま壁伝いに座り込み、祥子は頭を抱えた。そして泣いた。

 テープからの曲は静かに流れ続ける。
 それは終業のチャイムに掻き消されるまで、校舎内に響きわたっていた。





 2001年。
 歴史は21世紀を迎えた。


end.

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