/BR/祐輔
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「…煙草の味」
 唇を離した後、沙耶が呟く。もう四年も経つのに、思い出したかのように繰り返される台詞。
「沙耶が嫌ならやめます」
 その度に、同じ回答をする祐輔。
 本日は東京、沙耶のマンションに祐輔はお邪魔していた。
「いいよ。嫌いじゃないし……それに、煙草やめたら山田くん困るでしょ?」
 本村沙耶は音楽院卒業後、東京ミュー・フィル・ハーモニーにオーケストラ要員として入団。現在はビオラのセカンドをつとめるまでになった。
 一方、山田祐輔は卒業後、横浜の実家でピアノ教室を営んでいたが、色々あって現在は芸能界で「Blue Rose」というバンドのキーボードを担当している。
「山田くんはストレス溜めてるしね」
 喫煙が祐輔のストレス解消法だと、沙耶は知っている。
 祐輔はそれを素直に認めたくなく、何か言い返そうとしたがやめた。確かにそういう時期もあったからだ。
「沙耶は違うんですか?」
 彼女の実兄に言わせると「似過ぎている二人」の沙耶と祐輔。負荷がかかるところは同じかもしれない。
「私は演奏することで発散してる。でも、山田くんはそれ、できないもんね」
 それは適性の問題。
 あ、と沙耶が思い出したように声をあげた。
「慎也が、結婚決めたみたい」
 祐輔はさして驚かなかった。
「ショウコさんと?」
 慎也の彼女とは、何度か面識がある。
「勿論。六月だって」
「あの二人も長かったですね。付き合い始めて三年くらい経つでしょう?」
「私もそう言ったら、おまえらはどうなんだ≠チて言われちゃった」
 二人、笑い合う。沙耶と祐輔が付き合い始めてから五年、経とうとしていた。
 祐輔は沙耶を抱き寄せて平然と言う。
「沙耶が結婚したいなら今すぐにでも」
「んー。とりあえず、慎也を送り出してから、かな」
 普通は逆でしょう? と言って祐輔は笑った。
 そして、あ、と今度は祐輔が思い出したように声をあげた。
「そうそう沙耶。実はこんな話がきてるんですけど」
 それは「Blue Rose」のカップリングで弦楽器を用いた楽曲を使用する、それに当たりヴァイオリニストを探しているという内容だった。その候補に沙耶の名が挙がっているのだ。
 沙耶は首を傾げた。
「それって、山田くんのコネにならない?」
 普通なら有名なソリストの起用やオーディションを行うところだ。祐輔も頷いた。
「嫌なら断わってください。僕もそれには意見したんですけど、彼らは単に、僕の彼女が見たいだけなんですよ」
「いつも話してる、愉快な仲間の人達?」
「そう。どうしますか?」

「はじめまして。本村沙耶、です」
 山田祐輔が本村沙耶を連れて練習スタジオに現われたとき、その場にはメンバー全員が既に揃っていた。
 小林圭、中野浩太、片桐実也子、長壁知己、叶みゆき。 
 一瞬の空白の後、実也子は隣に居た浩太に小声で耳打ちする。
「……知らなかった。祐輔って面食いなんだね」
「予想つくだろ、それくらい」
「俺はちょっと意外。あの祐輔の性格と付き合えるってどんな女かなーと思ってたんだけど、結構まとも?」
 会話に加わったのは圭だ。
 その会話がしっかり聞えていた祐輔は笑顔で口を挟んだ。
「性格は僕と似てるって言われますよ」
「うわっ、最悪」
「祐輔、その紹介は彼女に失礼じゃないっ?」
 騒然とするメンバーを前に、祐輔は沙耶に囁いた。
「ね、愉快でしょう」
「…ほんと」
 沙耶は初めて会った祐輔の仲間たちに、好感を覚えていた。

「ちょっ、え? 嘘でしょ?」
 打ち合わせの最中、突然立ち上がり異論を申し立てたのは実也子だった。
「おまえ、話聞いてたか? この曲の使用楽器は、ギターとヴァイオリン二本。浩太と、本村さん、そして実也子だ」
 リーダーである知己が呆れたように言う。その隣でエディターのみゆきも頷いている。
 実也子は天を仰いだ。
「嘘ー。私、もう一人フィーチャー(特別出演)するのかと思ってたよぉ」
「前に、ヴァイオリンやってたって言ってただろ」
「でもー…」
 実也子は普段はベースパート担当。楽器はコントラバス。確かに、コントラバスを始めた初めの頃は、体が楽器を支えられない為にヴァイオリンで練習していた。
「でも、私、下手だよ? 現役のヴァイオリニストと共演なんてできないよー」
「話にならないくらい下手なら、かのんも再考するってさ。とりあえずは合わせてみろよ」
 きゃー、と半ばパニックになっている実也子に同情する者は一人もいなかった。
 結局、その日のうちに圭(ボーカル)、浩太、(ギター)、沙耶(ヴァイオリン)、実也子(ヴァイオリン)によるセッションが行われ、みゆきのOKが出たので明日本撮りを行うことになった。
 帰り際、実也子はまだ渋々言っていた。沙耶の音を聴いてさらに怖じ気づいたらしい。
 しかし。
「山田くん」
 そしてこちらも帰り際。沙耶は祐輔に話し掛けた。
「どうかしました?」
「片桐さんて何者?」
 質問の意図が分からず、祐輔は首をかしげた。
「どういう意味ですか?」
「趣味でやってた人の、音じゃない。…誰かに、ついてたんじゃない?」
 沙耶は実際、今日、実也子の演奏を聴いて驚いた。確かにコントラバスとヴァイオリンは姉妹楽器だが、ここまでの弾き手だとは予想していなかった。
 やはり個人の腕前は、音が薄くなってこそよく表れる。「Blue Rose」ではベースというあまり目立たないパートなので気付かなかったが、実也子の演奏には正直驚いた。
「ああ、…そんな風に言ってたことが、確かにありました」
 以前、実也子は「先生に弟子入りしていた」と言っていた。
「誰?」
「そこまでは。気になりますか?」
「うん…。多分、すごく有名な人だと、思う」
「そうですねぇ、コントラバスっていうと───」
「遠藤周雄、前田公昭、大島秀、杜山雄一郎…。それから」
「でもまさかそんな有名どころではないでしょう」
 祐輔は苦笑した。沙耶も、そっか、と考え直す。
「──でも、今日は楽しかった。山田くんの仲間とも、仲良くなれたし」
「こちらこそ、ありがとうございました」

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