キ/BR/05
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彼は大抵、ベッドで寝ているか、ベッドの上でノートパソコンを開いている。
浩太が訪れたときに寝ていても、気配で分かるのか浩太が近づくとすぐに起き出してくる。パソコンを開いているときはすぐに閉じてしまい、何をしているかは教えてくれなかった。
「いっつも、寝てるかパソコンしてるかだよな」
以前、そんな風に指摘したところ、
「どっちも趣味だからね」
と、彼は笑った。
神経研究所附属理和病院。
彼は三ヶ月前からこの病院に入院しているという。元々体は弱いほうで小さい頃から通院していたのだが、とうとう入院させられたというのだ。そして半月前、兄のおつかいでこの病院を訪れた浩太は、偶然彼と出会った。
廊下ですれ違ったとき、先に声をかけてきたのは彼のほうだった。
初めはなれ慣れしいヤツと警戒していたが、話してみれば彼はちょっと抜けてるけど筋の通った人柄で好感の持てる人間だった。一部趣味が合うところもあり、浩太は週二回はここへ顔を出していた。
「やっほー浩太。すごいことになってるじゃん」
西陽がよく当たる部屋、その窓際のベッドの上で肩の細い少年がくったくの無い笑顔を見せた。色の薄い髪と瞳の色、そして病室というシチュエーションがその姿を弱々しく見せるが、それらと不似合いな程明るい声を出す。
やはりノートパソコンを膝の上に乗せていて、それをぱたんと閉めるところだった。
彼の言うすごいこと、というのは当然、テレビもラジオも雑誌も新聞も賑わせている『B.R.』について───つまり中野浩太のことだ。
「なに、その格好」
変装用のサングラスと帽子、そんな格好の浩太を見て遠慮なく笑い声を立てた。
「…うるせーよ」
浩太は口を尖らせてその傍らに歩み寄る。
「バンドやってるのは知ってたけど、まさか『B.R.』だったとはなー。昨日の朝ニュース見て、せっちゃん先生も驚いてた。浩太、『B.R.』好きだって言ってたじゃん?
それって自画自賛?」
あははは、と白いベッドの上で体を折って笑う。
彼は浩太が『B.R.』だと知っても、いつもと同じように話し掛ける。昨日の、知人からの電話に辟易していた浩太がわざわざここに来たのは、彼のこういう性格を知っていたからでもある。
「───希玖」
彼、安納希玖の名を呼ぶ。
今日、浩太がここへ訪れたのは理由があった。事情があって今まで尋ねられなかった質問を、希玖にしてみようと思っていた。
「なあ。今更だけど、希玖ってnoa音楽事務所の安納社長の息子?」
この些細な質問を、浩太が今まで訊けなかったのには勿論理由がある。
浩太の質問に、希玖は目を丸くした。
「お父さんのこと知ってんの?」
あっさりと、肯定を口にする。浩太はやっぱり、と思っても世の中の狭さを実感した。
「あれ?
もしかして『B.R.』の所属ってnoa? なんだ、それならそうと言ってくれればいいのに。まさか全然気付いてなかった?
でもそれってかなり間抜けだけど」
希玖に呆れられて、浩太は弁解するのを忘れたりはしない。
「俺が『B.R.』だってこと、隠さなきゃならなかったから、今まで迂闊に訊けなかったんだよっ」
一般人は、一芸能事務所の社長の名前なんて知らないだろう。希玖のフルネームを聞いたからといって結び付けられるはずもない。
「外は大騒ぎなのに、わざわざそんなこと訊きに来たの?
案外、暇なんだね」
悪気があるのかないのか、ずばっと言った。
「暇なわけねーだろ。外が大騒ぎなんだから」
そういう言い方もありか、と希玖が笑う。
「──ねえ、浩太」
少しだけ声を落とした。
「テレビ、見たよ。マスコミの人も、けっこう痛いところ突いてきてたね」
世間を欺き続けてきたことについてどう思いますか──。
そのことか、と浩太は視線を逸らす。一方で、分かってくれた人がいたという安堵感もあった。
「…確かに、あれはちょっと効いたな」
もしかしたらあの質問は、芸能人を問い詰めるときの常套句なのかもしれない。よくある質問なのかもしれない。でもその言葉に浩太は傷ついた。
「自分の好きなことやってきたつもりだけど、それが誰かに迷惑かけてるなんて思わなかったなー…」
珍しくしおらしい浩太を元気付けるように、
「誰にも迷惑かけないで生きるなんてできっこないよ。そういう僕も、短い人生のなかでやっぱり後悔したくないから、好きなことさせてもらってる。周囲には迷惑かけっぱなしだし」
希玖はそう言って微笑んだ。しかし希玖の突然の告白に浩太は言葉を失った。
(短い人生──?)
「………」
浩太が黙り込んだので希玖は視線を上げた。
あっ、と自分の失言に気付き、
「あ、勘違いしないで。僕は放っておけば百は生きる体だよ」
と、あまりにも簡単に訂正する。
ぷちっ、と浩太がキレた。
「てめーっ、質悪すぎだろそりゃーっ!」
希玖の頭を抱え込んで、その首をしめた。希玖は笑いながら悲鳴をあげる。
「わー、ごめんごめん」
あははは、と声をたてて笑う。しかしふと真顔に戻ると、希玖は呟いた。
「────…でも、短いんだ」
かなり小さい声だったが浩太には聞えた。
そう言った希玖の横顔は、どこか儚くもあったけれど、とても強いものだと、感じた。
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