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「意外。あんた、こういう所、よく来るの?」
 店内の騒音は、すぐ隣にいる尋人にも大声を出さなければ声は届かなかった。
 先日もらったチケットの半券を片手に、篠歩は今自分がいる場所にカルチャーショックを受けていた。
「まーな。たまに知り合いが出るし。ここは結構レベルが高いから」
「へー」
 池袋駅近くで店の名は「rossi」。店内は薄暗く、対照的にステージのライトは痛いほど眩しい。一方にはバー・カウンターがある。人口密度がものすごく高くて、篠歩は息苦しさを感じた。派手に着飾った人もいれば、一人飲みに来ている人もいる。色々な種類の人間が混在する場所だということはわかった。
 演奏の音が止んだ。
 久しぶりに訪れた耳の安静に篠歩は心からほっとした。ステージの上は三人組のバンドが舞台から降りるところで、花束やプレゼントを持った女の子たちに囲まれている。
「そんなに上手だった? 今のバンド」
「ま、所詮、前座。あんなもんだろ」
 煙草に火をつける。
 こういう店の風景に自然と馴染んでいる尋人の姿を横目に、篠歩は自分の場違いさを少しだけ窮屈に感じた。二人はもう5年の付き合いになるが、篠歩は尋人がこういう店に出入りしていることを知らなかった。複雑な心境になる。
『お待たせ致しましたーっ、本日の主役、Missing Kisses≠ナすっ!』
 司会進行役なのか、派手な衣装の女性がマイクを片手に高い声で言った。それと同時に舞台袖から楽器を抱えた面々が登場する。ベース、ギター、バチを持っている人はドラム、手ぶらはボーカルだろうか。四人構成らしい。全員ラフな格好で、あまり気取った雰囲気はない。
「知ってるバンド?」
 バンド演奏が始まらなくても周囲の喧燥は相変わらず。それに負けない声量で、篠歩は隣を見上げて尋ねた。
「ああ、たまに出るよ。全員高校生だったな、確か」
「うまいの?」
「まあまあ」
「って、ちょっと待ってよ。高校生がこういう店に出入りするのってヤバいんじゃ」
 真面目くさった性格も篠歩の長所だ。それをあえて指摘せず、尋人はぷはーと煙を吐いてから言う。
「まぁ、少なからずのリスクを覚悟してでも、自己実現したい輩は居るってことさ」
 一曲目の始まりはギターのソロだった。






 篠歩の左肩に鈍痛が走ったのは、一曲目が終わろうとしている時だった。
「っ痛…」
 歌に聞き入っていたので、突然のその痛みはちょっとしたショックだった。
(なに…?)
 痛みの根元に目をやる。
 尋人の右手が、篠歩の左肩を掴んでいた。
「……尋人?」
 呼びかけのつもりで、呟いてみる。
 しかし尋人の視線はステージに固定されていた。その横顔は、…彼にしては珍しいかもしれない、驚愕にも似た表情で、目を見開いて、ステージに見入っていた。
「篠歩」
 やはり視線は動かさないまま呟く。
「え? ……なに? 煩くて聞こえない」
 周囲の歓声と、それ以上に演奏が鳴り響いているからだ。
 尋人は初めて視線を動かした。篠歩の目を見て、真顔で言う。
「……おまえ、耳悪いのか?」
「え?」
 これは聞こえた。でも意味が理解できなかった。
「ギターだよ」
「ギター…が、どうかした?」
「いつものメンバーと違う。…助っ人だ」
 そんなこと、初めてこのバンドを見た篠歩にわかるはずがない。尋人がこのバンドに対して何か思うところがあったのだ、とは気付いても、それが何なのか、篠歩には計りかねていた。大体、尋人の一連の発言には脈略が無い。
「…それが、なに? ……あっ、ちょっと! どこ行くのよっ」
 突然、尋人は背を向けた。人込みを分け入って、出入り口へと向かう。
「ちょっと待ってろ」
 そんな風に言われた気がした。やはり、周囲の騒音のせいで絶対とは言い切れないけれど。
(ギター…の人が、なに?)
 尋人の姿を追うのを諦めた篠歩はステージを振り返る。ちょうど一曲目が終わったところだった。
 観客ににこやかに手を振るボーカル、他の三人は次の曲の準備をしている。ギター担当だけ楽譜を立てているのは、なるほど助っ人だからだろう。尋人は一体、何に驚いていたのか。
「何なのよ……、一体」
 左肩が、まだ痛んでいた。

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