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 ─────いつからだろう、妙な違和感を覚え始めたのは。
 『B.R.』の詞。曲。
 叶みゆきという人間を知れば知るほど、その違和感は深まるばかり。
 『B.R.』の、少なくともあれらの「詞」を、叶みゆきが書いたとは思えないでいるのだ。
 いつも自信が無さそうに、おどおどしていて、ちょっとつつけば言葉を返せないまま黙り込んでしまうような叶みゆきには。
 恋愛や生き方の詞。叶みゆきが「表現」する内容とは思えない。
 以前、片桐実也子にできるだけ柔らかい言葉で言ってみたところ、「え? でもかのんちゃん、好きな人いるよ」と返された。
(…別に、あいつにそういう気持ちが無いって言ってるわけじゃない)
 さすがにバツが悪くなり、自分の中で弁解する。
 それにそういう問題ではなくて。
 叶みゆきは自分自身を表現するのが苦手だ。おまけに鈍感で気も利かない。
 あんな風に、「言葉」という明確な意思疎通手段で自分を伝えるという器用さは、彼女には無いと思うのだが。そして詞の内容を物語りとして演技する要領も、無い。


 咄嗟のときに嘘が付けない。
 中野浩太と同様、叶みゆきもそんな人間だった。
「…っ」
 みゆきは明らかな動揺を表情に出した後、反射的に希玖を振り返ってしまった。希玖はみゆきのその視線を受け取らなかった。
 希玖だけは表情を変えず、浩太の視線を受け止めていた。強気も弱気もうかがえない視線で。
 空気が痛かった。
 浩太の質問からどれくらいの沈黙があっただろう。誰も、息さえ飲まなかった。
 浩太は二人を睨み付けたまま、どちらかが答えるのを待っている。
 みゆきは言葉を返せない。でもその表情だけは馬鹿正直で動揺しているのがわかった。
 希玖は何も読み取れない表情で浩太を見つめている。
 二人が答えられないでいるのは図星だからだ。と、言い切れるまで浩太は自信があるわけではなかった。でももし全くの見当違いなら笑い飛ばせばいいはずだ。それに少なくともみゆきは嘘をつけない。それは可能不可能ではなく単に性格の問題である。
(あ)
 ふと、こんな場面であるが思い立ったことがあった。
(…どうするんだろう)
 もしこれが本当で、もしここで二人がイエスと答えたら、自分はどうするつもりなのか。
 自分の直感通りだと笑うのか? それとも。
 全く考えてなかった。わからない、今は何もわからない。その瞬間に生まれる自分の感情さえ想像できないから。
 その瞬間に生まれる自分の感情が何故だか怖くて、ノーと言ってくれと、浩太は願った。
 沈黙を破ったのは、希玖だった。言った。
「あちゃー…。バレちゃったね」
 崩した雰囲気で笑う。どきっと驚いてみゆきは振り返った。
「希玖っ?」
「だってみゆきちゃん、これ以上隠してもしょうがないし」
 軽く肩をすくめてみせる。不安そうな顔をしているみゆきを安心させるために笑顔を向ける。
 しかし、
「ほんとなんだなっ」
 という浩太の厳しい声に、みゆきの体は跳ね上がった。
 希玖の、その何でもない事のような軽い言い方に、無性に腹が立っていた。
「うん」
 と、希玖。
「確かに、『B.R.』の曲の作詞作曲をしていたのは、僕だ」
 はっきりと、わざと単語を区切って希玖が言った。
 真実を言った。
「社長は、知ってんのか?」
「お父さん? もちろん知ってるよ」
「もしかして、そのパソコンで…、曲を?」
「あたり」
「…」
 浩太は歯ぎしりした。
 どうして、こうもどうでもいい質問ばかりが口に出るのだろう。
(落ち着けっ)
 そう、自分に言い聞かせて、実行できた試しはない。
(Kanonはみゆきではなく)
(『B.R.』の曲の作詞作曲は希玖で)
(隠されていた? 三年間も)
(ああ、やっぱり────)
 混乱して、複雑な感情が入り混じる自分の中で、不思議と落ち着いている部分がそう呟く。
 やっぱり、と。
 そう考えるとしっくりとすべてが解決するような気がする。
 Kanonとみゆきが同一人物とは思えないこと。みゆきの性格。希玖の指し示すもの。Kanonの詞。希玖の言葉。
 見えない糸が、ほどかれてゆく。
「…どうして、黙ってたんだよ」
 と、浩太は訊いた。
 この状況で尋ねるには、適当な質問ではなかったかもしれない。
 でも、浩太の心情的には、的確な疑問だった。
「どうして隠してたんだよっ」
 手が震えている。それを自覚した。
 声が大きくなるのは気持ちの昂ぶりだ。その大声でみゆきがビクッと肩をすくめたが知ったことではない。希玖は────。
 希玖は、その無表情のなかでも、どう受け答えするかを計算しているに違いなかった。
 それが分かるくらいの付き合いはあった。
 浩太は希玖が答えるのを待った。みゆきも、希玖の言葉を待っていた。
 さぁ、どう答える?
 挑発的に浩太は胸の内で呟く。
 弁解の言葉で、納得いく説明をして欲しかった。きちんと説得されて、一言謝って欲しかった。
 黙っててごめん、と。
 希玖の事情、みゆきが代役を努めるまでの経緯。
 それだけで、この、一人よがりな憤りは収まるはずだと。
 浩太は、思っていた。
 しかし。
 浩太の思惑は外れて、希玖はにっこりといつもの笑顔を見せると、明るい声のたった一言で説明を終わらせた。
「どうしてって、秘密だからさ」
 どこかで聞いた台詞だ。
 ああ、そう。希玖が安納社長の息子だと名乗らなかった理由も、彼はそう告げていた。きっと、その時とのシャレも含めて、意図的に同じ言葉を選んだ。きっと。
 すぅ、と、浩太は頭が冷めるのを感じた。憤り?
 浩太に鈍感と評されたみゆきでさえも、希玖の返答が浩太に与える感情に気付いた。
「き…、希玖っ」
「俺、帰るよ」
 口を出た言葉は意外にも冷静なように響いた。
「浩太さん…っ」
「そう? 浩太、また来てね」
「二度と来るか」
 あたふたと声をかけるみゆき。
 いつも通りの別れの挨拶をする希玖。
 それを拒絶する浩太。
 息を吸う。
「なんだかんだいって、仲間を騙してたのはおまえのほうじゃないかっ!」
 希玖ではなく、みゆきに。
 浩太は怒鳴った。
 希玖は弾かれたようにみゆきに視線を送る。みゆきが責められるとは思ってなかったらしい。
 みゆきは、唇を噛んで、酷く傷ついた顔を見せた。

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