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9.

 もう校庭の木々に葉は残っていない。
 すぐ北に見える山も、夏場の青々しさとはうってかわって、焦茶色に変化していた。この街は四季の移り変わりがよくわかる。春には桜が、秋には紅葉が見られるのだ。
 そして、智幸はこの季節がくるたびに思い出すことになる。
 あの、ツカイの存在を。
 多分、ツカイの言った未来が、過去になるその日まで。
 でも大丈夫。
 一人ではない。

「中村くんっ!」
 背後から駈け寄る声に智幸は振り返る。
 校庭を横切って、鈴木沙都子が息を切って走ってきた。合唱のときの衣裳から着替え、いつもの格好に戻っている。智幸は手を振って応えた。
 沙都子は智幸のところに辿り着くと、息を整えてから、口を開いた。
「やっと、逢えた」
 今日はお互い忙しく、朝から会う機会がなかったのだ。今日という日は本当に長く感じられて、沙都子の顔を見て、智幸は懐かしさを感じる。
 しかしせっかくの再会も、沙都子のほうは、むくれて拗ねたような表情で言った。
「もお、そうやってすぐ一人になりたがるクセ、どうにかならない?」
 沙都子は合唱の片付けが終わった後、智幸を数ヶ所探し回って、やっとここにたどりついたのだ。いや、今回に限らず、沙都子が智幸を見付けた時、彼は一人でいることが多い。沙都子はそれをとても気にしていた。
 探し回った沙都子の苦労も知らず、智幸は肩をすくめる。
「そんなつもりはないけど」
 苦笑する智幸。しかしもしここにあかねがいれば、沙都子のほうが「それを見つけだせるあんたも大したもんよ」と皮肉られたに違いない。
「ううん、絶対ある」
 悪気のない顔できっぱりと智幸の言を否定する。そして心配そうに智幸の顔を覗き込んだ。
「・・・考えごと?」
「まぁそんなところ」
「となりにいてもいい? 邪魔しないから」
「─────」
 真剣な表情の沙都子は智幸の右腕にするりと手をまわす。言葉を続けた。
「これから先、長い間も」
 構内の人間はそのほとんどが響森館に集まっている為、本館のほうに人影は見られない。その空間にいたのは二人だけだった。
 となりにいてもいい?
 沙都子の台詞を理解すると、智幸は顔をほころばせて微笑んだ。
「こちらこそ、よろしく頼むよ」
 そう言うと、沙都子は腕にいっそう力を入れて、智幸の腕にしがみついた。その腕に顔も埋めて、しばらくそのままでいる。智幸も、沙都子に声をかけたりはしなかった。
 言葉もないけれど、一緒にいて自然な空気。その時間を幸せに感じていた。
 結局、ツカイの思う通りに事は進んでいる。この時智幸はそう思った。
 でも今だけはいい。
 今、この瞬間だけは、自分が選んだ結果だと信じられたから。
 校庭の木々が揺れ、冷たい冬の風が吹いた時だった。
『1978年度、森都芸術大学第十七回モリオト祭、作曲コンクール受賞者、第十七代モリオトを発表します』
 全構内、校庭、敷地内に響く放送がかかった。
 智幸、そして沙都子も一斉に顔をあげる。構内のどこかで誰かが口笛を慣らした。近くに人はいないのに、校舎が全体に騒がしくなったように感じた。
「中村くん・・・・・・」
 沙都子の視線の意味は伝わった。しかし智幸は、自分の結果が期待できるものではないと、わかっていた。
「僕のはただ目立っただけさ。教授たちの受けも悪い。曲のよしあしは別問題だよ」
 オーケストラの中、唯一のアンサンブルは、それは目を引くだろう。同じ土俵で戦わなかった、という反対意見もあるかもしれない。その意見と“コロンブスの卵”は紙一重。この場合、後者が認められることは少ない。
 他のオーケストラの曲でもいいものは沢山あった。自分の曲がそれに対抗できるものだったか、智幸に自信はない。
 それでも未練や後悔がないのは、自分の力のすべてを、あの曲に表せたと思っているからだ。ただ、少しでも多くの人に感動してもらえればよかった。
「そんなことないよ、・・・私、泣いたよ。あの曲」
 控えめに、沙都子は言った。
 直後、沙都子は短い悲鳴をあげた。智幸は衝動的に沙都子を抱き締めたくなり、それを実行したからだ。  
 沙都子の耳元で、小さく、ありがと、と囁いた。
「・・・・・・」
 一番身近で、自分の曲をわかってくれた人がいる。それがとても嬉しい。
 沙都子は智幸の腕をとき、目を合わせ、いつもの満開の笑顔を見せて言った。
「おつかれさまでした」
 二人で声にして笑う。
『第十七代モリオト────』
 再び放送がかかった。
『音楽学部作曲科三年生、中村智幸。タイトル、「大地の歌」』
(・・・・っ)
 智幸は一瞬、自分の名前を忘れた。鉄柱のスピーカーに目を向ける。
 沙都子は手を叩いて歓喜の声をあげた。智幸が実感しないうちに、放送が繰り返された。同じ事を告げる。
「・・・まさか」
「まさか、じゃないよっ。やったよ、中村くんが選ばれたのっ」
 沙都子はすでに泣きそうな声で、智幸の袖を掴む。それを激しく揺らされて、智幸はやっと、現状を把握するに至った。
「・・・・・・」
「よかった、よかったね」
 多くの人に認められるということはこういうことか。
 智幸はそれを改めて実感する。
 固く、こぶしを握り締めた。
「モリオト受賞、おめでとう」
 改まって頭を下げる沙都子。
「ありがとう」
(・・・いつか)
 使いのことを話せる日がくるのだろうか。
 歳を重ねて、時が経って、遙か未来、笑って話せる時がくるのだろうか。
 使いに出会い振り回された三日間。沙都子に勘違いされたこと。振り切れずに何年も悩んでいたこと。使いによって人生が狂わされたと思っていること。そんなことが気のせいだったと。
 すべて笑い話になる日まで。
 一緒に生きようと思った。
 子供が生まれてもこんな悩みを持たせない。五年先も十年先も、笑っていられたらいい。
 僕が終わるその日まで。
 
 二人は響森館へと歩き始める。
 一般の人の客出しが始まっていた。近所に住む人たち、近隣の中高生。もしかしたら、二月前、智幸にたて笛を聴かせてくれた小学生もいるかもしれない。ここにいる人たちは皆、自分の曲を聴いてくれていた。そのことに感謝の気持ちを覚えつつ、その姿を見送った。
 少し経つと、今度は学内の生徒もわらわらと帰り支度を始めだした。見知った顔が数人、智幸に称賛の声をかけていく。智幸は一人一人のそれに応えて、沙都子と人の流れに逆らって歩いた。
「市川くんたちが、終わったら打ち上げやろうって言ってたよ」
 思い出したように言う沙都子に、智幸は呆れた声で応える。
「あさってクリスマスパーティやるって話だったけどな」
 今日が12月22日ということは、明後日は24日、クリスマス・イブである。
「それはそれ、これはこれ。楽しいことは多いほうがいいでしょ。なんか作曲科の人達を中心に人数が増えてるみたい」
「うちの科は芋蔓式だよ。最後には全員参加することになる」
「仲いいもんねー」
「朝まで騒ぐことになるかな」
 冷やかすような沙都子の言葉に、智幸は深々と溜め息をついた。
「いいんじゃない? なんてったって、今日はいちばん夜が長い日なんだから」
 あかねも誘わなきゃ、と沙都子はすでに友人を巻き込む算段を始めている。
 智幸も心労の表情を浮かべたものの、もちろん今日という日を楽しむつもりだった。
 人波の中から、朗が手を振ってやってくる。その後ろには他のメンバーも揃っているようだ。 沙都子は智幸の手を引き、仲間たちにもう片方の手を振り返した。

end.

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