キ/wam/SOE
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1.
1978年
10月下旬。G県の東端にある学校法人森都芸術大学でも、枯葉が舞う季節になっていた。
さて、森都芸大では、秋の一大イベントである森都祭が終わると、次は冬の一大イベント・モリオト祭が待っている。
このモリオト祭は毎年必ず12月22日に行なわれていた。規模的には森都祭が学内全体の文化祭であることに対して、モリオト祭は音楽学部が中心で小規模。宣伝費が予算として出ることはないが、古くからの行事なので一般客も結構集まる。
ひとことで言えば「腕試され大会」。年末合唱と作曲コンクールがメインで、学内全員に参加権が与えられるが、このメニューを見ればわかる通り、音楽学部の為の行事だった。
ちなみに、毎年6月22日に行なわれる、美術学部を中心としたイベントはモリビ祭といった。
昨年は森都祭とモリオト祭の間が一月半しかなかったため、生徒たちはてんてこまいを踊らされるはめになった。その教訓から、今年の森都祭は例年よりふた月早い9月に行なわれ、現在モリオト祭の準備がのんびりと進められていた。
「後は中村だけなんだよな、申込書を提出してないのは」
「はぁ」
音楽学部内、某研究室。同学部作曲科三年生の中村智幸は、担任である武藤教授と机を挟んで向き合っていた。口から出た声が溜め息ではなく、相づちだと受け取られることを願う。
室内は、教授の反几帳面な性格がよく表されている。机の上には乱雑に楽譜が積み重なっている。きっとページ数は合っていない。部屋の隅に置いてある楽器はケースに入れてなければ、カバーもかけてない。よく弦が痛まないものだ。
智幸はそれらに呆れることで、自分の置かれている状況を忘れようとした。
「あと二ヶ月ないぞ。もう練習を始めてる奴もいるのに・・・。オーケストラ構成や練習スケジュール、二ヶ月なんてすぐだ」
「・・・・・・・・・」
「とにかく、申込書だけは今月中に出しなさい。タイトルは無記名でいいから。わかったな」
「そう言っていただけると、助かります」
智幸はそう言って立ち上がり、部屋から出ていこうとする。しかしその背中を教授が呼び止めた。
「一応、中村にも期待してるんだからな。他の学科や一、二年に受賞をとられたりしたら顔が立たん」
教授は深く椅子に座り込み、腕を組む。学科顧問として少なからずの意地があるのだ。一応、という言葉が気にならないでもないが、智幸が苦笑する程度のものだった。
「うちの学科の四年生もいるでしょう」
「あんな就職決まったとたん、遊びほうけてる奴らに負けたら、なおさら許さんぞ」
冗談めかして言うがその表情は真剣だった。
これ以上、小言を聞かされてはたまらない。智幸はそそくさと部屋を後にした。
「失礼しましたー」
廊下に出て後ろ手でドアを閉める。無事逃げられたことに、智幸は安堵の溜め息をついた。
しかしすぐに表情を改め、笑みを浮かべて顔をあげる。
そこで待ってくれている人がいることを、智幸は知っていた。
「お話、終わったの?」
「ああ」
「じゃ、帰ろっか」
廊下の窓を背に、鈴木沙都子は立っていた。
手にはカバンを持ち、コートを下げている。今、夕日が落ちようとしている窓の外は、外は上着無しには歩けない季節なのだ。
沙都子は髪をきっちりあげていて、首が寒そうに見えるが、本人からはそれに負けないほどの元気が溢れている。白いワンピースの上にグレーのセーター、沙都子はいつも、あまり腹を締めつけない服を着ている。これは歌う時の複式呼吸で邪魔にならないように、とのことらしい。
二人は並んで歩き始めた。ぎこちなさは無い、自然だった。
二人がつきあい始めて一年が経とうとしていた。
「モリオト祭のことでしょう? 呼び出されたのって」
「そう、コンクールの申込書を早く出せ、って」
「出せばいいんじゃないの?」
「簡単に言うなよ。その申込書、曲のタイトルも書かなきゃいけないんだ。とりあえず、それは後でいいって言われたけどさ」
学内自由参加の作曲コンクール。しかし毎年恒例、音楽学部作曲科の三年生だけは、強制参加を強いられている。つまり現在の中村智幸はそれだ。
「曲、書けないの?」
顔を覗き込む沙都子に、智幸は笑ってみせる。
「いいものを書こうとすると、すぐにはね」
「・・・そっか」
作曲のことは、沙都子にはよくわからないところが多い。何と声をかければいいのか、迷ってしまう。
「それに、書けたとしても、オケをまとめるようなリーダーシップは僕にはないし」
「弱音?」
「そう」
「こらこら」
半ば冗談で返事をしたら、沙都子のパンチが待っていた。ふざけて、それに派手にやられるフリをした。二人、笑いあう。
しかし冗談だとしても、智幸に自信がないのは確かだった。
コンクールの作曲者は、まず曲を書いたら、器楽科の人間との顔合わせが待っている。オーケストラを編成する器楽科の人員は、むこうの都合でほとんど決まっているが、ソリストなど、作曲者が独自に出演交渉にいくこともある。それが決まったら、練習スケジュールを組み、本番までに曲を完成させなければならない。
原則として作曲者イコール指揮者となり、オーケストラをまとめるだけの力も要求された。
それがコンクール主催者である学校側の意図でもあった。
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