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7月××(+1)日。

「おつかれー」
 外に出ると、空はもう真っ暗だった。この季節でも時間が午後8時では無理もない。
「お疲れ様っ」
「腹減ったー。何か食ってごーよ」
「ホテルのは嫌だ。高いから」
「事務所のお金なんですけど……。ま、気持ちはわかりますよ」
 百メートルも歩けば、賑やかな通りに出る。6人はそこでささやかな夜遊びの計画を立てているところだった。
「かのんちゃんは?」
 実也子が声をかけると、みゆきは申し訳なさそうに苦笑した。
「あ…。すみません、私は用事があるので」
「え。ホテルの鍵、どーする? 私、先に寝ちゃうかもしれないし」
 この合宿期間の間、みゆきと実也子は同じ部屋に宿泊しているのだ。
「十一時までには帰ります。その頃に、連絡入れますね」
「うん。わかったー。今度は付き合ってよね」
「はい。すみません」
 何度も振り返りながら、みゆきは駅の方向へ消えた。実也子もまた、大きく手を振ってみゆきを見送った。見えなくなるまで実也子はその場を離れなかった。
「ねえ」
 後ろの4人に話かける。
「どした?」
 神妙な顔で振り返り、声色を改めて言う。
「今日、3曲合わせたじゃない? どう思った?」
「どういう意味で?」
「"Kanon"の曲」
「おい」
「あ…、ごめん、気をつける」
 知己が割り込ませた厳しい声に、はっと目をみはり実也子は気まずそうに肩を竦めた。『B.R.』プロジェクトで、ただ一人公表されている名前、"kanon"。不用意に口にして誰に聞かれるとも限らない。
 『B.R.』のCDは、レコード会社名以外のスタッフは無記名となっている。演奏楽器やプロデューサー、エディター、ジャケットデザイナーなど、役職名は書かれているが、その右側は空欄になっているのだ。こうすることで、聴衆の興味を引かせるのだと、安納社長は言っていた。その空欄に当てはまる名前を探すようになる、と。
 明らかにされている名前が一つだけ。
 「All songs,composed and arranged by ; Kanon」
 『B.R.』が実力派と言わしめられている理由の一つは、曲。その作詞作曲家の名前である。
「彼女の曲。やっぱりすごいと思って」
 実也子が真摯な顔でそう言うと、メンバー全員黙って目を合わせた。
 今日の練習で、今回リリースさせるシングルの3曲を合わせ、おおまかな打ち合わせをした。打ち込みのデモテープを聞かせられたときの感銘は3年目にしても変わらなかった。
「…独特なリズムがあるよね、でもちゃんとJ-POPというジャンルに収まってる。どっちかっていうと玄人受けする音楽だと思うんだけど、これだけヒットするのはちょっと不思議」
「意外と理屈っぽい考え方するんだな」
 嫌味をこめて浩太は実也子に言った。
「悪かったわね」
「やっぱり営業の力なんじゃない?」
「うちの社長は、決して売り方が巧いわけじゃない。ウチのバンドの秘密主義な点を除けば、あとはスタンダードなCMだけだからな」
「でもそれはしょうがないことですよ。巧い売り方なんて、所詮は人脈とアイディアと行動力、それとお金でしょ? アイディアとお金はあっても、その他は秘密主義とは相容れないものですから」
 安納社長には勿論人脈と行動力は備わっている。例外もあるだろうが社長とはそういう生き物だ。しかし『B.R.』の所属事務所も公表されていないのに、安納が派手に動けるはずもない。
「だけど何故か、売れてるんだよね」
「いいものは受け入れられる…ってことかな」
 "Kanon"の曲を演奏する彼らではあるが、同時に"Kanon"のファンでもある。『B.R.』は"Kanon"と同じプロジェクトに籍を置くアーティストであり、同時に唯一存在する"Kanon"のファンクラブでもあった。
「当のかのんだけど、用事って言ってたじゃん? さっき。男かな?」
 雰囲気を一変。圭は浩太のほうを見てひやかすように言った。
「中野ってば、駅まで送ってくくらいしたほうがよかったんじゃない? 株があがったかも」
「……どーいう意味だよ」
 圭と実也子の何か言いたそうな視線に、浩太は無愛想な声で、軽く二人を睨み付けた。
「えー。浩太って、かのんのこと好きなんだろー?」
「…っなんでそーなるんだっ!」
 浩太はとても分かりやすく真っ赤になって、圭の襟を掴んだ。
「あれ? 違うの?」
 声を出せない圭の代わりに実也子が言った。
「違うっ!」
 そういうけれど、咄嗟の場面で嘘をつけないのが中野浩太という人間だ。もう誰が見てもわかるほどの狼狽ぶりを見せ、それでも否定し続ける姿は、よいからかいの的でしかない。
「おまえらー」
(……)
 浩太がみゆきに向ける感情は、他のメンバーと同じもののはずだ。決して特別なものじゃない。
 Kanonの曲の音楽性───。あの曲、歌を創り出す人間に、興味がないはずは無いではないか。それを棚にあげて浩太だけが特別視されるのは筋違いというものである。浩太はそう思っている。
「二人とも。それ以上苛めるのは可哀相ですよ」
「祐輔っ! お前もかっ」
「おや、この話題、ひっぱるんですか」
「……っ」
 祐輔の一言で、浩太は口を閉ざした。こうなると、圭と実也子は浩太に同情してしまい、黙るしかなくなる。一応これでも、祐輔は浩太の助け船を出したつもりなのだ。

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