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 東京都F区─────。

「…わりぃ、バレちまった」
 テレビカメラの前で、中野浩太は言った。

 昨日の夜遅く、一本の電話があった。今日発売の週刊誌にスクープが載る、という内容である。
 電話の相手は最近知り合ったフリーライター。今のうちに隠れるなりして騒動に巻き込まれるなと言ったが、既に手後れであることを、自宅前に停まった車を見て浩太は悟っていた。
 その夜のうちに浩太がとった行動は、家族に事情を話し、安納鼎に連絡する、それだけだった。
 『B.R.』姿現す。
 そんな見出しの記事が発表され、テレビでも紹介されている。
 『B.R.』の概略(人気の程が少々誇張して書かれているようにも思える)、そして今まで明かされなかったメンバーの一人、中野浩太について。
 ただ、これは確証めいたものがまるで無く、週刊誌にありがちな「決め付け記事」であり、「『B.R.』のギターは中野浩太(かもしれない)」という内容でしかなかった。それでも、世間を騒がせるには十分なものである。
 どこから調べたのか浩太の学校や年齢、生年月日、ライブハウスで助っ人として演奏したバンド名まで書かれていた。ご丁寧に写真まで。一体、どこから入手したのだろう。
 特に取り上げられていた点は、浩太が普通の高校生であることだった。
 今までも『B.R.』について信憑性があるものないもの、数々の噂が世間に流れていた。マイナーインディーズあがりではないか、大御所がおふざけでやっているのではないか、TVの企画モノ、等など。中には突拍子もないものもあったが、それでも、普通の高校生が…、という意見は無かったのである。
 日も明ける頃になると、浩太の家の前には報道陣が集まり始めた。一人、二人と数は増え、七時にもなると十人を超す人垣ができていた。寒いのにご苦労なことだ。その様子はテレビでも映された。
 ちなみに浩太の家はオートロック式のマンション六階で、報道陣は上がってこられない。何回かインターフォンが鳴ったが、家族の協力により居留守を使っていた。もっとも、当然のようにバレているのだろうけど。マスコミ陣は降りてくるマンションの住人を捕まえては中野浩太について尋ねていた。大した近所付き合いもないのに、それっぽく答えられているあたりは笑ってしまう。
 浩太の家族は意外と冷静で、特に兄は近所が映っているテレビを面白そうに見ていた。
「学校サボって何やってるかと思えば、コータもやることがでかいねぇ」
「サボりは関係無いって。夏休み中しかやってないんだから」
 そっけなく答えておいて、浩太は腕の時計に目を落とした。
(……)
 約束の時間にはかなり早いが、マスコミを撒く逃走経路を考えると、そろそろ家を出たほうがいいかもしれない。
「兄貴、俺、出かけてくるから」
「どこ?」
 あの中、かいくぐるのか? と付け足された。
「学校じゃないことは確かだよ」
 コートを羽織って家を出る。
 人影のないマンションの廊下を歩く。いつも通りの景色。いつも通りの生活。
 いつもの生活が崩れてしまったとは思わない。まだ、自分の周囲には何の変化もないから。どう崩れるのだろう。何が変わってしまうんだろう。自分たちはどう変わっていくのだろう。
 それは恐怖でもある。

 『B.R.』としてギターをやると決めた。もう二年半前のことだ。
 当時、浩太は高校一年生だった。その頃にはすでに友達とバンド活動をしていて、表現の場に不自由はなかったはずなのに、『B.R.』に参加した。
(まぁ、俺らがあの日集められたのはサギに近かったけど)
 年齢差を感じさせない長壁知己。小生意気な小林圭。初対面から馴れ馴れしかった片桐実也子。笑顔がくえない山田祐輔。
 変な奴らだと思った。年齢もばらばら、住んでいる所もまるで違う。
 Kanonの曲に集った自分達。
 その上、彼らの音は驚くほど心地よくて。
 すぐに意気投合して、部屋を借りて夜通しセッションしていた。ボーカルの圭が、喉の疲労を訴えるまで。
『『B.R.』のこと、引き受けてもらえるかい?』
『やるっ!』
 全員、一緒に答えていた。
 安納の行動は素早く、その夏の間に『B.R.』のデビュー・シングルを発表するまでに漕ぎ着けた。
 自分たちの音楽を数々のメディアで聴く、というのは不思議な体験だった。
 一年に一度、それだけの活動。皆とうまく付き合えているのは、たまに会うだけの自分たちはお互いの悪いところが見えないからだと思うこともある。『B.R.』の歌が世間で騒がれているのも、正直、悪い気はしない。
 それらのこと、良くも悪くもも含めて、楽しいからやってる。浩太はそう思う。
 ご大層な理由なんかない。
 ただ、それだけのことなんだ。



 歩く速度が落ちないように意識して、浩太はマンションを出た。
 予想通り、浩太の姿を見つけた報道陣が駆け寄ってくる。その勢いは予想以上のもので、人垣に阻まれた浩太が前に進むためには根性が必要になった。
「中野くんっ、他のメンバーは誰なのっ?」
「ご家族の方にも秘密だったんですか?」
 フラッシュが四方でたかれた。
「どこかに所属してるの?」
「お友達は何てっ?」
「発起人は誰なんですか?」
 個性の無い質問。それは仕方の無いことかもしれない。十を知りたいのに一も知らない者は一から尋ねるものだ。
 一般人の中野浩太であるが、このような質問に返すべき言葉は安納鼎から教えられていた。
「ノーコメントです」
 通りにはあらかじめ呼んでおいたタクシーが停まっていた。報道陣に揉まれながらも浩太はそれに乗り込んだ。それでもマイクを向けてくるつわものも居る。いくつも質問が投げられている。一緒にタクシーに乗り込んでくるんじゃないかと思われるほどの勢いだった。「いい加減にしろっ」とキレそうになったが、そうしたらそれで今度は何をニュースのネタにされるか分からない。その辺りのことも安納から教わっていたので浩太は耐えた。
 運転手に「締めてください」と言う。
「中野くんっ」
 しつこい。
「3年もの間、世間を騙してきたことについてはどう思いますか?」
 パタン、とドアがしまった。
 タクシーは走り出す。
 もう安心だ。しかし。
 浩太は運転手に行き先を告げるのも忘れた。ただ、その、最後の言葉が耳を離れなかった。
「…………は?」
 浩太は自問する。
 世間を騙してきたことについてはどう思いますか?
「……なんだよ、それ」

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