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 新見がスキップしかねない足取りで去った後、残されたみゆきは安納に視線を投げた。
「全員での記者会見って、………"Kanon"は?」
 恐る恐る小声での質問に安納は短く答える。
「メンバー外だ」
 露骨に安堵するみゆき。その横顔を、安納は冷めた目で眺めていた。新見や『B.R.』の五人、そしてみゆきもまた、二週間後の記者会見の意味を分かっていないのだ。
 安納鼎が『B.R.』プロジェクトを立ちあげた理由はたった一つだ。忘れられがちだが、正体不明という売り出し方を持ち掛けたのも安納自身、他メンバーの都合とは利が一致しただけのこと。それは叶みゆきも分かっていたはず。まさか忘れたわけではないだろう。
「叶」
「え…っ、あ、はいっ」
 隣の安納を仰ぐと、真っ直ぐに視線が合った。
「分かっているだろうがKanonのこと、誰にも言ってないだろうな」
「…はい」
 みゆきは咄嗟にうつむいてしまう。ああそのことか、と嘆息した。途端に胃のあたりが痛んだ。原因はわかってる。それこそ、すべてのはじまりから。
「これからも、仲間内に対してもな」
 これからも?
 これからも、嘘をつき続けろというのだろうか。彼らにまで。
 ───『B.R.』プロジェクトが立ち上げられたとき、みゆきは少なからず驚いた。彼の音楽が形になるという喜びもあったが、それとは別に不安もあった。何故なら、彼は表舞台に立てない人だから。隠れなければならない存在だから。だから。
 Kanonの代役として、叶みゆきが選ばれた。
「おじさん…っ」
 無意識のうちに、みゆきは声を発していた。また、胃が痛んだ。冬だというのにこめかみには汗が滲んでいた。
 血縁を表す呼称を使ったみゆきを睨みながら端的に返す。
「なんだ」
 いつも、その視線に負けてしまう。
「あの…」
 でも、言わなきゃいけない。
「…私、やっぱり駄目です! 希玖の代わりなんて…できませんっ。嘘を付き続けているのが辛いんです」
 言った。
 たったそれだけの言葉に、みゆきの息はあがった。
 Kanonは私じゃない。
 何度、叫びそうになったことだろう。
 期待や賞賛。押しつぶされそうになるそれらに対し、それでも見合う楽曲が出来上がってくる。誉められるのは私。でも私が造ったわけじゃない。
 Kanonは、安納希玖だ。
「安心しろ。おまえがマスコミの前に出ることはない」
「…そうじゃなくてっ、スタッフの皆にです。新見さん、桂川さん、大塚さんや須佐さん一村さん、………そして」
 あの五人にも。
 世間の評判はどうでもよかった。ただ、演奏者の五人に賞賛されるのが、一番辛かった。
 そんなに、笑顔を見せて欲しくない。裏切っているのは自分だから。居たたまれなくなるから。
「社長!」
「叶も、あいつの事情は知ってるはずだろう」
「…」
「おまえは、仲間内ならKanonを公にしても大丈夫と思ったんだろうが、例えば『B.R.』にあれだけ気を遣っていてもバレるものはバレた。世間にとって『B.R.』とはあの五人でしかないから、まあ、この辺りが潮時だったとしよう。…だがKanonは? 叶も知ってる通り、あいつは外に出すわけにはいかない。バレて「しょうがない」では済まないんだ。少しでもKanonの正体を広めることの危険性はわかるだろう?」
「……」
 Kanonを表には出さない。安納は、初めからそう決めていた。
 演奏者の五人の正体をも隠すことにしたのは、後の話し合いで確定したことだ。結果的にそれが効を奏し、今の『B.R.』があるわけだが。
 今、世間では『B.R.』が明かされることで騒がれているけど、仕掛人である安納は特に慌てていなかった。安納が思案を巡らせているのは、『B.R.』の作詞曲家である"Kanon"をマスコミに探られない為に、いかにあの五人を使うかである。
 叶みゆきは、そのことをよく分かっていた。
 にも関わらず、二週間後の記者会見を行うことの意味に気付かずにいるのは、人生経験の浅さであろう。多分。
 念を押すように、安納は言った。
「Kanonのことは口をすべらすな。わかったな」
「…はい」
 声が震えていた。安納はいつも通り無視してくれるだろう。
「明日の記者会見は私のほうで巧く進める。おまえはおまえの仕事をしろ。近いうち希玖とも連絡をとっておいてくれ」
「はいっ」
 気持ちを崩さないために、大声を出す。
 安納はすでに廊下を歩き出していた。
「それから至急、スタッフ全員に企画案の送付を。特に須佐には早く動いてもらわんと間に合わない。頼んだぞ」
「…はいっ!」
 結局みゆきの願いは叶わず、いつものように慌ただしい企画がスタートする。
 もう、溜め息も出なかった。

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