キ/BR/06
≪20/21≫
渋谷MG会館大ホール。
午前九時半、開場。
開場から十分もしないうちに、数千からの客席は運良く整理券を手にした人でいっぱいになった。その二十分の一はプレス席で、報道関係がカメラを持ち込みひしめきあっている。
客席にはまだ明かりが灯り、ステージは薄暗闇にしか見えない。それでもマイクスタンドやドラムスが置いてあるのは確認できる。客席では期待と興奮が高まっていた。
────その、舞台袖では。
「………何か、すごいことになってるな」
と、Tシャツ姿の中野浩太が言った。その片手には愛用のギター。チューニング済み。
「今更じゃん、浩太」
呆れた声を返したのは小林圭。マイクはすでに舞台に設置されているので彼は手ぶらだ。
「まぁ、折り返せない所まで来たのは確かですね」
「うぅーっ、緊張するなー」
「始まればおさまるだろ」
舞台袖には、『B.R.』のメンバーが集合していた。リハーサルは開場前に済ませ、あとは本番を待つだけだ。タイムテーブルでは、十時からライヴで新曲とデビュー曲を披露。その後、スタッフも壇上に上がり記者会見をすることになっている。
プロジェクトでデザインワーク担当の桂川清花は、ライヴで、ジャケット写真と同様の衣装を五人に着せたかったようだが五人は揃って辞退した。そういうわけで五人の衣装は結局いつもと同じ普段着となった。
「かのんと希玖は?」
と、長壁知己がわざと浩太に訊いた。
「もう少しで着くってさ」
さっき希玖から連絡が入ったので、浩太はそう答えた。
浩太以外の四人が顔を見合わせる。
「ところでどうなの?
やっぱり希玖って、かのんちゃんのことが好きなのかなぁ」
本来、ひそひそ話となるべき片桐実也子の台詞は、しっかりと浩太の耳に入るくらいの声量だった。
「もしそうなら浩太に勝ち目ないじゃん。かのんが希玖のこと好きなのはまる分かりだし」
と、圭。
「まぁ、浩太のこれからのアプローチ次第ですかね」
「浩太にその甲斐性があるかは謎だが」
山田祐輔と長壁知己もそれぞれの意見を口にする。
「でも希玖って、中野のこと気に入ってるよね、絶対。それってもう、完璧な三角関係じゃない。すごーい、少女漫画みたーい」
無邪気にはしゃぐ実也子の台詞に浩太は脱力した。
「あのなぁ…ミヤ。……いーかげんにしろよ、おまえらっ!」
「そこで凄んでも照れ隠しにしか見えないって」
「圭っ、てめーっ!」
「ちょっと中野っ、圭ちゃんに八つ当たりしないでよっ」
圭の首をしめる浩太を実也子がブーイングする。
「でもこれで、浩太に本当に自覚がないなら、それはそれで恐いですよ」
「おもしろい、の間違いだろ」
細目をさらに細くさせて、知己の言葉に祐輔は微笑んだ。
「さすが長さん。よく分かってますね」
騒ぎ立てる浩太たちをよそに、クスクスと笑い続ける祐輔。それにつられて、知己も声を出して笑った。
「おい、いい加減静かにしないか」
頭上から注意の台詞が降ってきた。
いつもと同様、スーツ姿の安納鼎だ。
「舞台袖だぞ。騒げば客席にも聞える」
安納の諌める口調に五人は顔を見合わせて肩をすくめた。
「…まったく、本当に君達はマイペースだな。これから数千人の観衆の前に出るっていうのに───」
安納は正直、呆れた。
どんなプロでも本番前は何らかの心構えをするものだ。気負いやプライド、自分をいきり立たせるように。そもそもこの五人は公式の場にでるのは初めてのはずなのに、このリラックスしきった雰囲気はなんだ。
知己が口を開いた。
「…社長。色々ワガママをきいてくれて、ありがとうございました」
五人とも、全員、感謝を表す表情を向けた。
「…」
安納は嘆息した。
「まぁ、私は『B.R.』についてはもったいないと思うがね」
ふと、そこで腕時計に目を落とす。
顔をあげる。
「──さあ。時間だ」
その言葉を合図に、ざっ、と五人が一斉に立ち上がる。
輪を作って、全員、拳を揃えた。
「では、最後の晴れ舞台。───行きますか」
誰かが言った。
「おっしゃ」
「はーい」
「楽しかったよ、この三年間」
「ほんとに」
「では」
輪を解き、五人は歩き始める。
すぐそこには、この三年間知ることのなかった光の庭。
安納鼎。そして安納希玖と叶みゆきはその後ろ姿を見送る。
きっと誰もが望み、期待していた瞬間。
中野浩太。小林圭。片桐実也子。山田祐輔。長壁知己。
五人は。
光溢れるステージへと飛び込む。
割れんばかりの歓声を、その身に受け止めるために。
そして。
───そして。
『B.R.』は解散することが、告げられた。
≪20/21≫
キ/BR/06