キ/BR/04
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新潟県E郡。午前九時五分─────。
「長壁っ」
新潟市内、駅前のコンビニ入り口で自分の名を呼ぶ声があった。
通勤通学ラッシュも終えての駅周辺。人波は落ち着きを取り戻したと言っても地方都市であるのだから侮ってはいけない。
「ここ、ここ。ご無沙汰ぁ」
スーツ姿で大きく手を振る人影が近寄る。長壁知己はその人物を認識すると、表情が緩み手を振り返した。
「よ。久しぶり」
横田悟は大学時代の同級生。特に仲が良かったわけでもないが、今でも挨拶を交わすのは彼くらいのものだ。何せ、知己は大学をたった一年で退学し、この土地を離れていたので知り合いが極端に少ない。
横田はスーツ姿が板についており、社会人としての年季が感じられた。
「これから会社か?」
「うち、フレックスだから。そういうお前は相変わらず根無し草生活か」
「そういうこと」
知己は今年三十四歳になるが、結婚もしてなければ定職にも就いていない。そのことについて本人も深く考えることがあるが、特に解決案は出されていなかった。幸いにも雑学と器用さは並以上有り、特技はその日暮らしで食うには困らなかった。
「おまえん家の母ちゃん、元気か?
俺、たまに店に行くんだぜ」
「元気も元気。今朝も俺がこれから東京へ行くって言ったら、"クビだ"って息巻いてた」
知己の家は酒屋を営んでいるのだが、どうやら店長である母親は、どうしても知己に後を継がせたくないらしい。しかも、この歳になっても落ち着かずにいる知己を家から追い出したいようなのだ。今朝、仕事を休むなんて言ったものだから、ここぞとばかりにクビだ、なんて言い出したのだろう。
横田はからからと笑った。
「でも、東京行くって?
あれ? まだやってるんだっけ?」
「……何年前の話してるんだよ。確か、こっちに帰ってきたとき、挨拶に行ったよな?
七年前の話だけど」
かなり記憶力を疑う声で言う。
「悪ぃ、悪ぃ。だって、長壁がこっちに帰ってきたことより、学校をやめていったことのほうが印象が強いんだよ。あの時の教授との会話、一部で語り種になってるんだぜ?
大学辞めてまで始めたことを、簡単にやめた、って言われてもさー」
「……」
懐かしい話を持ち出され、知己は感情を表さないためには黙るしかなかった。
長壁知己はかなり小器用な人間で、運動や勉強もそれなりの成績を収めたし、人付き合いも良く、何が起っても結構簡単に解決してきた。中学、高校時代は大したつまづきもなく過ごしてきた。
そして気が付けば幼いころからの夢を、二十代前半で叶えてしまっていた。その後七年間、その夢を満喫して、やめた。その後は今に至る。
──早くに夢を叶えてしまったら、その後は何をして生きろというのだろう。
「で?
東京へは何しにいくわけ?」
「『B.R.』のおっかけ、って言ったら笑うか?」
真顔で、知己は言った。
「ああ、今、ニュースになってるヤツね。俺も『B.R.』好きだよ。家のやつもファンだしさ。…あれ?
おまえって、そーいう音楽聴くやつだったっけ?」
確かに、昔から知己は音楽好きな人間としても知られていたが、極端にジャンルが偏っていたはずだが。
「宗旨変えしたんだよ」
そう言って、複雑な表情で笑った。
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