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 都内某所。noa音楽企画事務所五階、社長室前─────。

「かの〜っ」
 背後から伸びる両腕があった。
 突然強い力に抱きすくめられる。
「…きっ」
 勿論、叶みゆきは悲鳴をあげた。
「きゃあああぁっ!」
 バサバサバサッと派手な音を立てて、みゆきが持っていた書類が空を舞う。それには構わず、みゆきはほとんどパニック状態で抵抗したが、その力が弱まることはなかった。その正体を見極めようとどうにか身をよじる。背後に立つ人物を目に入れるとみゆきは驚きとともに呆れた声をあげた。
「な…っ、新見さんっ?」
 そこにはみゆきの知る人物、新見賢三が立っていた。年齢は確か三一歳。  
「よっ。半年ぶりやな」
 人好きのする愛嬌ある顔で笑う。
「は、離してくださいー」
「まぁまぁ」
 何がまぁまぁなのかさだかではないが、それでも手を放さない図々しさはある意味立派だ。みゆきには迷惑以外のなにものでもないだろうけど。
 その時、目の前の扉が開いた。
「叶、何騒いでいる」
 助け船、とは少々…いや、かなり言い難いが社長室から出てきたのは、この事務所の社長である安納鼎だった。廊下に響く悲鳴をあげたみゆきを叱りにきたのだろう。しかしみゆきの背後にいる以外な人物を目にすると安納は眉をひそめた。
「……新見? 呼んだ覚えはないが」
「やっほー、安納社長。相変わらずツレないなー」
 やっとのことみゆきから手を放した新見は、安納にひらひらと手を振ってみせる。
 ピタとその手を止めて、不敵に笑うと新見は声色を改めた。
「聞くところによると、明日、『B.R.』の記者会見やるらしいやん」
「それがどうした」
 凄んで見せたのに、あっけないほど簡潔な回答。新見は一瞬だけ落ち込んで、次に泣き落としにかかった。
「シャチョー。顔も知らん三年越しの仕事仲間がとうとう顔出すのに、報道連中と一緒に大人しく発表を待ってろ言うんは、かなり酷じゃねぇ?」
「大人しく待ってろ」
「シャチョーっ!」
 仕事仲間、と新見は言った。
 ところで『B.R.』は五人のメンバーから構成されていて、プロデュースのKanonをいれれば六人になる。それからプロジェクト総指揮の安納鼎。
 当たり前のことだがそれだけの人員でCDが作られるわけではない。
「シャチョーはケチだー、って桂川もムクれてたぜっ? それにっ、『B.R.』プロジェクトのスタッフだって、俺と桂川の他に数人はいるんだろ? スタッフさえお互いの顔を知らんのは水臭いと思わんかっ」
「そういう契約だったはずだな」
「頭かったいな、ほんと」
 新見賢三は『B.R.』のCD製作スタッフの一人、正真正銘『B.R.』プロジェクトの一員である。が、彼が『B.R.』の仕事で会う人物といったら安納鼎と、企画打ち合わせで一緒になる叶みゆき、それから職種上どうしても共同作業になる桂川だけだった。これだけ大きい仕事だ、普通ならスタッフが数十人はいるところである。
「じゃあ、いつになったら会わせてもらえるん? 叶はどうなん? 全員、把握しとるん?」
「え…っ、あ、私は……」
「新見」
 会話を中断させる、安納の声。そして続けた。
「二週間後に全員で記者会見を行う。全員、だ」
「え…それって」
 とたんに新見の声が明るくなった。
「嫌でもそのときには顔を合わせることになる。…それより、一つ頼まれて欲しいんだが」
「は?」
「……」
 そこで、安納鼎は新見賢三に仕事を一つ依頼した。
 それは『B.R.』プロジェクトの仕事であった。今日、叶みゆきがここに居るのも、その仕事の打ち合わせに来ていたからだ。
 期限は三日間というかなり無茶なものだったが、新見の性格から断わるわけがないと、安納もみゆきも知っていた。
「……さっすが、社長。商売人は考えることがあざといな」
 嫌味を言いながらも笑みを隠せない新見。
「桂川にも言っておいてくれ。正式な通達は明日一番で届くようにする」
「他のスタッフには?」
「こちらから依頼しておく。まだおまえにはばらさないよ」
 簡単な誘導尋問に引っ掛かるわけもなく、安納は最後に一言、付け足した。
「『B.R.』プロジェクトは秘密主義だからな」

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