キ/BR/05
≪2/13≫
東京都G区。十二月九日。午後七時十三分────。
日辻篠歩はいつもの喫茶店で、いつもの人物を待っていた。
すでに外は暗いが、日の短いことに驚くことはない。通りのネオンはいつに増しても派手で、赤と緑が入り交じっている。もう十二月。街はクリスマス一色だった。行き交う人はコートとマフラーを身に付け、体を小さくさせている、そんな季節であるから。
あんなに暑かった夏が嘘のようだ。
と、そこまで考えて篠歩は寒暖の移り変わり───"四季"の根元である地球の公転と太陽の偉大さに思案を巡らせた。
(………)
自覚はある。これは現実逃避だ。
寒さに負けない賑やかさをもっている外の景色とは裏腹に、どんよりとした空気がここにはあった。篠歩の、テーブルについた片肘の上に乗る顔は眉間に皺が寄っており、左手の指先はトントンとソーサーを叩いている。篠歩は誰が見ても苛立ちが伝わってくる雰囲気を醸し出していた。
彼女は某新聞社社会部勤務。現在ここにいるということは、定時で帰ってきたということになる。
篠歩は先程帰りがけに、気が向いて芸能部を覗いてみた。するとその室内は物凄い騒動になっていた。電話は鳴りっぱなしで、書類は空を飛ぶ。人は駆けずり回っていて、篠歩はぶつかった男にボサっとすんなっ、と怒鳴られてしまった。
理由は分かっている。
つい昨日のこと。
『B.R.』、今までずっと姿を隠してきた人気バンドのメンバー(のうち一人)を他社週刊誌がスクープしたのだ。この三年間の『B.R.』の人気を見れば大騒動になるのも無理はない。
そしてこれは今朝、各マスコミにFAXされた情報だが、『B.R.』の一人が明日、世間のこの騒動を見かねて記者会見を行うというのだ。
誰も口にしないが、マスコミ連中に無理矢理引き出された格好だ。
それこそが、篠歩の苛立ちの理由である。
「篠歩」
自分の名を呼ぶ声があった。待ち合わせの相手、八木尋人が現れる。彼はフリーのライターで定時に縛られることはないが、連絡がつかないときは取材に出ているか打ち合わせ中のどちらか。几帳面というよりは神経質な性格、どちらにしろ時間はきっちり守る人間なのだ、が。
「珍しいじゃない、そっちが遅れるなんて」
と、篠歩は責めるでもなく、意外そうに言った。
「あー。途中で捕まってな」
と、こちらも不機嫌な表情で返す。警察に?
という篠歩の思いが表情に出たのだろう、尋人は否定するために背後を指差した。
見ると、尋人の後ろに立つは四人。その四人はあまり、というか全く愛想の無い態度で尋人と篠歩を眺めていた。
構成がまた面白い。三十歳前後と思われる男性、もう少し年齢が下がって目が細く髪を束ねている青年、それと同年代の女性と、最後に多分中学生であろうと思われる少年。ここまで年代がばらついたパーティはそう無いだろう。全く別の用件で、無関係の四人が同時に現われたというのも考えにくい。
「誰なの?」
小声で尋ねたのは、篠歩はその四人と面識が無い、と言い切れるからだ。
どういう関連のメンバー?
篠歩は首を傾げた。
「どうやら俺達に用があるらしい。席、移動しよう」
いつものように篠歩の疑問を無視した尋人は有無を言わせない強さで促した。
篠歩と尋人、そして謎の四人組は八人掛けのテーブルへ移動する。篠歩の隣に尋人、向かいに四人が座った。
そのうちの唯一の女性が視線を上げて言った。
「あなたが日辻さん?」
かなり刺のある言い方だった。彼女の年齢は篠歩より下で、二十歳くらいだろうか。
どうやらこの四人は篠歩の第一印象通り、こちらに対してあまり良い感情を持っていないようだ。
(何なの…一体)
きつい視線に居たたまれなくなって尋人に視線を送るが、先に助けてくれたのは四人のうち年長の男性だった。連れの女性に窘めるように言う。
「あんまり感情的になるなよ」
それを聞いて先程の彼女はきっぱりと反論した。
「だって!
中野が庇うからどんな人間かと思ったら、結局は報道屋なんじゃない」
(中野……?)
耳慣れた名前が出された。反射的に尋人の横顔に目をやる。どうやら尋人は、この相手が誰で何の用があるのか、ある程度はわかっているらしい。
「…誰なの、あなたたち」
ほとんど無意識に尋ねると、細目の青年のずいぶん丁寧な口調──でもやはり厳しい声──が返ってきた。
「僕達は今、名乗るつもりはありません。どうせ二週間後にはバレることですから。今は、中野浩太の仲間、とだけ言っておきましょう」
(中野……)
先程も出た。最近、よく聞く名前だ。件のスクープされたバンドの一人が中野という名前だった。よくある名前なのだろう。
「……?」
よく、ある、名前?
(中野浩太?)
「……って、あれ?」
「同姓同名、ってオチはないからな」
「え…? え、うそっ! …ちょっと、尋人っ!」
篠歩はあからさまに取り乱した。隣に座る尋人の腕を掴み激しく揺らした。
ナカノコウタ。まさしくそれこそが、『B.R.』のギタリストの名前だ。
「俺も、すぐそこで捕まったんだよ。中野くんが俺らの素性をバラしたらしいな」
「『B.R.』の素性を先にバラしたのはそっちでしょっ?」
泣き出しそうな剣幕で女性に怒鳴られても、篠歩は状況を把握するのに精一杯でまともな返答はできなかった。
つまり。
篠歩たちと面識のある中野浩太とこの目の前に座る四人が、三年もの間、音楽シーンを騒がせ続けていたバンド、『B.R.』だというのだ。
(うそ…)
篠歩の現在の心情は、困惑はもちろんだが感激も含まれている。
新聞記者という職業では勿論、個人という立場でも『B.R.』という存在に惹かれ、追い続けていた。
『音』だけの存在。その正体────彼らが、目の前にいるのだ。
「お陰でこっちは酷い被害を被ってるんだからっ」
「……って、…え?」
そこでようやく、篠歩は彼らから恨まれている原因に気付いた。そこに生じている勘違いにも。
「ちょっと待って…」
彼らに会えたことの喜びに浸ってる場合じゃない。篠歩は我に返って負けないくらいの声を出した。
「ちょっと待ってよ。誤解だってばッ」
どうやら激しく勘違いされているようだ。
"私たちの素性を先にバラしたのはそっちでしょっ"
"お陰でこっちは酷い被害を被ってるんだから"
ああ、でもそれは、当然の誤解かもしれない、と篠歩は思う。
条件は全て整っているのだから。でもそれは、篠歩にとって、とても不本意な勘違いなのだ。
「言い訳したところで、俺らが諸悪の根元だって事実は変わらないぜ?」
すぐ横で尋人が冷静に呟く。その横顔をキッと睨むと篠歩は怒鳴った。
「少しは人間関係の修復に努力しなさいよっ。あんたはッ」
「別に繕わなくても弁解しなくても、付き合う奴とは今でもツるんでるだろ」
「それは尋人の周りの人間ができてるからよ。…まったくもう、昔っから変わらないんだからっ───」
篠歩の説教はもう少し続きそうだったが、時と場所に気付いたのか、コホンとわざとらしい咳をした。
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