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神奈川県C市─────。

 閑静な住宅街にたどたどしいピアノの音が響く。
 速度は速くなったり遅くなったり。たまにつっかえたところで音はとまり、初めから鳴り始めたりした。
 山田ピアノ教室。そう看板が出ている家から聞こえてくる。
「せんせー、これ、むずかしいよー」
「大丈夫、大丈夫。ここの左手のところ、何回も練習してごらん。……おや、もう時間ですね。では、今日はここまで」
「ありがとうございましたー」
「はい、来週もよろしく」
「ばいばーい」
「気を付けてね」
 長髪でひょろりと背の高い青年は細い目をいっそう細くさせた笑顔で少女を送り出した。
 玄関の閉まる音が廊下に響くのを確認すると、山田祐輔はそそくさと抽斗の中から煙草と灰皿を取り出した。それをピアノの上に置くと、一本に火をつけ、咥え煙草のままピアノに指をかける。指の運動、というだけの名目でショパンを乱暴に弾き始めた。
 でもすぐにやめた。
 ふー、と煙を吐き出して、目の前のカレンダーを見る。
(梅雨が開けますねぇ……)
 そろそろ呼び出しがかかるかもしれない。
 そんな事を考えた矢先に、電話のベルが鳴った。
「もしもし、山田です」
「祐輔? 俺だけど」
「なんだ。慎也ですか」
「なんだとはなんだよっ。折角帰ってきたのによー」
「あ、帰ってきてるんですか。おかえりなさい」
「向こうで他の連中にも会ったぞ。おまえのこと噂してたぜー。なんでプロの世界目指さなかったんだろうって」
「言っときますけど、ピアノ教室の講師もプロはプロですよ」
「わーってるって。でもおまえも、俺らの言いたいこと、わかってるんだろ?」
「子供、って、好きなんですよ」
「ロリコン?」
「殴りますよ」
「………」
「可能性……、があるでしょ」
 そんな会話の後、慎也はどこかで会おうと言い出した。
「近いうち、一週間程出かける用事が入る予定なんです。後で僕のほうから連絡しますよ。…ええ、じゃあ」
 受話器を置くと、祐輔は2本目の煙草に手をかけた。
 再び電話のベルが鳴った。
 今度はすぐ取らずに、二回、煙を吐いてからゆっくりと手を伸ばした。
「はい、山田です」

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