キ/BR/06
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十二月十日。神奈川県K区────。
「すーさー」
朝、出勤するとすぐに室長に呼び付けられた。時間は七時五十分。会社の始業時間は九時だが、須佐巽はいつもこの時間に通勤している。須佐が会社に入ると、スーツ姿の室長(事実上の社長。だいたい、この業界でスーツを着ているのは上層部だけだ)が新聞を読んでいた。普段は「仕事はいかにサボるかが大事」とか言ってるくせに結局はこの人も仕事人間───いや、会社人間なのだろう。
呼び付けられると言っても、スタッフ九人のみというこの会社では自分の机からたった数歩の距離。須佐はデスクへ荷物を置くと、狭い室内の一番奥、室長の席へと進んだ。
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SSSは、マンションの二部屋を間借りして営業している。一室は今居る場所、普段は九人のスタッフが仕事をしているところだ。もう一室には本棚が設置され資料が詰め込まれていた。
業務内容は主にテレビCMの制作。STUDIO
SSSは某大手広告会社を親会社に持つため、営業に人手は割かないことになっている。放っておいても親会社から仕事が降ってくるからだ。依頼主との契約後、ここで企画会議、日程、人手や器材の調整が行われる。いわゆるCMプランナーという職種である。実際の撮影は専門の業者がいるが、監督の選定や撮影の監督などもここのスタッフの仕事だった。
STUDIO
SSSが親会社から独立した直後───四年前のことだが、当時のメンバーはこの室長と有馬という社員だけだったという。その後CM制作という業種に惹かれ、何の技術もなく感性だけで入社した者や、やる気や興味をアピールに来ていつのまにか居座った者もいる。そんな風にスタッフが増えていった。
室長の人を見る目のおかげでSTUDIO
SSSの業績と知名度は上がり、親会社にとって無くてはならない存在にまでなった。しかしそれは、純粋に仕事を楽しんでいるスタッフたちの与り知るところではない。
スタッフの一人である須佐巽も、いろいろあって三年半まえに中途入社した身である。眼鏡の中の瞳はいつも穏やかそうであるが、彼の仕事に対する厳しさは撮影会社の人達も含め、ここのスタッフ全員がよく知っていた。さらに矛盾することだが、須佐は背丈は人並みだが十人いれば八人に指摘されるほどの童顔で、高校生に間違われたこともある二十八歳だった。高校生のような顔でいつも穏やかで、でも仕事となると周囲に怒鳴り散らすのだから、彼ほど「外見に惑わされるな」という言葉が似合う男もいないだろう。
「おはようございます、成瀬室長。お茶でもいれますか?」
「あ、頼む」
他のスタッフが出社するのはまだ先の時刻だ。のんびりすることにする。
すぐ横に備え付けられた給湯スペースで須佐は手際良く日本茶を入れ始めた。湯を入れて急須を温めている時間、少しの間ができた。
「例の仕事、きてるぞ」
須佐の背中に向けて成瀬は言った。即答があった。
「あ、やっぱり」
「動じない奴だな。ちったぁ驚けよ」
ばしゃっと湯を捨てて、今度は茶葉を入れもう一度お湯を注いだ。蓋をして押さえながら、ゆっくりと時計方向に回す。ゆっくりと。
「だって、今話題になってるでしょ?
あそこの社長、ああ見えて派手好きそうだし、何か仕掛けてくるだろうとは思ってたし、それに」
巧いんですよね、と付け加える。
「なにが?」
「何をどうすれば一番効果的か。Aをしたい場合、Bをどう動かすか、とか。そういうことです。殊にマスコミの動かし方をよく知ってますよ、あの人は」
二つの湯飲みに交互に茶を注ぐ。茶柱は立っていないが室長好みの濃さにはいれられたと、須佐は満足した。振り返って成瀬の机の上に湯飲みを置いた。
成瀬は「さんきゅ」と言ってから、
「その顔で、性格擦れてんな、おまえ」
と言った。
「顔は関係ないでしょ」
と須佐ははにかむように笑う。そして先程自分がいれた茶を口につけた。
成瀬は新聞をぺらりとめくり、三十二面を開いた。それは新聞の一番最後のページで、つまりテレビ番組欄だった。
十時からの時間枠の内容はすでに分かっている。あの『B.R.』の記者会見が行われるというのだから、これを放送しない手はない。成瀬の想像通り、七つのテレビチャンネルのうち五チャンネルに、『B.R.』記者会見の予告がされていた。
「一週間でフィルムあげろって」
「?」
はじめ、須佐は何の話題を振られたのか分からず首を傾げた。しかしすぐに気付き、成瀬の言葉を理解すると大声をあげた。
「はぁっ?」
「依頼書に書いてあったぞ」
「何考えてんだ…っ────と、言いたいところだけど、あの社長の無茶は今に始まったことじゃないし」
苦笑しながら須佐は近くの椅子に腰を下ろした。
────STUDIO
SSS。
『B.R.』のCDのテレビCMはここで作られている。
『B.R.』プロジェクトの裏方スタッフのなかで、直接仕事に関わる人数が一番多い作業だ。企画会議はnoa音楽企画の社長安納鼎と、作詞曲家のKanon叶みゆき、そしてCMプランナー須佐で行われる。その後須佐が絵コンテを書き(これは安納らの承認をもらう必要はない。基本的に仕事は任されている)、実際に撮影に入るわけだが、その撮影班の選定に須佐はまず頭を悩ませた。
企画の出所は絶対に秘密だというが、撮影に関わっている人間が後にテレビのオンエアを見たら、自分たちは『B.R.』のCMを撮っていたと当然分かってしまうからだ。『B.R.』のメンバーはもちろん、事務所、自分たちスタッフ関係者すべて名を明かしてはいけないと言われていたから、これは難しい問題だった(もとより、須佐たちは『B.R.』のメンバーを知らないのだが)。情報を洩らさないためには絶対の信頼関係が必要である。
安納鼎はその問題を解決できる人材を選んだ。
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SSS、須佐巽。
「でもほんとに、何考えてるんですかね。あの人は」
当の須佐本人は、お茶をすすりながらしみじみという。
「ま。とりあえず詳細は明後日。事務所に来いってさ」
「じゃ、成瀬室長。いつも通り三田さんのところの撮影班お借りしますね。話を通しておいてください。それから一村くんを借りていきますよ」
須佐は成瀬から依頼書入りの封筒を受け取り、自分の席へと戻る。
書類を熱心に黙読する須佐の横顔を、鳴瀬はしばらく眺めていた。
まだ、静かな朝だった。
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