キ/BR/06
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十二月十一日。東京都L区────。
神経研究所附属理和病院。
───中庭のツリーに電飾が灯って二時間が経とうとしている。
中野浩太が帰った後、安納希玖は叶みゆきが持ち込んだ書類に目を通していた。十枚程度の書類を熟読することはせず、自分に必要と思われるところだけ拾い読みする。この施設の面会時間は夜八時までで、みゆきもそれを気にして入る様子だった。
窓の外はもう真っ暗で、中庭のクリスマスツリーだけが光りを放っていた。窓に手を置くと外の冷気が伝わってくる。みゆきは湿ったガラスに指を走らせた。文字を書きたかったわけではなく、外の景色をクリアに見たかったので。
「ふーん、面白そう。さすがお父さん」
その声に、ずっと外を眺めていたみゆきが振り返った。
「明後日にはスタッフ全員が集まるわ。レコーディングはその後から始める予定なの」
「スタッフ全員…って、初の顔合わせ?
浩太たちも?」
「多分」
興味深そうに訊いた希玖にみゆきは曖昧な答えしか返せなかった。これは彼女が口下手で説明が足りないせいではなく、予定が不定だからだ。みゆきは安納鼎と並び『B.R.』プロジェクトの企画責任者であるが、安納のワンマンな手法のおかげで彼女が把握していないことは意外と多かった。
「おじさんが、二週間後に全員で記者会見するって言ったでしょ?」
「昨日のテレビで言ってたあれ?
うん」
『B.R.』が初めて姿を現した昨日は一大記念日だったに違いない。『B.R.』のメンバーの一人中野浩太と所属事務所社長の安納鼎二人だけの記者会見であったが、世間はそれに釘付けになっていた。
その記者会見のなかで、「他のメンバーは誰なんですか」という報道人からの質問に、安納鼎はこう答えた。
二週間後には彼らを紹介できるでしょう。
みゆきはその様子をホテルの部屋のテレビで見ていた。
「その二週間後って、二十四日。つまりクリスマス・イヴなの。今回の企画だってクリスマスに合わせてのものなのよ」
「派手だなー」
くすくすと笑いながら希玖は感心する。我が父親ながら立派な商魂だ。
希玖の反応を見てみゆきは、
「なんかね…うまく言えないけど。やりすぎな気がするのよ。演出が過ぎるっていうか…」
と言う。
「うん?」
「…」
安納鼎は芸能事務所の社長で、タレントという商品を売り出すのが仕事だというのは分かる。
秘匿性をネタに人気が集中した『B.R.』。レコーディングというまとまった時間に、一般人である彼らを一度に集めるのは、年に一回が限度だった。だから年に一度しかCDを出さなかった。その稀少さがまた人気の原因となった。毎回『B.R.』の曲は発売後二ヶ月はベストテン入りしているし、売り上げ枚数だって大したものだ。テレビにも雑誌にも、それこそCDの宣伝ポスターやテレビCMにまで現われない─────そう、言葉さえも聴かせてくれない、「音」だけの存在どころか、「歌」だけの存在であるにも関わらず。語り継がれてゆく、まるで伝説のように。
『B.R.』は、「夏」の代名詞として君臨していた。
そのなりゆきに安納は満足しているようだったし、『B.R.』の五人も楽しんでいるようだった。
でも。
安納の目的は『B.R.』を売ることじゃない。
(それだけは、私も分かってるわ)
だって『B.R.』が立ち上げられた理由は一つだけだった。それはみゆきが待ち望んでいたことだし、希玖だって気付かずに願ってたはず。おじさんも分かってくれた、希玖から生まれた音楽を聴いた瞬間に。
安納希玖の曲を人々に聴かせることが、『B.R.』の目的だから。
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