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14話「ken1」 |
会議が終わった後の室内はしんと静まり返っていた。 つい先刻まで、休憩を挟んで2時間弱、37名が質疑応答報告などを繰り返していたときの雰囲気と違うのは当然だった。 冷えた空気が漂う部屋に人気はなく、いつもより部屋が広く感じられる。70坪ほどの部屋の中心にはあまり機能的とはいえないドーナツ型のテーブル、その外周には白い椅子が37個並べられていた。一面を占める窓にはブラインドが降りていて、昼間だというのに室内は薄暗い。 今はその中に3人の男が佇んでいた。 年齢は共に壮年を越えた初老の面々で、60代くらいだろうか。それぞれ名の通ったブランドのスーツを着ていた。 「アレの価値を誰より早く見抜いたのが、あの小娘だったというワケか…」 3人のうちの1人が、ぼそっと呟いた。 「確かに、事件が起こった直後は排除することばかり考えていたが、吸収するというやり方もあって、それを成功させて見せたわけだな」 「桐生院が紹介してきた若造3人…。邪魔にはならんが目障りではある」 「それにあの小娘の後ろには、國枝藤子がいるしな」 そんな会話が交わされていた。 先刻の会議は、上は64歳、下は17歳の老若男女入り混じる面々によって取り行われていた。 新宿にあるこのビルのこのフロアにはこの会議室の他に4部屋あり、それらを含め、とある協同組合が所有しているものだった。先刻の会議はその協同組合に参加する37のグループの代表者が集まったもので、月に一度、定例会として行われている。それが無事に終わり解散となった今、ここにいる3人は37代表に数えられる人間で、さらに本部役員とも呼ばれていた。 「あの小娘が、とか言われてるんだろうな」 そしてここにも37代表に数えられる3人が、肩を並べて廊下を歩いていた。阿達史緒(17歳)、御園真琴20歳)、的場文隆(21歳)。言うまでもなく、組合37代表の中では最年少になる。 「いいわよ、言葉通り小娘、本当のことだもの。ご老体たちのヒガミくらい、聞いてあげてもいいわ」 文隆の言葉に史緒は不敵に笑ってみせた。 各代表のうち女性はわずか5名、そのうちの一人、そして未成年。阿達史緒の行動はいちいち目立つらしく、さらに最近では二月前に史緒が提案した計画がうまくいっているのを知って、それをよく思わない連中が増えているらしい。とくに年配層に。 「けど、俺も、ここまでうまくいくとは思ってなかった」 文隆が嘆息した。そして真琴も笑う。 「史緒のことだから単に人助けってことは無いだろうけど? A.CO.が受け入れなかったら、どんな処分になってたか知れないし、彼」 「…真琴くんが言うと、それ、単なる人助けだろう?って聞こえるけど」 「そう言ったつもり」 「…」 どうもストレートに話が通らない会話に、史緒は黙ってしまった。 「まぁ、真琴のところもあの事件で、手を貸した割に採算合わなかったから文句を言いたくなるのは分かるけど」 「別にあれだけのことで利益を上げようなんて思ってないよ。僕もまりえも納得してる。単に、史緒のところに面白い人材が加わって良かったね、という話」 「伝わってないわよ、全然」 文隆と史緒は諦めたような笑いをした。 3人は若くして責任者という立場上、日頃から砕けた喋り方はあまりしない。しかし3人揃っている時はわざとこんな風に会話を楽しんだりする。それは確かに本来の彼らの姿ではなく、無意識の演技であるけれど、気が知れている者どうし、こんな駆け引きも悪くはない。 「あれ? 史緒。帰らないのか? 送っていくけど」 地下駐車場とは逆の方向へ進む史緒に文隆は尋ねた。この3人の中で運転免許を持っているのは文隆だけだ。 「会議で噂になってたうちの新人をここへ呼んでるの。桟宮さんに挨拶させなきゃ」 「木崎くん? 彼、ここに来てるの?」 「できれば本部には近寄せたくなかったんだけど、ネットワーク関連の業務となると桟宮さんの所に通わせなきゃならないし」 史緒は苦笑いしながら言った。 文隆と真琴が健太郎に会っていく、と言うので揃って正面玄関に向かった。 「木崎くんって、元々とある筋では有名人だったらしいじゃないか」 「そう。パソコン通信で全国に知り合いがいるって言ってたけど、どうやらそれも嘘じゃないらしいの。しかもその知り合いっていうのがどれも地元の情報網を握ってるような人たちばっかり」 溜め息をついて史緒は答えた。 「それはすごいな。仕事でも役立つこと多いだろ?」 「…それはそうなんだけど…。本人が自分の特殊性に自覚がないのよ。それからこの業界に属してるという心持ちも。…いつか何かやらかすんじゃないかと思うと気が気じゃなくて」 正面玄関の自動ドアを抜けると、そこには所長の心内など全く考えていないであろう木崎健太郎(17歳)が、ガードレールに腰かけて手持ちぶたさで待っていた。 その姿を目に入れた一瞬、史緒は凍りついた。その理由を、両脇の2人は察した。 些細なことだけど、普段なら気にもしないけど、…場所が場所だ。TPOという言葉もあるだろう。 健太郎は史緒に気付き、腰を上げて軽快な足取りで走ってきた。 「おせーよ、史緒」 確かに、指定した時間より5分ほど遅れた。史緒はそれについて謝ることを忘れた。 「あれ、えーと的場さんに御園さん。こんちは」 軽く頭を下げる。このあたりはまあ合格とする。 「やぁ」 「こんにちは」 2人は史緒の心中を察しつつも笑顔で挨拶した。 「……制服で来たの?」 やっと、史緒は低い声で言うことができた。 健太郎は詰め襟学生服に白いブルゾン、派手なステッカーが貼ってある学生鞄を脇に抱えていた。 「学校帰りだったから」 「いいけど、目立つわよ」 「なんで?」 「…」 史緒は額に指を添えて溜め息をついた。 * * * 「これ、パスカード。なくさないでね」 史緒と健太郎の2人はエレベータで8階へと向かう。史緒は健太郎に磁気テープ付きのプラスチックカードを差し出した。キャッシュカードやクレジットカードのように、直接プラスチックに文字が打ち付けてある。Kentarou-KIZAKIとあった。専用に作られたものらしい。 「組合のフロアに入るには必要なのよ。うちの事務所では私とケンしか持ってないわ」 8階に着くと、史緒は奥へは進まず、エレベータホールの隅にある自販機の前に健太郎を連れて行った。史緒は自販機にコインを入れて、健太郎にボタンを押すように示す。奢り? という健太郎の視線に、史緒は頷いた。 「ここに入る前に一通り聞いて欲しいの」 健太郎はアイスコーヒー、史緒はホットにした。簡易テーブルの両脇に座ると、史緒は喋り始めた。 「まず、この組合の説明だけど。名前はTIA…東京情報業管理組合ってところね。興信所や探偵事務所、単なる情報屋や便利屋などが参加していて、現在、参加グループは37あるわ。A.CO.もそのうちの一つ」 「結構、少ないんだな」 「そうね。東京の情報業企業は大小合わせて何千とあるから。…いくつか理由があるけど、まずこの組合に参加するための審査がとても厳しいの。それから、普通、情報業っていうのは守秘義務が絶対でしょう? その情報を管理するような組合があること自体が既に普通じゃないのよ。そういう意味で、TIAが異常視されてるところもあるわ」 「A.CO.が参加している理由は?」 こういう時、何度か驚かされているが、健太郎は頭の回転が速い。的確な質問が返ってくるのは、状況を理解している証拠で、話している側としても助かるものだ。 「まず、A.CO.を立ち上げる時にTIAに参加するという条件があったこと。それに組合に入ってるっていうのは、仕事の信用にもなるの。この仕事は報酬の定価が無いからぼったくるような所もあるし、その点では組合に入ってるほうが依頼人に安心され易いのよ。それから仕事の斡旋もあるし、それにここのデータベースはやっぱり魅力的よ」 「データベース?」 「そう。これからケンに関わってもらうことになるもの」 「へー」 「データベースは大きく二つあるの。一つは本当の意味で共有している情報。これは些細なことから大きなことまで、…都内の地図から多方面のブラックリストまであるわ。そうそうハッカーのリストもあるわよ」 史緒は何故かそこで微かに笑った。 「それともう一つ、どのグループが何の情報を持っているか≠ニいうデータベースがあるの。例えばある人物の身辺調査をするにしても、他のグループが事前に同じ依頼を受けていてその情報を持っているかもしれない。また調べ直すなんて、組合から見ると二度手間に見えるでしょう? そういうことがないように、情報を持っているグループを参照して、そこから情報を買えるように交渉するわけ。事情があって売ってくれない場合もあるけどね。それに他グループから情報を買っても、それをそのまま依頼人に渡すわけにはいかないわ。最低限の裏付け調査をして、間違いや内容の更新が無いかを確認する。つまりデータベースに情報そのものが置いてあるわけじゃないの。そういう意味で、情報業としての守秘義務を守っているわけ」 「なるほど」 カラになった紙コップを弄びながら、健太郎は呟いた。 「…一つ、聞きたいんだけど」 「何?」 「さっきから、後ろを行き来するやつらが、こっちを見ていくのは何で?」 それは史緒も気になっていた。このフロアを行き来する人間はTIA関連の人物でしかない。エレベータホールにいる2人が注目を浴びる理由を、史緒は分かっていた。 「理由は二つあるわ」 「なに?」 「一つは、学生が何故こんな所に? っていう視線」 健太郎は自分の格好を見て、それを納得した。本人は別に全く気にしていないが。 「もう一つは?」 「阿達史緒が同年代の男性とお茶してる、って驚いてるのかもしれないわね」 「それがそんなに物珍しいことなのか?」 「物珍しいっていうより、意外なのよ」 「?」 健太郎は何か言いたそうだったが、史緒はわざと無視した。 「もう一つ、言っておきたいことがあるの」 「まだ、あんの?」 「ケンはここで色々なことに関わることになるけど、ここで見聞きしたことはA.CO.には持ち込まないで欲しいの」 「なんで?」 「理由が必要?」 「勿論。人に禁制を教えるときは理由も教えないと、禁制自体の輪郭が定まらない」 「穿った言い方するのね。分かったわ」 史緒は椅子から立ちあがり、小声で言った。 「私は皆に、ここの事をあまり知られたくないの」 「何それ」 「理由は個人的な理由。プライベートはケンに話す必要はないわね」 「あのな…」 つまり、説明する気が無いということだ。 「そろそろ行きましょう」 「はいはい」 諦めて健太郎も立ち上がる。 「今日ここでネットワークセキュリティの総括者に会って、その人から説明してもらうから。その後は、まりえさんの所に寄って仕事の引継ぎよ」 「まりえ…って、俺が来る前に外注で頼んでたっていう人だっけ?」 「ええ。さっきの真琴くんのところの一人」 まりえ、という名前は何回か耳にしたことがある。けれど実物出会ったことは一度もなかった。 ふと、思い立って健太郎はまた質問してみた。 「この組合の仕組みはだいたい分かったけど、的場さんと御園さん…桐生院のほうはどうなってるんだ?」 ぴたり、と、前を歩いている史緒が立ち止まった。振り返らずに、背中が答える。 「ケン。もう一つ言っておくけど」 「なに?」 「ここではその名前を口にしないで」 エレベータホールから奥の廊下へ行く途中にはカードリーダーがあって、そこにカードを通さないと奥へは進めないようになっていた。守衛の制服を着た体格の良い男が立っている。玄関口なら様になっただろうが廊下に一人立っているというのは、少々滑稽に思えた。史緒は慣れた手付きでカードを通し、守衛には目もくれなかった。 広い廊下の両脇にドアがあり、そこに部屋があるのだと分かった。何人かとすれ違う。史緒は軽く頭を下げるだけで足を止めることはなかった。相手のほうも無表情に視線をやるだけだったが、史緒の後ろの健太郎に気付くと、少しの驚きを表していた。理由は、「学生が何故こんな所に?」であろう。 一番奥の部屋で史緒は立ち止まった。 プレートには「電算室」と書いてある。 (今時…?) と健太郎は少なからず驚いた。 史緒がドアをノックすると、中から男の間延びした声が聞こえた。誰? と。 「阿達です」 シュッと、軽い音をたててドアが左側に引っ込んだ。驚くことにここだけ自動ドアだった。 途端に、微かだが空気が揺れ、微音が耳につきはじめた。それはこの部屋の中の空気だった。健太郎のよく知っている空気で、それはコンピュータの冷却ファンの回転音だった。 入り口から見た限りではワークステーションが3台と、パソコンが5台置かれていた。そのうちアップル社のマックが1台と、ヒューレット・パッカード(HP)社が2台、国産最新モデルが1台、もう1台は無印だった。自分で組んだのだろうか、多分、DOS/V機だろう、と健太郎は思った。部屋の中は白を基調に、窓にはブラインドが降りていた。 「桟宮さん? どちらにいらっしゃるんですか?」 史緒が部屋の中に問う。人影がなく、視界にはコンピュータしかない。 「ここだ」 部屋の奥から声が聞こえた。 「ドアを開けたら顔を見に来てください。セキュリティを疑われます」 半ば呆れた声を上げつつ室内に足を踏み入れる史緒に、健太郎はついていった。 部屋の中は狭苦しかった。面積を占めているのはコンピュータや本棚で、人がやっと通れるような通路しかない。 (ここが「本部のコンピュータ」、か) 漠然と健太郎は思った。 「ご要望通り、木崎を連れてきましたけど」 部屋の奥の奥。A5版ノートパソコンに打ち込みをしている男がいた。史緒はその男に向かって言った。 ブラウンのセーターにグレーのスラックス。休日の中年サラリーマンといった風貌だった。健太郎はそのような印象を受けた。年齢はその印象通り、30代半ばだろう。眼鏡をかけていて、いかにも所帯持ちというような落ち着きと優しさが表情に表れていた。 やっと彼がパソコンから顔が上げたので、史緒は健太郎を示して言った。 「桟宮さん。彼が私のところの新人で、木崎健太郎です」 「…ふーん。例の少年か。本当に高校生なんだな」 低すぎない、テノールの声だった。それから、優しそうという健太郎の認識は間違っていたかもしれない。眼鏡の奥の厳しい表情が健太郎を観察する。どう平和的に考えても歓迎されているようには見えなかった。それに、例の、とはどういうことだろう。 「で、ケン。この人は桟宮肇さん。組合本部のコンピュータネットワークのセキュリティ総括者なの」 「どーも」 さして面白くもない様子で、桟宮は目を細めて言った。 「君は今度から週一ここに出入りすることになるな。…パスカードは貰っただろう? 君のIDで開くようにしとくから、次からは勝手に入ってくれ」 「はい」 「…えーと、木崎…だっけ?」 さっき史緒が紹介したばかりなのに。 「木崎健太郎。呼び方はどうでもいいっスよ」 「んじゃ、健太郎」 「はい」 「俺に対しては敬語使わなくてもいいよ。それより、数字の0から9までを二組に分けて、それぞれの数字をすべて掛け合わせた場合二つの積が等しくなる組み合わせを答えろ」 真顔で、桟宮はそんなことを言った。それは突然だったが、健太郎もすぐに応対した。 「そんな組み合わせはない。…これは小学生でも分かるだろ。片方は必ず0になり、もう片方は1以上の整数になる」 健太郎はすでに敬語を使うことを放棄していた。桟宮は続けた。 「では、1から10では」 「それもない。原因は7があるからだ。片方は7の倍数になるけど、もう片方は7がないので等しくはならない」 「16進数で14を表すのは」 「E」 「2百5十6掛ける2百5十6」 「65535」 ロク・ゴー・ゴー・サン・ゴ、と健太郎は発音した。位を省略しているのには気付いたが、最下位の間違いに、史緒は首を傾げた。 「え? 6万5千5百3十6でしょう?」 突然、桟宮は声を上げて笑い始めた。大声で。机を叩きながら。 簡単に止まらないようで、でもそれを抑えようともしないで笑っていた。健太郎は桟宮への印象をまた書き換えなければならない必要を感じた。健太郎と史緒は訳が分からず顔を見合わせた。 桟宮はどうにか笑いが収まりかけた頃、健太郎に訊いた。 「今、計算したわけじゃねぇよな?」 「うん、これは単なる知識」 「阿達は計算したんだろう?」 「はい」 「今の質問で、健太郎がある程度コンピュータを知ってるっていうのが分かったよ。阿達は計算速度は速いようだが、コンピュータに関しては使えるっていうだけで知ってるレベルではないな。ま、どっちも正解だ」 「数学に二つの答えはないはずです」 ぴしっと史緒は言い切った。本部の会議でも史緒は辛口の発言を惜しまないので、煙たがられているのは自覚している。桟宮は微笑んで言った。 「数学的に阿達は正解。コンピュータ的に健太郎は正解」 「釈然としないんですけど…」 と、史緒は返そうとしたがそれはやめた。ここで食い下がっても大人気無いと思ったのかもしれない。桟宮は続けて解説した。 「コンピュータの世界ってのは便宜上16進数で表すことが多い。そして16進数は0から数え始めるものなんだ」 16進数は、0から9、9より大きい数はAからFで表す。その次が桁上がりして10になる。 10進数も0から9で表すはずなのに、ものを数えるときは大抵1から数え始める。これは多分に、0が「何も存在しない」意味を表しているからかもしれない。けれど16進数ではとにかく「一つめは0」とカウントするのだ。 「256は16の平方(2乗)だ。256個のドットが書かれた紙が256枚あるとして、ドットがいくつあるのか、それを0から数えた場合答えは65535になるだろう? 16の平方値(256)の平方がその数字。知識として覚えてる奴がほとんどなのさ。コンピュータの業界にハマる連中は、まず、ものがまともに数えられなくなるよ。位を省略して読むのは16進数の読み方に慣れてるからだな」 そこまで言われなくても、桟宮が健太郎を試していたことに、史緒も健太郎も気付いていた。 「高校生の割にはやるじゃねーか」 「それくらい、授業でやるよ」 「生意気だなぁ、おまえ」 不敵に笑いつつ、桟宮は言う。 健太郎も桟宮のことを気に入っていた。知識に関しては頼れる人のようだし、頭の回転も速い。数学とコンピュータの理解力を試す質問にしては、かなり的確だったと、健太郎も思う。 桟宮は史緒を先に退室させてから、声を潜めて健太郎に言った。 「阿達から何も聞いてないのか? おまえが起こした事件のこととか」 (事件?) 「別に。なんにも」 全く心当たりがない。健太郎は深く考えなかった。 あ、そう。と桟宮は面白そうにくくくっと笑ったようだった。放っておくと、また、大声で笑い出しそうなので健太郎は逆に質問してみた。 「所長クラスしかここに出入りできないのか?」 「いや、そうでもねーよ。他のグループの奴等は結構顔出すよ。まぁ、この部屋だけは入室規制がかなり厳しいけどな」 「さっき、簡単に入れたくせに」 「うるせー」 「じゃあ、俺んちのメンバーも知ってるの?」 「阿達のところ? いや、あいつは自分の駒を連れて来たことないよ。関わらせたくないんだろ、この組織と」 「なんで」 「そのうち分かるさ」 「ずりぃー」 「1から10までの数字を使って、四則演算だけで全ての桁を同じ数字にするには? 組み合わせはいくつかあるけど」 「すべて足せばいい」 それこそ幼稚園レベルの数字パズルだ。話題を逸らされたと健太郎は口を尖らせたが、桟宮は単に会話を楽しんでいる節がある。 やっかいな相手だ、と健太郎は思った。いや、呆れたのかもしれない。 それは島田三佳(10歳)が、阿達史緒と外出しているときのことだった。 場所は秋葉原。平日だった為に混んではいない。ここには三佳行き付けの薬品店がある。そこはいわゆる医薬品などを取り扱う薬局ではなく、店に置いてあるほとんどは実験などに使われる試薬だった。三佳はときどきここでアルバイトもしている。年齢を無視させる三佳の知識を店の主人も認めていたし、三佳も実務に触れないと得られない知識を得ようとしていた。 それはともかく、今日は史緒も一緒にやって来て、店の中を一通り見て回った。史緒はその手の分野の知識は全くなく、単に三佳に付き合っただけだ。 その、帰路の途中でのことだった。 「あ」 通り行く人波のなか、先に気付いたのは前から歩いてくる男のほうだった。背広姿の、サラリーマン。何に気付いたかというと、視線から判断してそれは史緒の顔だったと思う。 「あら」 そして史緒も気付いた。少しだけ驚いた顔をして、次に笑顔で会釈した。 「あ。やっぱり。阿達さん、ですよね?」 サラリーマンは近付いてきて、落ち着いた声で人当たりの良い表情を向けた。 「ええ。いつもお世話になっております」 「お世話になってるのはこっち、でしょう?」 おどけた様子でサラリーマンは苦笑する。 三佳はその男に見覚えが無かったので、史緒の隣で2人の挨拶を聞いていた。間近で男をよく見ると、サラリーマンらしくない印象を受けた。背広姿が着こなせていないようにぎこちないし、喋り方も洗練されてるとは言い難い。年齢は30歳前後。史緒が、お世話に…、と挨拶したということは仕事関係の知人だろうか。 史緒は首を傾げて言った。 「とりあえず、はじめまして…ということになるのかしら」 「正真正銘、初対面だからね」 「私のことを知っているということは、…調べたんですね?」 「ええ。あなたが僕のことを調べたのと、同じ様にね」 気の利いた切り替えし方に、史緒は相手に好感を覚えたようだった。害のある人物ではないということは事前に知っていたのかもしれない。 ふと、三佳は史緒と目が合った。この男は誰? という三佳の視線を感じ取ったようだ。史緒は一瞬目を泳がせて、その後微かに唇の端を持ち上げた。───…何か企んだようだ。 「良さん、…とお呼びしていいですか」 「もちろん。光栄ですよ」 良、と呼ばれた男のほうもにこやかに笑う。そして男───良は、三佳に目をやった。 「そしてあなたが島田三佳さんですね。はじめまして」 三佳は少なからずびっくりした。三佳の名前を知っていたこともそうだが、何より、良は三佳を子供扱いしなかった。 余談だが、三佳が人と関わるときの態度は、相手との第一印象で決まる。例えば、川口蘭は初対面のとき、一人前の大人と接するように三佳に挨拶をした。その結果、三佳は比較的、蘭に対する態度は友好的だ。逆に木崎健太郎のように、少しでも舐めて掛かる態度を取る人間は、以後、三佳の毒舌に嘆くはめになる。 三佳は史緒に尋ねた。 「妙な会話だな。誰なんだ?」 はじめましてと言いながら、史緒も良もお互いを知っていた。はじめましてと言うのは、今日初めて会ったからに他ならない。 「この人は、文部科学省直属の研究機関、CISTEP科学研究部門2課の副主任研究官よ」 と、史緒は良の肩書きを説明した。良に確認する意図もあったかもしれない。 しかしその説明では三佳は納得できない。けれども少なからずその肩書きに驚いて、追求する機会を逃してしまったのは事実だ。なるほど、背広を着こなせていないのは、研究者だからだ。 「単なる役所の下っ端というだけで、そんな大したもんじゃないですよ。今日も使い走りで、買い物です」 砕けた口調になって、良が言った。 「科学研究部門…? 専門は?」 「ああ、化学ではないほうですよ。主にコンピュータです」 「だろうな。化学なら関わってくるのは厚生省だ」 さすがですね、と良は笑った。三佳に対しての予備知識も持っていたということだろう。 良は史緒に言った。 「あいつ、結構派手にやってるらしいじゃないですか」 「…聞いてるんですか?」 声を潜めた史緒に、良は頭を左右に振った。 「まさか、自分で調べたんですよ。───心配しているのなら、はっきり言っておきますけど、あいつは仕事について口を漏らすようなことはしません。そういう点においても、しっかり教育してきましたからね」 「そうですか。それを聞いて安心しました」 「僕は自分の仕事を家には持ち込まないし、それはあいつも同じです。…まあ、この繋がりがそちらの組織にバレたら一悶着あるのでしょうけど。政府関係と癒着してるなんて、スキャンダルものでしょう?」 「やっかいなことになるのは確かです。気を付けます」 「阿達さんの心配はしてません。気を付けさせてください、あいつに」 「私の管轄下ですから、同じことです」 史緒の発言に、良は驚いたように目を開き、次に安心したように笑う。 「あいつって、誰なんだ?」 会話の隙間に三佳は質問を滑り込ませた。一連の会話の中から、「あいつ」というのが2人の共通する知人だということを察したのだ。 「え? …あ、そうか」 三佳が事情を知らないことに良は今気付いたようで、すまなそうな顔を見せた。良は事情を話してくれそうだったが、史緒は視線でそれを制した。…黙っていたほうが面白いと思ったのかもしれない。 良もその思惑に気付いたようで、せっかく出かけた言葉を飲み込んでしまった。 「分からないかな。…結構、似てるって言われるんだけど」 (誰と?) その後、史緒と良は二言三言交わして、別れた。 史緒はしばらく見送っていたが、踵を返し、三佳を促してこちらも歩き始めた。駅の方向だ。 「───…史緒」 刺々しい声で三佳が言うと、 「そのうち分かるわよ。少し考えてみたら? ヒントは沢山あったと思うけど…。でも似てないわよ。全然」 (だから誰と?) 考え込んでしまうとやめられない性分で、その日はずっと、三佳は不機嫌だった。 数日後。 「よぉ、三佳。良に会ったって?」 忘れかけていた頃。その名を口にしたのは、木崎健太郎だった。三佳は驚いたがそれを表情に出すようなことはしなかった。 彼については考え尽くしたので、三佳はあっさりと正解を求めた。 「何者なんだ。あの男」 「オレの兄貴だよ」 同じくあっさりと、健太郎は言う。三佳は目を見開いた。一瞬、呼吸が止まったんじゃないかというくらい驚いた。 「は?」 言葉の意味は理解できていた。でも聞き返してしまったのはその事実が信じ難かったからだ。 「木崎良。そう言わなかった?」 振り向きざまに健太郎は言う。 「───…っ」 ひくっ、と三佳の表情が歪んだ。 「全然似てないじゃないか」 誰に向ければ良いのか分からない憤りを、三佳はその台詞に全て託し、吐き出した。 「と、伝えておけ」 |
14話「ken1」 END |
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