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 群馬県B郡─────。

「いい天気だね───っ」
 山の木々が青々と茂っているのがよく見える。その葉までも識別できそうな程に。
 ジーンズを膝までめくり、形のよい足を水田に突っ込んで、片桐実也子は両手を空へ掲げた。
 水田には既に田植えを終えている苗が、ささやかな風に揺れている。遥か遠くまで続くその景色に、実也子は満足そうに微笑んだ。
「みんなー、元気に育てよぉー」
 秋には黄金の稲穂になる。それを想像すると実也子は胸がドキドキして、じっとしてはいられなくなる。意味不明な叫び声をあげてみたりする。
 それが聞こえたのか、水田の向こう側にいる父親が
「うっせーぞ実也子っ。んなことしてる暇あったら、大学行けっ!」
「夏休みだもん、今」
 実也子の家は専業農家である。
 四方を山に囲まれた土地。主な農産物は米で、春から秋へかけては年内で一番忙しい。夏へ入るこの時期は、これからが天気との戦いになるのでその 準備に追われていた。
 言ってしまえば、実也子は農業が好きなのだ。過疎地なので、近くの町の大学へ通っているが、実のところ学校へ行くより家の手伝いをしていることのほうが多い。農産物の季節を通しての変化を見るのは楽しいし、成長を見るのは嬉しくもある。親としても、稼業を誇に思ってくれているのだから、例え大学をサボっていても強くは言えないようだ。
「おい実也子、そーいやいつもの。そろそろじゃねーのか? 東京の友達ん家、遊びに行くのって」
「あ! うん! 多分ねー」
 一際明るい、汗がにじんだ笑顔で実也子は言った。
 その時、母屋のほうから母親がつっかけを履いてかけてくるのが見えた。
「実也子ー。電話よー」
 にやり、と実也子は笑ったようだった。
「父さん、噂をすれば、だよ。近いうち一週間程、留守にするから」
「おー、どこへでも行ってこい」
 ばしゃばしゃと泥水をはねながら水田から足をあげる。白いTシャツが汚れるのも気にしない娘を見て、父親は苦笑混じりの溜め息をついた。
「ほら、急いで。待たせてるんだから」
「ありがとっ、母さん」
「家に上がる前は、足を洗ってねっ」
「わかってるー」
 母屋までのアスファルトに、泥だらけの素足が足跡を残していた。

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