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「うふふふー」
 実也子が不気味な声を発したことに、他四人が振り返ったのは当然かもしれない。
「…? なんだよ、ミヤ」
 スタンドマイクの前に立つ圭が訝しい声を返す。チューニング中の知己たちも同じ意見なのか同様の視線を実也子に向けていた。
「やっぱ、この時が一番幸せだなーと思って」
 現在、五人は馴染みのスタジオに入っていた。CM撮りも終わってスタッフ側は一息ついているころだろう。大塚スグルはいつでも量産に入れるように工場に出張っているというが。
 そういうわけで、演奏者側は迅速にレコーディングを行うように言い渡されていた。今朝早くからスタジオ入りしてノルマをこなしているというわけだ。
「皆の音のなかに居るときが、やっぱり一番かな」
 愛器のコントラバスを抱き込むように体重をかけ、実也子は笑顔を見せた。
「僕も、実也子さんのベースを聴いてるのは心地良いですよ」
「ありがとー祐輔ー。私も祐輔のタッチはすごく好きだよー」
 二人のやりとりを聞いて、圭は知己に、
「長さんも祐輔くらいのマメさを見せないと」
 と前置きしてから、
「ミヤと付き合えないんじゃない?」
 と言った。
「俺があんな台詞吐けるか」
 知己は珍しく躱さなかった。さり気なく聞いてしまった本心に圭は、くくくっ、と笑う。
「──それにしても浩太は」
「…え?」
「調子悪そうですね。というより、機嫌悪そうですね」
 と、祐輔は言った。話題を振られた浩太本人は、ぎくっ、という表情をそのまま見せた。
「そうそう。さっきの音合わせでもミス連発してたしな」
「体の具合でも悪いの? それとも何かあった?」
 四人に囲まれて、その疑惑の迫力に浩太は後ろに倒れそうになる。
「いや…、なにも、ないけど」
 目を逸らす。
「あやしーなー」
『きゃっ』
 別の声がスピーカーから響いた。同時に、カシャンと小物が落ちる音がする。
 五人がガラスの向こうのPA室に目をやると、叶みゆきが慌てて落ちたものを拾っているところだった。
「────あっちも、調子悪そうだな」
 と圭が言う。
「二人して何かあったんですか?」
「うわっ、祐輔。それってすごく嫌らしい言い方」
「何もねーよっ」
『な…何もありません!』
 こちら側の声も向こうには筒抜けだ。会話を聞いていたみゆきもマイクに向かって叫んだ。
 みゆきのそのうろたえようから、何かあったことが丸分かりである。(あのばか…)と浩太は内心冷や汗をかくが、浩太自身も案外簡単に見透かされていることに自覚がない。

 あの、病室での一件から数日経っている。
 みゆきと浩太は何度か顔を合わせているが、みゆきは目を逸らすだけで話にならない。そして浩太も、あの日耳にした真実を、他のメンバーに言い出せないでいた。
 もちろん、このままみゆきが皆を騙し続けるのは、絶対に許さない。
 それならば自分が暴露してしまえばいいのに。浩太は、何故か言い出せないでいる。
(このことは、内緒にしてください…っ)
 みゆきはそう言った。希玖とみゆきには何か事情があり、隠さなければならないことがあるのだろう。
 それは理解してやってもいい。
 けど。
(俺たちにまで、三年間も隠し通さなければならないことなのか?)
 それを言ってしまったら秘密にならないのだが、その矛盾に気付かない浩太だった。
 半月前に偶然(と、思っていた)出会った安納希玖が、これほどにまで深く、『B.R.』に関わっていたなんて知らなかった。
 希玖という存在を知らない四人に、どう告げるべきか悩んでしまうのだ。
 みゆきが、小さな悲鳴をあげた。
「なに?」
「かのんちゃん? どうかした?」
「…」
 浩太も我に返り顔を上げる。
 みゆきは後ろを振り返っている(ドアの方向だ)。どうやら突然入ってきた誰かに驚いたらしい。
 五人がいるところからではドアは見えないので、みゆきが誰に驚いたかはわからない。
『ど…どうしてっ』
 みゆきの、驚きの声。それから遅れること一秒。
 がちゃり、とPA室と録音室の間のドアが、開いた。
「よー。陣中見舞いに来たぞー」
「……あーっ!」
 ドアから現われたのは中年の男性だった。何者か察したのは、浩太が一番初めだった
 他のメンバーもすぐに気付いた。
「あれーっ!」
「え…、まさか、店長?」
「確か、PRE-DAWNの…」
 現われたのは、筧稔。喫茶店『PRE-DAWN』の店長だ。『B.R.』が結成されることになった因縁ある店でもある。
「聞いたぜー。二四日の記者会見のときに同時に新曲披露だなんて派手だな、あいかわらず。鼎の考えることは」
「筧さん…っ」
 追って、みゆきも録音室へ足を踏み入れた。
「…どうしてここへ? 聞いてませんよ」
 非難する言い方だった。
「鼎には言ってあるよ。俺が、ここにくることは、さ」
「……それって」
 筧の意味ありげな言葉に、普段は鈍感なみゆきもピンとくるものがあったのか気を止めた。全く気付いていない実也子が筧に弾むような声をかけた。
「ねぇねぇ、店長って何者? かのんちゃんと知り合いなの?」
「"かのんちゃん"? って誰だ?」
「あ、私のことです」
 と、みゆきが自ら名乗る。そして実也子の質問にもみゆきが答えた。
「筧さんは社長のお知り合いで、私にスタジオワークを教えてくれた先生なんです」
「そういうこと」
 これには浩太も驚いた。
「店長、スタジオマンだったのっ? マジでっ?」
「あれ、浩太も知らんかったっけ? おまえが中坊のとき、貸しスタジオ世話してやったのは誰だと思ってんだ」
「そりゃ覚えてるけど…。………っ!」
 浩太は目をとめた。飛び上がりそうなほど、驚いた。
 筧とみゆきの背後、丁度同じドアから、彼が表れるのを、見た。

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