キ/BR/06
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十二月十日。埼玉県J市────。
二七回目のベルで受話器をとった。時間に換算して約一二〇秒───二分間。出ない方も出ない方だが、かけている側も大した根性である。
名前を言わなくても声ですぐわかる相手だったが、それは意識がはっきりしている時の話だ。
カーテンから明かりがもれる部屋の中、出窓で電話機が鳴っている。今時珍しい黒電話だ。少女趣味的な部屋の様相のなかでミスマッチに見受けられるが、部屋の主は「それがいいのよ」という。
八畳の広さを持つ部屋の壁紙はシロ、カーテンはピンク色。主な家具はベッドとデスクとチェストと(これらはすべて木目模様)で、チェアとフローリングに敷かれた絨毯は花模様だった。チェストの上ではクマやウサギのぬいぐるみが十を越え、ベッドの脇に揃えられたスリッパは白いファーのウサギ型だった。タペストリーやチェアにもその趣味は感じられる。デスクの上のパソコンだけは型破りで白い縁取りのスカイブルー。これには部屋の主も事あるごとにグチっているのだが、アップル社のマッキントッシュG3ではしょうがないとも言える。同社の後発で発売されたパソコンはボディカラーが豊富だったが、その色彩感覚は部屋の主の好むところではなかった。慰めのようにディスプレイにはリボンがかかっていた。
ベッドからにょきと手が伸びた。がしっと黒電話を掴んだかと思うとそのままベッドの中へ引きこむ。
電話がベッドの中に消えてから、電話の音がやんだ。
「………もひもひ」
再び意識が遠のくのを感じながらも桂川清花はどうにか声を出した。腹に抱えた電話はひどく冷たく、毛布の温かさの幸せをちょっとだけ感じてみたりする。
「だれ?」
仕事の依頼主からの電話かもしれないのに、かなり不躾だったはずだ。それさえも気付かずに桂川は相手が名乗るのを待った。
「…なんだ新見さんか。え?
………」
間。
「あーッ!」
桂川は毛布を剥ぎ取りベッドから飛び起きた。ピンクに近いアカでこれまた花模様のパジャマのうえからオレンジ色のカーディガンをはおる。
バタバタバターッと部屋を出て一気に階段を駆け降りた。その際、スリッパを履き忘れた。床はまるで氷のように冷たく、………電話は放り出されたままだった。
「お母さんっ!
九時半には起こしてって言ったじゃない!」
居間の引き戸を開けた。
専業主婦の母親は朝の一仕事を終えくつろいでいるようだった。こたつの上に新聞を広げ茶をすすっている。清花の部屋とは赴きが異なり、畳敷きに堀ごたつ、窓際は障子がはってある。床の間の上の一輪挿しには純白の水仙─────このあたりは「ああ、お母さんだなあ」と思ってしまうほど、母親の趣味がよく表れている。
一方、母親の桂川一美は演技ではなく、本気で嘆きたくなった。
目の前に立つのは、今年二十五歳になる一人娘で、パジャマ姿で寝癖をつけた、起こしてもらえなくて怒っているような娘なのだ。参考までに今の時間は十時七分だった。
「起こしたわよ。何度も」
「嘘」
「……清花」
一美は深々と溜め息をついた。
「二十五にもなって、一体何してるの?
他の人達を見なさい、平日の昼間から寝とぼけてる人なんて居ないわよ」
一人娘を甘やかしたのがいけなかったの?
と母親としては時々思いつめることもある。
清花は高校を卒業後、「おもしろそう」という理由だけで東京の大学の薬学科へ進んだ。二年後、突然に大学を辞めると言い出し退学、その後三年間フリーター(つまり、無職)でアルバイトを続けていたが、ある日「仕事が落ち着いたから」と言いバイトを辞めたのはいいが、何故か家に居ることが多くなった。
一美には清花の行動が分からず、さらにその仕事とやらも理解できずにいるのだ。
母親の小言にまたかというんざりした表情を見せ、
「何度も言うけど、私、仕事してるの。今日も朝の六時まで仕事してたのよ」
と、清花は言った。
「パソコンで遊んでるだけじゃない」
「そうじゃなくて、デザイナーだって、何度言ったらわかるの?」
「だって、服、作ってるわけじゃないんでしょ?」
「世の中のデザイナーがすべてアパレル関係だと思わないでね、お母さん」
「あぱれる…?」
首をひねる一美にさらに言葉を返そうとしたが、清花は視界の端に時計を認めると短い悲鳴を上げた。
「テレビ!」
「え?」
「テレビつけて、早く!」
つけてと言っても結局自分でスイッチを入れた。ぶん、と画面が揺れて映像が表示される。
チャンネルを合わせる必要はなかった。
まず、カメラのフラッシュが絶え間なくたかれている光景が目に入った。画面の右下にはワイドショーの見出しである言葉が飾り文字で書かれている。
「ついに出現!
『B.R.』」
後で聞いたところによると、この時集まっていた報道陣は300人以上だったという。光を当てられているのは二人、四十代後半の男性(この人とは清花も面識がある)と、もう一人、高校生の男の子────。
無愛想に、尋ねられたことに、言葉少なに答えている。
「……」
清花は、息を飲んだ。目が、離せなかった。
「何なの、いったい」
芸能ニュースに疎い一美は、今、大騒ぎになっている『B.R.』のことなど知らなかったのだ。テレビの中の記者会見を不思議そうに見ている。
「お母さん」
清花は笑みを浮かべた。
「これが、わたしの仕事の依頼主よ」
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