キ/BR/06
≪16/21≫
「『B.R.』の作詞作曲担当はKanon……。これはクレジットにも明記してあるし、世間にもそう知らされているよね」
筧を退室させてから希玖がそう切り出したとき、過敏に反応を見せたのはみゆきだった。
「希玖…っ、あなたまさか」
「みゆきちゃんが言いたいって言ったんじゃない。どうせなら僕に言わせてよ」
今。希玖が皆に言おうとしていること、それはみゆきの望んだものだ。それなのにみゆきは素直に成り行きを聞いていられないと思った。どうしてだろう。胸が痛かった。
続ける。
「皆の前に現われたことはなかったけど、僕は『B.R.』プロジェクトに立ち上げ当時から参加していた。というより、……『B.R.』を最初に考えたのは僕なんだ」
全員に、明らかな動揺が伝わった。
「僕は先天性の病気持ちでね。あんまり外出できない体質なんだ。何年か前、そんな僕にお父さんがパソコンを買ってくれた。昔から音楽を聴くのは趣味だったけど、曲を作ったのはその時が初めてだったよ」
すらすらすらと淀みない台詞が希玖の口から紡ぎ出される。話の内容の方向を見抜いたのか、「え…」と誰かが呟いた。
「初めに曲らしい曲を創ったのは十歳のとき。僕の曲を初めに聴いてくれたのはみゆきちゃんだった。その数年後、お父さんが仕事で僕の曲を使いたいと言ってくれた。僕はすぐにOKした。でも僕はこんな体だから製作に関わることができない。だけど信用できない人に僕の曲を任せたくない。だから」
「ちょっと待って、それってつまり────」
淡々と話される希玖の言葉をとめる。
「だから、僕はみゆきちゃんにお願いしたんだ」
その告白に。みゆきはぎゅっと目をつむり、顔をそむけた。浩太はそんなみゆきを見つめていた。
「待ってください。それじゃあKanonは…」
「『B.R.』の作詞作曲をしたのは僕だ。それは事実だよ」
希玖は言い放った。
「そもそも、Kanonというのは、僕が楽譜にサインした名前をみゆきちゃんが「カノン」と読み間違えたのが始まりなんだ」
「じゃあ、Kanonはかのんちゃんじゃなくて…」
びくっ、とみゆきの肩が揺れた。それを目に止めたかはわからない。希玖はまっすぐに言う。
「────それは違うよ」
予想しなかった答えが返ってきた。
四人は混乱した。
浩太は目を見開き、みゆきは顔を上げる。
「え…?」
と呟いた。
「あははっ。もう、皆、早合点だなー。ここはみゆきちゃんも浩太も勘違いしているところなんだけどさ」
「勘違い…って、どういうことだよ」
「何でわかんないの?
浩太」
浩太だけじゃない。みゆきも、希玖の言いたいことがわかっていない。
Kanonは、みゆきではなく希玖だ。当事者であるみゆきが、それは事実だと断言できるのに。
同じように当事者である希玖は、それを違うという。
「浩太も、『B.R.』のギタリストなら分かるよね。みゆきちゃんはどんな仕事をしてた?
みゆきちゃんは楽譜というただの書類から、浩太たちの音を録り、組み合わせて、「曲」にしている。それがみんなが耳にする『B.R.』の音楽だよ。一つの曲を完成させるには、どの音を選びどの音を抜くか判断しなければならない。それはオペレーターの手にすべてかかってる。…わからない?
『B.R.』の曲を造っているのはみゆきちゃんだ。僕はその素となる楽譜を書いている」
一呼吸、おいた。
「つまり、Kanonは二人いるんだ」
だから、みゆきではなく希玖だというのは間違い。
どちらが欠けてもKanonという役はこなせないから。
希玖は三年前からそのことを意識して曲を書いている。みゆきの存在が不可欠だということを知ってる。希玖は口にしたことはなかったが、やはりみゆきは分かっていなかったのだ。
そして浩太も、レコーディングに参加し、みゆきの仕事を見てきていたはずなのに希玖が現われて疑惑を生じさせていた。
希玖の言葉に戸惑っているみゆきに、視線を向ける。
「…みゆきちゃん、僕は決して自分の仕事を軽んじているわけではないけど、Kanonの名を一人で背負うのが辛いのは僕も同じだ。……Kanonは、僕たち二人の名前なんだよ」
「希玖……」
「浩太も、わかってくれた?」
「……」
浩太は答えなかった。しかしその表情からは先程と違うものが伺えた。希玖は返答を求めなかった。
「『B.R.』の皆さんも、了解してくれた?」
圭、実也子、祐輔、知己に視線が振られ、今まで黙って聞いていただけの彼らは我に返ったようにはっとする。
「ええ、もちろん。了解しましたよ」
と、祐輔。
「でも驚いたよ、マジで」
「ほんと、びっくり。私たち、六人じゃなくて、七人だったんだね」
実也子の言葉に、希玖は笑ったようだった。
「夢で描いていたことがすべて現実になった。本当に感謝しなくちゃいけないよね」
噛み締めるように、そう言った。
その時、
(やばい)
すぅ、と足の力が抜けた。発作だ。上半身が傾く。
がしっ、と。希玖の体を支えた腕があった。
浩太だった。
「おい、かのん。椅子持ってきて」
「あ、はいっ」
ぱたぱたとみゆきが部屋を横切って、折り畳み椅子を片手に戻ってくる。それを手早く組むと、浩太は希玖をゆっくりと座らせた。
「…さんきゅー、浩太。…みゆきちゃん、ごめん。せっちゃん先生に連絡しておいてくれない?
勝手に抜け出してきたから心配してると思う」
椅子に座っても、希玖の足の感覚はなかった。
でも、だからといって希玖は絶望を感じたりはしない。
「おい、大丈夫なのか」
「どうしたのっ?」
希玖の病気の詳細を知らされていない圭たちが心配そうな声をかけてくる。希玖は笑顔で何でもないことを表した。後々、ちゃんと説明しなければならないだろう。
「…浩太」
「何だよ」
「以前、僕、言っただろ?
好きなことばかりして、周囲に迷惑かけてるって」
「ああ。──でも、こういうのは迷惑とは言わないだろ」
気遣いや心配をかけるさせること。それは迷惑という枠には組しないと、思う。
「違うんだ」
「希玖?」
「アメリカの研究機関が僕に来て欲しいって言ってる。僕のはかなり重度な症例だというから、多分、データをとって治療に役立てたいんだろうね。でもさ、同じ病気の人達には悪いと思うけど……、僕は、ここで色々なことをしてみたかったんだ」
勝手すぎる自分に嫌悪を抱く。沢山の人を困らせていることに胸が痛くなる。
でも、僕の人生。好き勝手していいはずだ。でも。
混乱と葛藤があって、道徳や倫理が加わったら自分の意志だけで自分の行動を決められないと気付く。
それを振り切ることと引き換えに、この嫌悪感を抱き続けなければならいと、分かっている。
「僕がこんなことしてるなんてばれたら、いろんな所から苦情と非難がくるだろうし、ね。だから僕は、表舞台には立たないできたんだよ」
にかっ、とまたいつもと違う笑顔を見せる。これは自分のなかの痛みを表情に出さないための笑顔だと、浩太は見抜いてしまった。
「あ、ねぇ。そういえば『B.R.』のこれからって、悩んでたみたいだけど結論でたの?
突然、話題を変えて、希玖は圭たちに尋ねた。
「まだだけど」
希玖はいたずらを思い付いたように、不敵な笑みを見せる。
「僕、考えたんだけど、こういうのはどう?
面白いと思うんだけどな。きっとお父さんも賛成するよ」
人差し指を立てて、希玖は、五人に一つの提案をした。
≪16/21≫
キ/BR/06