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02話「7人目の男」 |
狭い空を見上げもせず、灰色の建物の間を縫って歩く。 毎日数百人の人間とすれ違う。 立ち止まることはしない。忙しいから。 毎日見かける顔。でも知り合いではない。 …極端な例だが、結婚相談所が繁盛しているらしい。 そして、今の若者に多い恋愛できない症候群。 これだけ出会いの機会はあるのに。 1. 1999年1月。 「お──── っしゃああぁ、みつけたぜっ」 秋葉原の駅前。木崎健太郎は突然大声を発した。そして学校指定の黒いコートをひるがえして、その場から駆け出した。 「あ、おい…健太郎!」 同行していた学生服の一団・私立宮杜高校パソコン研究部の部員たちは、理解不能な健太郎の行動にあっけにとられた。激安のモデムでも見つけたのか、と部員の一人が笑ったが、健太郎が向かったのは店の中ではなかった。 昨日の雪がまだ残る駅前のあまり広くない通り、しかし覆い被さるような威圧感を覚える高い建物の軒並みを飛び越えるような勢いで、健太郎はある方向へと走った。 (やっと見つけたっ) ただすれ違うだけじゃない。声も聞いていないけど、関心を持った対象。 決して、一目惚れとかそーいうのじゃないぞ、と健太郎は言う。 色恋沙汰じゃない。純粋な興味。 理由はいくつかあるけれど、強いて言うなら、それは直感だ。 健太郎の向かう先には、ガードレールに座っている女がいた。年齢はどう見ても高校生。その落ち着いた様子に騙されそうだが、午前10時という半端な時間に私服で、専門店が並ぶこの通りに来ているのは普通とは言えないだろう。まあハイティーンだからといって学生と決めつけるのも偏見かもしれない。 それでも何か、健太郎が都合のいい時だけ信頼する「直感」というものが働き、シグナルを送る。 何か変わるかもしれない、と。 最近つまんねーよなー。 それが木崎健太郎の口癖だった。 決して学校がつまらないわけではない。授業ではそれなりに単位を取っていれば何ら問題はないし、部活は気のいい連中ばかりで話も合うし居心地もいい。楽しいことは楽しい。 しかし健太郎が欲しいのはそういったことではなかった。 刺激。 単調な毎日を送るのはもう飽きた。アクション映画を見るようなスリルとサスペンス(?)。何というか手に汗握ってドキドキハラハラしてみたいものだ。 一市民高校生の欲望というか。 そう思うなら自分から動かなければだめだ。他力本願ではいけない…とわかっている。しかし、具体的に何をすればいいのか、健太郎は動けないでいた。 ───…別に、それを「彼女」に求めたわけではないけれど。 「彼女」はストレートの髪を肩までのばし、ハイネックのセーターとその上に薄茶色のコートを来ている。膝上のタイトスカート。 何を見て、というわけでもないがイマドキの女の子ではないな、と健太郎は思った。落ち着いた雰囲気。あまり興味が無さそうに周りを見る目つき。 (…けっこう、かわいいかも) 色恋沙汰ではないはずの興味は、もしかしたら一転するかもしれない。健太郎は足を止めた。 「あの…っ」 考えるより先に声が出た。だから健太郎の声に彼女が振り向いたとき、何を言えばいいのか分からなくなった。 「はい?」 振り向いた彼女と目が合う。 「えーと…その」 「?」 「あ、誰か待ってんの?」 (うわぁ、オレってばかー) なに言ってんだ、と頭を抱えうずくまって自分をなじるがフォローの言葉も出ない。違う、こんなことが聞きたいんじゃなくて。 と、思っても、よく考えれば何も───本当に何も、彼女を前にしてからのことを想定していなかったことに気づく。 「…ええ、まあ」 白い息を吐いて彼女は不審げに応えた。 焦りのあまり本来の目的を見失うというのはよくある。このとき健太郎に目的と呼べるものがあったかどうかは謎だが、いつも社交的な彼が言葉に詰まるというのは珍しいことだった。 ちょっとまって、と彼女に言うと、顔を見られないように背を向けて深く息を吸う。吐く。 そして振り返る。 「この間もここで見かけたけど、何やってる人なわけ?」 健太郎には深呼吸すると、動機が緩くなり平静に戻れるという特技があった。当然のことかと思われそうだが、それに成功する人間は結構少ないはずだ。 「……」 さすがに怪しく思ったのか、彼女は口を閉ざす。 「あ、別にナンパとかじゃないから」 と、説得力の無い弁解をしてみても、彼女の上半身は完璧に退いていた。 (逃げられても困るけど、どうすれば…) 「あ…」 「え?」 彼女が何かに気づいて腰をあげた。その時。 「待たせたな」 口調に似合わない高い声が健太郎の背後で響いた。反射的に振り返る。が、そこには誰もいない。 (あれ…?) さらに声が続く。 「誰だ? こいつ」 こいつ、というのはおそらく健太郎のことだろう。声の源を探し、視線が下降する。 「えぇっ!?」 声の主はそこにいた。ただし、かなり小さい為に健太郎の視界に入っていなかったのだ。 身長は健太郎のウエストくらい。目つきの悪い子供が、両手に荷物を抱えて健太郎を睨んでいる。どうみても小学生の女の子。 「三佳」 彼女が安堵の表情で少女の名前を呼ぶ。 「おまえも、変なのに引っかかるんじゃない」 「そんなんじゃないわよ」 妙な組み合わせの二人に健太郎は目を見張った。 (偉そうな口調のガキと、それにおまえ呼ばわりされてる同年輩の女…) やっぱり普通ではない、と思う。 「寒いから早く帰ろう。それともどこか寄ってく?」 「そんなに寒いなら一緒に来ればいいんだ」 「遠慮しとく。あの店の匂い、気持ち悪くなるんだもん」 「じゃ、今度の荷物持ちには篤志でも連れてくるか」 二人は何やら言い合っていたが、突然その視線は健太郎に向けられた。 「それから」 「は?」 小学生にがん付けられたのは初めてだった。 「ナンパするならほかを当たったほうがいい。こいつは手に負えないぞ。それに世間知らずだ」 「三佳っ!」 彼女は連れに「世間知らず」と評されて、大声でそれを制した。健太郎のほうもその発言には異論がある。 「なっ、ナンパなんかじゃないっ」 「じゃ、なんだ?」 自分より背の低い、しかも小学生に見下されたのも初めてかもしれない。 「それはっ」 それは。 健太郎自身だけでなく、少女のほうもそれに続く言葉がないことを見抜いており、彼女の前に立って歩き始めた。彼女もそれに続く。 彼女は一度だけ、申し訳なさそうに振り返った。その視線には同情も含まれていた。 (ぐぐぐっ…) 結局、彼女のことは分からずじまい。その連れの小学生には馬鹿にされるし(これは被害妄想)踏んだり蹴ったりである。健太郎は二人の影を見送るしかなかった。 さらに追い打ちをかけるがごとく、背後にはいつのまにか、置いてきぼりにされた部員たちがそろっていた。そして小声で、わざと聞こえるように囁いた。 「…フラれたな」 「ああ…」 ───2週間後。 都内某所。 5階建ての建物の1室。壁に面する窓に背を向けて、阿達史緒は専用のデスクにむかっていた。 「史緒、御園さんから郵便。…組合の例の件のことだ」 声をかけたのは、背が高く長い髪を一本に結んでいる関谷篤志である。その片手には厳封してある白い、少し大きめの封筒が握られていた。電子メールやFAXという手段もあるが、機密性を優先するとなると、郵便は一番確実な方法になる。 「さっすが真琴くん。速いね」 「じゃあ早速交渉、ということでいいのかな」 「ええ。この件は篤志に一任する。日時を決めてここに連れてきて」 ふと、篤志は意外そうに顔をあげた。 「いいのか? 今までメンバーを加える時は史緒の独断…好みで決めてたのに」 「あんまり変な人なら嫌だけど…今回職種にこだわったのは私だし、人格にまで贅沢言えないわよ。篤志がいいと決めたならその人で決定。もし駄目なら組合に突き出すわ。それでいいでしょ?」 笑顔でさらりと恐ろしいことを言う。 「責任重大だな」 御園真琴からの調査結果───顔写真は間に合わなかったが詳細な報告書を見て、関谷篤志は溜め息をついた。 2. 私立宮杜学園高等学校情報処理科。2年8組。木崎健太郎はそこに在籍している。 「木崎ー、いるかー」 パソコン研究部の部室。ドアを開けて入ってきたのは3年生で部長の小林だった。健太郎は読んでいた専門雑誌から顔を上げた。 「うぃーっす、部長。おはようございます」 「なんだ、まだ元気ないのか。よほどフラれたのがショックだったんだな」 「…部長。それ、いい加減引き合いに出すのはやめて」 半月前の秋葉原での事件は、次の日には部内、ひいてはクラスにまで広まっていた。 (どーいう友情だ…) はああああ、と大袈裟に溜め息をつく。 6限目が終わって三十分。この時間にしては今日は集まりが悪かった。室内には三人しか来ていない。 十畳ほどの部室にはパソコンが五台と机と本棚がひしめき合っている。 通常、この手の部活では校内の実習室を部室として使うのだろうが、部のプライバシー保護と活動の自由を立て前に交渉したところ、学校側は快諾してくれた。これによりパソコン研究部は堂々と遊ぶ場を確保したのだった。 部が所有権を持つコンピュータの数はこれだけあればなかなかのものだろう。と言ってもパソコンは実習室のお下がりで、未だに旧OSを使用している。それでもどうにか学校のネットワークに入れてもらい、通信は可能にしていた。 「そーいや木崎君」 部長は突然改まって、だが苦々しい声で健太郎の名前を呼ぶ。 「君が退学になりたいんだったら、そういうヤバい事はうちの部を辞めてからにしてくれないかな」 「え?」 とぼけた健太郎の返答に部長はキレたようだった。 「校内のコンピュータはログが残るんだよっ!」 知ってるだろっ、と念を押す。部長の拳が今にも頭に降ってきそうな勢いだった。 「それで?」 「この馬鹿、下手すりゃ警察沙汰だぞ。学校のパソコンでハックする奴があるかっ」 部長の説教は本音からだ。しかし「学校の」と付くあたり外でならいい、という意味合いにも聞こえる。 部長・小林は先程ホストコンピュータがある3階のコンピュータ室に入り、たまたま置いてあった、プリントアウトしたばかりの通信ログを見て飛び上がったのだった。 部員思いの部長として、証拠隠滅をするのはもちろん忘れなかった。 「あ…そのこと」 「そのこと、じゃないっ。気を付けろよ。まったく」 ハックできるだけの技術を持ちながら、身近での証拠を消すことに頭が回らないところが怖い。健太郎は基本的に悪人になれるような人間ではないようだ。 「あの時はヒマでしょうがなくてさー」 悪びれる様子もなく、健太郎は片肘をついてぼやいた。 「暇なら犯罪するのかっ?」 「…」 ぽりぽりと頭をかく。返す言葉はなかった。 パソコンが登場した初期の頃に比べて、世界中でもハッカーが少なくなっているのは確かだ。コンピュータのメーカーが激増したこと、それにアープンアーキテクチャにより市場が拡大したのはいいけど、そのぶんセキュリティの技術も飛躍的に発展したことなどが起因となる。 「確かに、おまえはコンピュータのことは詳しい。けど見つかったらただでは済まないことくらいわかるだろ?」 「結局どうにもならなかったわけだし。結果オーライということで」 部長は溜め息をついた。このお気楽男の将来が心配でならない。 「…これから、何か起こったりして」 「まっさかー」 と、部長には笑って答えはしたものの、内心、「何か」起こったほうがおもしろいな、と健太郎は思っていた。部長には言わないでおくが、この間侵入した相手方はなかなか怖そうな組織だったのだ。でも極秘とか、門外不出とかの情報を得られたわけでもないから、特に問題は無いと思うけど。 心配性の部長を思って、健太郎は次のような結論を口にした。 「以後、できるだけ気を付けまーす」 その「何か」が木崎健太郎の前に現れたのは、その日から1週間後のことだった。 3. 「どうした? 健太郎」 放課後。部活もなく早々と校門を出た健太郎に、クラスメイトが声をかけた。 「おう」 「最近おまえイラついてるだろ。何かあったのか?」 「まーな」 不機嫌そうに健太郎は答える。クラスメイトは肩をすくめた。 「理由はわからんが、健太郎が悩みを溜めとく、ってのも珍しいな」 「いや、今日こそとっちめるつもり」 真剣な表情で言う。どこまで本気かわからないところが恐い。 しかしなかなかどうして、健太郎はどこまでも本気だった。 クラスメイトと別れ、駅へと続く道を歩きだす。歩きつつも、背後に気配を探るのは忘れなかった。 もう4日目になる。 考えすぎでも勘違いでもない。何度も確認している。 放課後、学校から家にかけて。 どうやら健太郎は付け回されているらしい。 しかもどうやら相手が上手なのか、3日間、どうしても撒けないのだ。面白いはずない。 ストレスが溜まる一方だった。 今日こそとっちめてやる。その言葉に嘘偽りは無い。わざとゆっくり歩いて、例の気配を待っていた。 (居たっ) 下校・帰宅ラッシュに紛れて、ここ4日ほど見続けた顔。大胆にも結構近くを歩いている。自信があるのか、それとも…。 「あー、もう」 深く考えるのはやめることにする。 くるり、と健太郎は180度回れ右をして、つかつかと早足で「その男」へと歩み寄った。近付く間にもその男は視線を合わせない。あくまでしらばっくれるつもりなのだ。 健太郎はその体でもって、その男の進行を止めさせた。 そこで、男は初めて健太郎の存在に気付いたかのように、驚いた素振りで視線を合わせる。 身長は180cm以上で、近付くと視線を合わせる為には、見上げなければならなかった。長髪だが軽薄そうなイメージはない。後ろできっちり束ねて清潔感がある。 「どうして逃げない?」 健太郎は何の確認もせず、その男に詰め寄った。身長差に気圧されるつもりは毛頭無い。格負けするつもりもなかったので、態度だけは大きく、健太郎は睨みを効かせた。 「…何のことだ」 男は表情を動かさなかった。ただ驚きと戸惑いの表情を「作った」だけだ。 周囲から見れば健太郎が通りすがりの男に突然喧嘩をふっかけた形になる。しかし健太郎には、それを気にしないだけの確信があった。 「とぼけんなよ、4日前からつけてたのはあんただろう」 (かわいい女の子ならともかく…) もちろん、これは口にはしない。場の雰囲気というものがある。 人通りの多い歩道の真ん中で立ち止まる二人を、人波の視線は冷たく語っていた。それを気にしたのは相手の男のほうで、街路樹の方へ寄るよう視線で健太郎に伝えた。 人波から外れた所で、男は振り返り、改めて口を開く。 「それで? 何だって?」 男はまだ健太郎の言い分を認めたわけではなかった。しかし逃げる素振りも見せず、健太郎の話を聞こうとしている。…面白がっているようでもある。 「だーかーらっ! オレに用があるならはっきりしてくれ。訳も分からないまま追い回されるのは気持ち悪いだろーが。あんたも、…それにもう一人のほうも、納得のいく理由を説明してもらわないとな」 こういう場合、強気の態度が無駄になったことは無い。しかしこの時、ふんぞり返って偉そうなことを言っても、健太郎は内心気が気ではなかった。 (…オレ、何もしてないよなぁ) もし、この男が(ありえそうもないけど)補導員だとする。健太郎は自分を生真面目な学生とは思っていないが、薬も無免許運転もしてない良識ある高校生のはずだ。捕まるようなことをした覚えは無い。それにもし補導員だとしたら、この男がしらばっくれる理由はないはずだった。 「もう一人…?」 興味深そうに男が尋ねた。明らかに健太郎の発言を促しているのだ。 何だか試されているような気分におちいる。健太郎は不機嫌そうな声を出して答えた。 「4日間、あんたらが張ってたのは分かってた。その間の行動を考えると、一人では無理だからな」 「へぇ」 「学校から自宅まで。男なんか追っかけても面白くないだろーに。…土地鑑を利用して逃げても、追い掛けてこない。まあ、それで対面、っていうのはよくあるパターンだけど」 健太郎が相手の顔を拝もうと、突然街角に隠れても、それにつられてあわてて走ってくるような人物はいなかった。人の波はいつも通り、健太郎に無関心で流れてゆく。それは健太郎にとって期待外れのものであった。しかしそれでも家に帰り着くまで、気配は消えない。 「もう一人、オレを張っている人間がいて、片方が見失っても追えるように保険をかけたわけだろう。下手な尾行で相手に顔を見せるような奴よりは手が凝ってる」 さらにその二人が随時連絡を取っていれば、見失ったほうも再び合流できるというわけだ。追われているほうは一人の気配に気付くと、それに気を配ってしまってもう一人には気付かない。撒いたつもりでもそれで終わりではなかった。 「それに今日、オレが近付いてもあんたは逃げなかった。そんなことしたら、つけていた事実を認めるようなものだもんな」 どーだ、まいったか、という態度の健太郎の講義を男は面白そうに聞いていた。 ひととおり聞き終わると口を開く。 「…驚いた。意外と鋭いんだな」 「馬鹿にしてんのかっ」 「まさか。感心してるんだよ。…知的犯罪者か。さて、どうするか」 最後の呟きは健太郎には届かなかった。 関谷篤志は今までの会話で、少なからず健太郎に好意を持っていた。 おもしろい人間だ。 悪党でも無さそうだし、頭の回転が速く行動力もある。この人物を仲間に加えることは有益になるだろう。人柄も気に入った。 (決断は、やはり史緒に任せるか…) 降参を態度で表すように肩をすくめて、篤志は健太郎に名刺を差し出した。 「こういう者です」 「…」 健太郎はそれに目を通すと、眉をひそめた。 A.co. 所員 関谷篤志 後は住所と電話番号。それだけが書かれていた。率直な意見を返す。 「…何? これ」 大体A.co.とは何だ。会社の名前だろうか。この名刺から分かるのは、この男の名前くらいだろう。 「何、と尋ねられても困るけど…法人でも株式会社でもない、個人会社ということになるのかな。やっぱり」 「あんたの所属だろ? 何やってんの?」 「それも説明が難しい。…何でも屋というか、便利屋というか。興信所のようなものと思ってくれても大した相違は無い。詳しくは、きみがウチに入ってくれたら話すよ」 さらり、と重大なことを言われた気がする。しかも笑顔で。 健太郎は反応が遅れた。 「………は?」 それに答えて、篤志は素直に言葉を繰り返した。 「きみがウチに入ってくれたら話すよ」 「いや、そーじゃなくて…」 「とりあえず暇な時にでも、一度そこに来てくれないか? 顔合わせだとでも思って。ウチの所長にも会わせたいし。詳細はその時に言うよ。それからどうするか、決めてもらって構わない」 すらすらすら、と篤志は話を進めるが、それはかなり一方的なものだった。健太郎はそれに着いて行けず、篤志の台詞を遮った。 「ちょっと待てよっ! …つまり、スカウトしているわけか? オレを?」 「そう」 「どうして?」 「それは後で話す」 「こんな若造を入れて、何か得になるのかよ」 「ウチは若い連中が多いんだ」 歯切れの良い篤志の返答に、健太郎は再び口を閉ざす。しかしその表情には、不敵な、隠しきれない笑みが浮かんでいた。 妙な勧誘でも無さそうだし、目の前の人間も悪い奴ではない。…何より普通とは少し違う生活になるかもしれない。もちろん、それは良いほうの意味でだが。 それに返事は後でいいと言っているのだ。どんな奴らか見てからでも、遅くは無いだろう。 あまり深く考えず、しかしそれだけ計算して、健太郎は篤志に言う。 「いいよ。おもしろそうだ」 それを聞いて、篤志も笑顔を返す。 「じゃあ、次の土曜日。午後1時でいいかい?」 「ああ」 「誰かに迎えに行かせるから、この店で待っていてくれ」 そう言うと、篤志は走り書き程度のメモと、喫茶店のマッチを渡した。 「…多分、三高っていう女が迎えに行く」 「わかった」 健太郎はもう一度待ち合わせの日時を確認すると、じゃあな、と言ってその場から駆け出した。篤志も軽く手を振り、健太郎の背中を見送った。 「篤志さん」 歩きだそうとした篤志の背後から、弾むような明るい声がかかった。 そこには中学生くらいの、おだんご頭の少女が笑顔で立っていた。両手を後ろで組んで、篤志の顔を覗き込んでいる。 「蘭」 「珍しいですね。篤志さんが捕まるなんて」 嫌味ではなく、健太郎のほうを誉めた言い方だった。 「まあな」 篤志は素直に失態を認めた。 そして上体を動かさずに周りの気配をうかがう。健太郎が離れた場所から見ている可能性もあったからだ。それが杞憂だと分かると、篤志は蘭の肩を軽く推して肩を並べて歩きだした。並べる、といっても二人の身長差は30センチ弱はあった。体操選手のようにすらりと背筋が伸びた蘭の歩き方は、見る人が見れば、何か特別なスポーツをやっていると分かったかもしれない。 「…蘭はどう思った? さっきの男」 「いい人だと思いますよ」 深い意味は無い。あっけないほどあっさりと、蘭は笑いながら言い切った。篤志は肩を落す。 「…お前に聞いたのが間違いだった」 この少女にかかっては、世界中誰でも「いい人」になるのだろう。実際、蘭が苦手とする人間は、篤志が知っている限り一人しかいない。 「三佳さんと対立するような性格かもしれないですね」 「それは俺も同じ…というか、あいつと対立しない人間はこの世に一人だけだろ」 いつも顔を合わせる間柄の三佳は、事あるごとに篤志に突っかかってくる。それに起因する出来事ははっきりと覚えているので、理由を追求することもしない。 もし、木崎健太郎が入ることになったら、彼も三佳の毒舌を浴びることになるのだろうか。そう思うと、篤志は今から健太郎に同情してしまう。 「あと、祥子さんが苦手なタイプかも。結構流行の高校生っぽかったし。でも史緒さんや司さんよりは付き合いやすそうですから、そのうち同調するような気がします」 「…」 蘭は身内の分析にも容赦がない。しかし嫌味に聞こえないのが彼女の不思議なところだ。篤志は蘭の人を見る目に、改めて感心していた。 駅までの道を歩く途中、街頭の時計を見て蘭は声をあげた。 「あ、本当はこの後デートしてもらおうと思ってたんですけど、寮の門限もあるのでこれで失礼します」 「ああ。今日は助かったよ」 別に二人は恋人同士ではない。蘭の篤志に対するこういう発言はいつものことなので、篤志は気にする様子も無かった。そんな篤志の態度に、蘭は満足している。 「じゃあ、また明日」 蘭は手のひらを頭上にかかげて、跳ねるように雑踏の中に消えた。 4. 土曜日。 「ぜ───ったい、嫌よっ」 どん、と三高祥子は机を叩いた。 少々オーバーアクションではあるが抗議のほどを見せたまでである。 「まあまあ、祥子さん」 「蘭は黙ってて。だいたい、その木崎って男、まだうちに入るって決まったわけじゃないんでしょ? その人を私が迎えに行くっていうのは、どう考えてもフェアじゃないわ」 その力説を当てられているのは関谷篤志である。唯一、木崎健太郎本人と面識があり、今日の待ち合わせの日時を決めたのも彼だ。 「って言ってもなぁ、もう時間過ぎてるんだぞ」 「それなら、篤志が行けばっ」 「今日、俺は電話待ち。あの時点で今日この時間、暇だとわかっていたのは祥子だけだったんだよ」 「暇で悪かったわねっ」 無意味な言い合いの中で時間は過ぎていく。 傍らで頭をかかえてそれを見ていた川口蘭は、同じく隣りで傍観している七瀬司に囁きかけた。 「あたしが行きましょうか?」 「…いや、僕が行くよ」 は? と司の言葉に全員が振り返る。 その空気にたじろぎもせず、司は微笑した。 「祥子の言うことも一理ある。どういう人間か見ておきたいし、それに…いろいろと試せるしね」 「なるほど」 司の落ち着いた口調には何故か説得力がある。先程まで言い合いをしていた篤志と祥子も賛同した。 司が言い出す、この場合の「試す」事柄は暗黙の了解になっている。 「一口二百円で賭けるか」 「そうすると、賭けるのは時間ってことですね」 「あ、あと、その男がうちに入るか否か、っていうのは?」 メモ用紙と筆記具をひっぱりだして、4人はいつものように相談をはじめる。これは毎度のコミュニケーションで、何故か一番団結力のかいま見える時なのだ。 「じゃ、行って来る」 ひととおり話がまとまると、外に出るときだけ使うサングラスをかけて、司は手を振ってドアの向こうに消えた。 部屋に残る篤志、祥子、蘭はそれを見送った。 「…なんだかんだ言って、司のやつ、楽しんでるよな」 そういう性格なのだ。 同日同時間。 指定された喫茶店はすぐに分かった。環状線の駅の裏口の道を、直進で10分ほどの場所にそれはあった。 『月曜館』という名のその店は、雑居ビルの1階にあった。店の中は明るく、観葉植物が多い。窓が大きく、外からもそれがよくわかる。カウンターの中に多種のアルコールが並んでいるところを見ると、夜間はバーになるのだろう。下手な飾り気は無い。全体的にシンプルで、待ち合わせに最適のように思える。 木崎健太郎は、店の一番奥のボックスに座っていた。 午後1時5分。合い向かいの席はまだ埋まっていない。テーブルの上のコーヒーカップもすでに空だった。 (待たされるのは、嫌いじゃないけどさ) こんなことならパソコン雑誌でも買ってくればよかった、と健太郎は思う。暇を潰すものさえあれば、こんな時間は何でもないものなのに。 ふう、とため息をついて、左腕の腕時計に目を落した時。 「失礼します。木崎さま。ただいまお待ち合わせの方は少々遅れるとの連絡が入りました。もう少々お待ちくださいませ」 ずいぶん丁寧な声がかかる。先程席に案内してくれた、この店のマスターだった。 「どうも」 聞き届けた旨を伝えると、マスターは笑顔で一礼して去っていった。なかなかの好印象。人柄なのだろうか。 さらに5分後。サングラスをかけた青年が店に入ってきた。することもないので、健太郎はその姿を何の気なしに目で追う。青年はカウンターでマスターと言葉を交わし、店の奥へと歩きだす。その手はまるで空気の中を泳ぐように、空中を掻いた。 (…?) 肩肘をついて眉をひそめる。しかしそれはすぐに意味不明な呟きに取って代った。 「げ」 気のせいかその青年は健太郎の方へと歩いてくる。身構えていた健太郎が座っているボックスの前まで来ると、にっこり笑って言った。 「お待たせしました。A.co.の七瀬といいます」 年は20前後。先日の関谷篤志よりは年下だろうか。サングラスをかけていて表情は半分しか見えない。涼しげな口元、穏やかな雰囲気がサングラスと不釣り合いで違和感を感じさせる。 はっきり言って似合ってないぞ。 初対面の人間にそれをはっきり言うほど無神経でもないが、健太郎は別の意味で、堂々と遠慮なく、思っていることを口にした。 「グラサン、外してくれない? 目を合わさない人間は信用しないことにしてるんだ」 敬語を使うことはハナから諦めている。司は健太郎の言葉と口調に少なからず驚いたようだった。一瞬肩が動く。 次にふっと笑うと、慣れた手つきでサングラスを外し、テーブルの上に置いた。 「失礼」 どことなく焦点の合わない瞳が健太郎に笑いかけた。訝しむがそれを追求するほどでもない。 「…初め、女が来るって話だったよね」 「ええ。けど、本人が今日になってごねまして。急遽、代理として僕が来ました」 「…?」 注文もしていないのに、司と健太郎の前にコーヒーが運ばれる。またもやさっきのマスターだった。会釈をして健太郎の前にカップを置き、空のカップを下げた。そして司の少し右寄りに、やたらと丁寧にカップを置く。 「ありがとう」 「どう致しまして」 どうやらこの二人は顔見知りらしい。挨拶を交わすと、健太郎と司の会話を邪魔しないように気を使って、マスターはそそくさとテーブルから離れていった。 「えーと、さっきから話が進んでませんね。とにかく、今日はメンバーと会っていただく、ということで」 「この間の人も言っていたけど、オレ、まだ入るって決めたわけじゃないよ」 警戒しているわけではない。健太郎は8割がた心を決めているのだが、一応予防線を張ってみたのだ。 「もちろん、今日の話し合いの後で決めてもらって構いません。こちらからもいくつか条件を出すと思いますし」 ぺらぺらと話す仕草を見て、健太郎はやはり変だ、と思う。司の行動に何度目かの疑問を感じた。 何が、とは言えないが、七瀬司が目の前で話す姿はどこか違和感を覚える。何かが不自然だ。 (何だ…?) 笑ってはいるが一線引いているような言動。好きになれないタイプだ。 男を相手に好きなタイプも何も無いが、この間の関谷篤志とは全く違う人種だ。この二人が仲良く話すシーンは、どうも想像できない。 それとも初対面の健太郎相手だから、よそよそしいだけだろうか。 司の喋る内容も理解しつつ、頭の中ではそんなことを考えていた。 そして二人のカップが空になったころ、司は再びサングラスを耳にかけた。 「そろそろ、行きましょうか」 レシートは当たり前のように、司の手におさまっていた。 健太郎もそれに倣って席を立つ。司の後に続いた。 「お帰りですか、七瀬さん」 カウンターからマスターが顔をのぞかせる。 「ああ。また夕方寄るかもね」 「みなさんによろしく」 会計を済ませながらそんな会話を交わした。司が歩き始める。健太郎もそれに続く。 そして司が風除室へ続くガラスのドアに手をかけた時。 「あ、そこに新しいプランター入れたんですよ。お気を付けて」 マスターが声をかけた。 何気ない一言だった。 「うん、いい匂いだね」 司は答えて、今度こそ本当にドアを開き、二枚目のドアも越えて店の外に出て行った。 (……?) 些細な会話だった。深い意味も無い。それなのに先程の言葉は健太郎の頭に妙に引っ掛かっていた。 正体のはっきりしないものを抱えながら、健太郎もドアを通り抜ける。そこには、さっきマスターが言っていたプランターが、綺麗に花を咲かせていた。 新しいプランター入れたんですよ そんなこと、見ればわかる。 「…っ!」 はっ、と健太郎は、目の前を歩く七瀬司を凝視してしまった。 (まさか…) そう思いつつも、一度行きあたった想像をかき消すことはできない。 まさか。 七瀬司の後ろ姿は外に消えていた。普通に歩いている…ように見える。 バンッ、と健太郎は最後のドアを、力任せに押し開けた。 そして叫ぶ。 「まさかあんた、目が見えないのかっ!?」 幸い通りに人は少なかったので、健太郎の声に立ち止まる人はごく少数だった。それを気にも止めず、健太郎は司の反応を待つ。 有り得ないことだと思った。しかしもしそれが正解なら、全ての疑問にかたが着く気がする。 既に通りを歩き始めていた司の足が止まった。それに追い付くように健太郎は喫茶店のドアから早足で駆け寄る。 すると何を思ったのか、司は懐から携帯電話を取り出し素早く3つ程ぼたんを押した。 『1』を2回。『7』を1回。 常識ある日本人なら、誰にでも分かるだろう。 時報だ。 電話に耳を傾ける司の不可解な行動に、健太郎はついていけないでいる。質問にも答えない態度に何か言い掛けたが、司の呟きのほうが先だった。 「15分か…。意外に早かったな」 「おまえなぁっ!」 説明するという言葉を知らないのだろうか、この男は。 司は電話を切ると、健太郎に向き直った。 そして。 「あたり。実はなんにも見えない」 サングラスを外して、司は健太郎に笑ってみせた。バレたか、とでも言うようにその笑顔は今までのとは違い、子供っぽく見えた。心なしか声も明るい。 「…っ!」 健太郎は言葉を失う。不覚にも呆然として、先を歩く司に遅れをとってしまった。 (騙された…っ) 別に騙されたわけではないが、健太郎は心の中で拳をつくる。 猫をかぶっていたというわけか。それが健太郎の結論だった。 どーいう人間だ。 (つっ…疲れる…) 一杯食わされたことになるんだろうか。認めたくはないけれど。 「見栄を張って杖を持って来なかったんだ。それが裏目に出たかな」 そんな風に言う。 (見栄…って) こんなことに張るもんじゃないと思うけど。 一枚はがれても、やはりわからない人物である。 「さ、行くよ。木崎くん」 5. 先程の喫茶店から歩いて1分もかからなかった。というか、その喫茶店の5軒隣りにその建物はあった。5階建てで1階は駐車場になっている。白いバンが1台とまっていた。2階にはベランダが見える。 建物の名前はどこにも書いてない。 周囲はよくある、『テレビで映っているような都会風景の場所から一歩はいると住宅地』という典型的なところで、近所は似たような4、5階の雑居ビルとアパート、そして店舗経営の個人宅が、広くない道路をはさんで並んでいた。 「ここだよ」 七瀬司はそう言うと、きびすを返して駐車場の横の階段に足をはこんだ。健太郎は3歩遅れてその後を追う。 フロアヒンジのドアを開けると。すぐ階段になっている。踊り場を通り2階へと続く。階段を登り切ると、シート床の廊下がまっすぐのびていて、その脇にはいくつかのドア。 一つ目のドアには『A.co.』と活字で書かれていた。 それを無視して司は二つ目のドアの前で止まる。 「手前は応接室、こっちが事務所なんだ」 司の手によって扉は開かれた。 (おおお…) 木崎健太郎の現在の心理状況を文字で表すなら「どきどき」というのが一番妥当と言えよう。これから仲間になるかもしれない連中がこの中にいるのだ。これから平凡でない生活を共に送るかもしれない仲間達が。 (こーいう緊迫感が欲しかったんだよ、オレはぁ) その思いをジーンと噛みしめて健太郎は敷居をまたいだ。 部屋は結構広い。だいたい教室と同じくらいの広さであるが三方に本棚と書類棚、そしてロッカーが置かれている。それらの間には窓と、別の部屋につながるドア、中央にはソファ類があり、その奥にはいかにも一番偉い人間が座るような机が置かれていた。その机の後ろには窓があり、この時間ちょうど西日が入るのでブラインドがかかっていた。三つのドアのうち一つはガラスの引き戸で、その向こうにはベランダが見える。 そして、この間学校にやってきた背の高い長髪男・関谷篤志と、どう見ても高校生の女が二人、ソファに座っていた。肩までのウエーブの髪でセーラー服の美人。そしておだんご頭で屈託のない笑顔でチャイナ風の服を着た少女。 (本当に若い奴らばかりだ) 聞いてはいたが健太郎が驚くのも当然だ。一番の年長者と思われる関谷篤志でさえ、二十そこそこだろう。 「どうぞ、入って」 七瀬司はサングラスをはずすと隅の棚に置き、奥へと進んだ。その足取りは視力の悪さを感じさせないほど滑らかなものだった。 「三佳はまだ?」 司が一同に尋ねる。答えたのは篤志だった。 「戻ってない。昨日仕事が入ってたから、たぶん買い物だろう」 「史緒さんもまだでーす」 おだんご頭が手を挙げて言う。 「まったく、人を呼びだしておいて遅刻するなんて非常識よ」 吐き出すように棘つきの声で悪態ついたのはセーラー服女子高生。 そのきつい言動に健太郎は少なからず驚いて、 (いいのは顔だけか…) と心の中で舌打ちしていた。すると。 突然、キッと女に睨まれた。 (え…?) 何もしてないのに…と健太郎は焦って一歩退いた。先程の舌打ちが表情に出たのかとも思ったがそれも違う。セーラー服女子高生はこちらを見ていなかったはずだ。 あたふたしている健太郎の態度を見やると、ふん、と聞こえそうな態度で女は視線をもとに戻した。 (何だったんだ…。…変な奴) しかし健太郎はまだ詳しく知らされていないが、この連中が何らかの事業───経営を行っているのだ。 そう思うとただ者ではない気配を感じずにはいられない。 (世の中知ってる世界だけじゃないわけか) 改めてこの雰囲気を感じると、勧められた席に健太郎は座った。とりあえず周りの人間を観察することにする。 「どうする? メンバー紹介でもしようか?」 することもないので司が提案した。 「それは史緒が来てからにしましょう…それより司、何分だった?」 「15分」 「一番近かったのは蘭だな」 「らっきー、倍率きっかり3倍で千二百円」 「ちょっと、まさかグラサン外さないで来たんじゃないでしょうねぇ、それだったら無効よ」 「違うよ、要因はマスターとの会話」 「もお、マスターのばかー」 (ちょっと待てっ!) これまでの一連の会話の中でひっかかるものを感じなければ、少し鈍いと判断されてもおかしくない。かちんときた健太郎は低い声で会話を中断させた。 「…つまり、なんだな。オレ、賭けに利用されたわけか」 「そう」 さっきの睨みからその態度を継続してか、セーラー服は嫌みを効かせてひとこと簡潔に言った。 (この女…っ) 「もぉ、祥子さんっ」 二人の間の険悪な雰囲気をたしなめるように、おだんご頭が口を挟んだ。次にフォローを健太郎に向けて返す。 「利用するなんて人聞きの悪い…。えーと何て言うか…。ね? 司さん」 「まぁ、いわゆるテストだったわけ」 司は苦笑しながらそう言った。テスト、という単語もあまり人聞きの言い言葉とは言えないと思うのだが。 その言葉を引き継いで今度は篤志が口を開く。 「つまり司の目のことに気づくまでの時間も、『A.co.』に入れるだけの人物かどうかを見る試験の点数というわけだ」 利用していたわけでなく試していた、と言うのだ。健太郎はそれでも釈然としないものを感じるが、とりあえずそれ以上は突っ込まないでおく。 ついでにその試験とやらを利用して、四人が賭けを行っていたことは全員否定しなかった。 (…いい性格の人たちみたい、だな) 顔を歪ませて乾いた笑い声をたてた。 その時、奥の机の上の電話が鳴った。 当然のように篤志が立ち上がり、コール3回で受話器をとる。 「はい『A.co.』」 『私だ。木崎健太郎が来ているか聞けと史緒が言ってる』 偉そうな口調とは裏腹に妙に高い少女の声が聞こえてくる。名乗らなくても篤志には相手が誰だか分かっていた。 「来てるよ。さっき司が連れてきた」 『史緒と途中で合流して今タクシーの中にいる。そこまで5分かからないと思うからもう少し待っていてくれ』 「わかった、じゃあ」 そこで会話は途切れた。受話器を置いて向き直る。 「三佳から。あと5分くらいだそうだ」 「史緒は?」 「一緒らしい」 それらの会話を聞いても木崎健太郎は何も聞かされていないので、半分も理解できるものではない。それでもここのメンバーからなのだということはわかった。 健太郎はこの部屋に入ってから与えられた情報を自分なりにまとめてみたりする。これは日頃健太郎が行っているデータベースやコンピュータ言語などから、理論的に考える癖がついているためだ。 どうやら全メンバーの数は6人になるらしい。関谷篤志、七瀬司、そして祥子と呼ばれたセーラー服の性格が悪そうな美人と、どうやらそのフォロー役らしいおだんご頭。それから先程の電話をかけてきた三佳という人物と、それと一緒にいるらしい史緒。 (話の前後関係から、ここの一番の権力者はどうやらシオと呼ばれる人物。そのシオをあまりよく思っていないらしいショウコ。…そんなところか) 自分が知らされている状況からここまで分かれば上出来だろう、と自画自賛して、健太郎はそこで考えるのをやめた。しかし。 (…あれ?) 何かひっかかる。 (何だ?) 先程の電話の件で、微かに聞き覚えのある単語があった…気がする。 すぐそこまできているのに思い出せないもどかしさが健太郎を支配する。記憶力に自信があるわけでもないけど、絶対、知っている単語があったはずだ。 結局、その単語を思い出せないまま時間は経過した。 そして電話があってから3分後、七瀬司が口を開いた。 「来たよ」 それは本当に突然で前触れのないものだった。篤志はその言葉を聞いて腰を上げる。 「意外と早かったな」 「遅い、っていうんじゃないの? この場合」 すかさず祥子が皮肉を返す。 健太郎は残りの二人が来たのだと察し、ドアのほうに目をやったが、それとは裏腹に篤志は奥の窓の方へ向かい、道路を見下ろす。 「今タクシーが止まった。…三佳が走ってくる」 篤志の実況中継に健太郎は目を丸くした。 (あ、そーいうことか…っ) 七瀬司が「聞いた」のは、窓の外の数十メートル近く離れた場所を走るタクシーの音。 てっきり足音でも聞こえたのかと思いドアのほうを見たのは健太郎だけだった。ほかのメンバーたちは司の感覚を知っていたから当然のように篤志の言葉を聞いた。 (恐ろしく耳がいい、ってわけだな) 確かに、目が不自由な人は、それを補うように耳がよくなるという。 その通説をふまえても、七瀬司の聴覚の良さは少々異常ではないだろうか。 「どっちが先に入ってくるか賭けようか?」 「あはは、絶対三佳さんだ」 「蘭の言うとおり、賭にならないでしょう。それは」 実際やってらんないわよねー、と祥子が深々と溜め息をつく。 「…?」 祥子の言葉の意味がわからないまま、次に健太郎はドアからの軽い足音を聞いた。 ばたん、と勢いよくドアが開かれた。 「司っ」 と、小さい人影は入ってくるなり名指しで司のもとへと駆け寄った。 (え…?) 健太郎は目を丸くする。それは入ってきた少女が想像以上に若かったからだ。 (ええ─────っ) いくらメンバーの平均年齢が低いと言ってもこれはないだろう。 「やあ、三佳。おかえり」 当然のように司は島田三佳を抱き上げた。そう、決して大柄とは言えない司が軽々と抱き上げたのは、まだ小学生の女の子だった。 「ただいま」 少女は笑った。 「…毎度これだもん。あの二人」 三高祥子が何度目かの溜め息をつく。なるほど、確かにこれは「やってらんない」状況かもしれない。 あれ? 健太郎はふと、忘れかけていた何かを思い出した。 司に抱きついている少女。…見覚えがあるかもしれない。 (名前は確か「みか」) 聞き覚えがあるかもしれない。 生意気そうな顔。さきほどの声。今、司と話している口調。 数週間前、秋葉原の例の「彼女」と一緒にいたガキ…。 (まさか) 健太郎のここでいう「まさか」とは、三佳があの時「彼女」と一緒にいた奴では、という意味ではない。 (まさか…っ) もしかしなくても、もう一人のメンバーである「史緒」とは…。 「彼が木崎健太郎だよ」 司がその腕から三佳を下ろして告げる。 床に立つ三佳。健太郎はその姿を見下ろして表情をぎこちなく歪ませた。 …やっぱりあの時のガキだ。 「あれ、こいつは…」 前髪をかき上げて健太郎の顔を見る。どうやら三佳のほうも記憶に残っていたらしい。 「ああ」 ぽん、と手を叩く。そして健太郎を指さして。 「史緒をナンパしてた奴」 沈黙。 「ええ─────っ!!」 この部屋にいた、三佳本人と司以外の人間が同時に叫んだ。 「はじめて聞きましたー、史緒さんの色モノ話ー」 「あんたっ、シュミ悪いわよ。絶対っ」 「…怖いモノ知らず、って気もするな」 蘭、祥子、篤志の順にそれぞれ思うところが違うものの、皆驚きを隠せない。 「ちっ…違うっ。あれはナンパなんかじゃ…っ」 「じゃあ何だ?」 あの時と同じ、三佳の質問。不覚にも健太郎は言葉に詰まってしまった。 「…おまえ、そうとう性格悪いな」 「今に始まったことじゃない」 腕を組み平然と、三佳は答える。この部屋に入ってきて、司に見せた笑顔はどこへやったのだろう。 (このガキ…っ) 小学生の子供が自分より格が上、とは絶対に認めない。 健太郎はそう思っていても、小学生とまともに張り合っている自分を自覚できなかった。 そしてもう一度、ドアが音をたてて開いた。 「大声だして何があったの?下まで聞こえたけど…」 今度は健太郎と同年輩の女が入室した。 健太郎が想像したとおりの人物だった。 「史緒、こいつが木崎健太郎だってさ」 「三佳? 呼び付けは失礼だっていつも…───」 史緒の声はそこで途切れた。見慣れてない木崎健太郎の顔を凝視する。 (やっぱり…こういう展開?) 健太郎は、目の前の「彼女」の視線に居心地の悪い空気を覚えながらも、これからの生活が充実したものになることを予感した。 「あなたが…木崎くん?」 半ば絶句したように、ここの所長である阿達史緒は呟いた。 * * * 「A.co.所長の阿達史緒です。おおまかな事は篤志に聞いたと思うけど、いうなればうちは『何でも屋』。興信所のような身元調査や家出捜査もするし。うちは変わった特技を持ってる人間が多いから、たまに護衛とか取引立ち合いも引き受けたりしてるの。あとは状況によってさまざま。もちろん、知名度のないウチに直接依頼にくる人は少ないわ。…親会社、というか、仕事をくれる会社があるのよ。いわば、うちは下請け。向こうは仕事は受けるけど、それを処理するような組織じゃないから…窓口のような役割をしてくれているわけ」 懇親丁寧な説明を健太郎は聞いた。 いくつか挙げられた仕事内容は、よく分からないものも混じっていたが、組織関係は納得できる。 阿達史緒は事実、A.co.に木崎健太郎をスカウトしているのだ。 「ところで、どうしてオレを?」 もっともな質問だった。史緒はくす、と笑って答える。 「あなた、ハッカーなんでしょ?」 「ぎく」 健太郎は一歩退いた。こんな所でその事が指摘されるとは思ってもみなかった。 (そういえば、あの時の侵入先って…) 「そう。もう一月ほど前かしら。あなたが学校のパソコンでTIA本部のネットに侵入したのは」 「TIA…?」 「この業界の協同組合の名前。あなたのことは既に有名よ。まぁ元々とある筋のパソコン仲間の間では有名な存在らしいけど」 手元の資料をめくりながら史緒はペンを走らせる。 「いやそれほどでも」 「ほめてないわよ」 にっこり笑って突っ込む。その笑顔には年季さえ感じられた。 妙な沈黙が生まれる。何というか、一応ツッコミに思えなくもないが、厳しい指摘を受けたような印象も受けた。 (どういう人なんだ) どうも健太郎にはうまくつかめない性格の持ち主。 メンバーの一人、祥子はどうやら本気で史緒のことを嫌っているらしい。先程からソファに座ってそっぽを向いている。おだんご頭・蘭はその傍らでにこにこしながら史緒の話を聞いてるし。何やら不思議な間柄の司と三佳は、史緒のことをそれなりに信頼しているようだけど、三佳は以前、史緒のことを「おまえ」呼ばわりしていたし。 (どういう人たちなんだ…) 「TIAのほうは、とっくに木崎くんの身元は調べ上げていたのよ。本部の情報を見られて黙っているわけにもいかなかったんだけど…。特にそれに伴う被害があったわけでもないし、おまけに相手は高校生だし。組合は大袈裟に騒いで不祥事が表沙汰になるのを恐れていたし。そこで、あなたの始末をどうするか会議まであったんだけど、なかなか決まらなかったの」 「そっ…そこまで大事になってたのか…?」 「そりゃそうよ。一応、情報業だもの」 ハッカーに侵入されたなんて噂が流れたら信用に傷が付く。できれば内輪で解決したかったのだ。 「そこで、そんなに優秀な人材なら、うちで引き取ろうと考えたわけ」 「は?」 「一応私の、ひいては組合の監督下に入るわけだから、勝手な事はできないし、それにちょうどうちも情報管理できる人材を探していたから一石二鳥。…どう? 加わってもらえるかしら」 阿達史緒の目の色が変わった。「所長」を名乗るのは伊達ではないらしい。 健太郎はその視線を受け止めて、しばし考え込んだ。 …もしかして、いいように利用されるのかもしれない。 これは健太郎の杞憂かもしれないが、結論を急ぐのは危険だと考えた。自分のしでかした事件と裏にある組織の大きさを考えれば無理もない。 阿達史緒を相手に本音を探るのは無理だ。何故か健太郎は素直に史緒の格を認めていた。 健太郎をメンバーに入れることで得る利益は? 「一応聞いておきたいんだけど、もしオレが断ったらどうなるわけ?」 「それは構わないけど、組合本部に引き渡すことになるわ」 「それ、脅迫っていうんじゃない?」 明らかに警戒の色を見せた健太郎に史緒は口を閉ざす。 「…あのね」 安心させるかのように、史緒はくだけた表情を見せて、はあ、と息をついた。 「勘違いしているようだけど、私たちはあなたの能力を必要としているの。学校生活が大切っていうなら、仕事が入ったときだけここに来てくれるだけでいいし、給与もちゃんと払うわ。ただし、けじめはつけてもらうけどね」 「…」 このときの史緒の言葉を、健太郎は信じたい。信じることにした。 (そうだ…) 何かやりたいと思っていたのだ。 高揚感をもってここの扉を開けたことをすっかり忘れていた。 つまらなくなくなる生活。新しく始まる何か。 仲間を得ることを、望んでいたのだ。 「…わかった。やるよ」 健太郎は微笑んで史緒に右手を差し出した。 「ありがとう。助かるわ」 史緒はその手を受け取り、握手を交わした。 ───木崎健太郎。A.co.に加入。 「結果は、加わるだな。断るに賭けたのは?」 「私よっ。…史緒があそこまで説得するとは思わなかったわ」 「祥子は私情をはさみすぎるんだよ」 「あ、でも史緒さんがケンさんのタイプの人だった、っていうのは意外でしたね」 「史緒の好みではなさそうだがな」 「三佳…おまえなぁ」 史緒と健太郎以外のメンバーが輪になって掛け金の清算をしているのを、二人は傍らで見ていた。賭けに参加していないはずの三佳も、輪に加わって茶々を挟んでいる。 健太郎の肩が小刻みに震えているのを見て、史緒は苦笑する。 「ああいう人たちなのよ」 「…あ、そう」 (考え直したほうがいいかもしれない…) |
02話「7人目の男」 END |
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