/BR/祐輔
12/13

 六月。
 初夏を感じさせる青い空の、暖かい日だった。
 指定された駐車場は丘の中腹にあった。木々に囲まれて、舗装されていない砂利敷き。あまり広くもないその場所に車を止めて、祐輔は目的地へ足を運ばせていた。
 駐車場からは歩いて十分、とある。先程車で昇ってきたアスファルトの坂道を、今度は徒歩で歩く。狭い道で、谷側には都心の街並みが見渡せた。良い天気だった。
 慣れないスーツはどこか着心地が悪くて、とりあえずネクタイを崩してみる。腕時計に目をやると、待ち合わせまであと二十分。十分余裕のある時間だった。
 途中、同じ目的かと思われる何人かと出会う。その中の数人は知り合いで、音楽院時代の同級生だった。あまり付き合いはなかったので挨拶程度の言葉を交わす。
 祐輔は視界の端に、見知った後ろ姿を認めた。
「沙耶」
 その後ろ姿が振り返る。
「おはよう。山田くん」
 沙耶は紺色のキャミソールドレスにシースルーのショールと、肘まである白い手袋をしていた。
「おはようございます。ドレス、似合ってますよ」
「山田くんも、かっこいいよ」
 二人は並んで歩き始めた。
「いい天気、だね。良かった」
「そうですね。折角のおめでたい日ですし」
 森林の中へこのまま散歩にでも出かけたいような、そんな日だった。
 祐輔はちょっと迷ってから尋ねた。
「余計な事かもしれませんけど、今日は沙耶のお母さんは来ないんですか?」
「多分、来ると思う。慎也も招待状出してた、みたいだし」
 バラのアーチをくぐると、そこはもう目的地。
 場所は都内郊外にある教会。
 今日は祐輔の友人であり、沙耶の実兄である日阪慎也の結婚式だった。



「よぉ、来たな」
 新郎側の部屋を訪れると、真っ白いスーツの慎也が振り返り笑った。髪も整えてあり、いつもより三割増、と沙耶も祐輔も同じことを思ったが、本日はめでたい席、控えることにする。隣には慎也の父親が式服で座っていた。
「本日は、ご結婚おめでとうございます」
「おめでとうございます」
 沙耶と祐輔は同時に頭を下げた。
「ありがとう」
 と慎也。照れ臭そうに笑う。そして沙耶はふいともう一人に向き直り、改めて挨拶をした。
「お父さん、久しぶり」
 慎也の父親ということは沙耶の父親でもある。二人の両親は十八年前に離婚していて、沙耶は母親に引き取られた。その母親はすでに再婚している。
「沙耶。おまえは結婚しないのか?」
 と顔に皺を寄せてからからと笑う父親(気さくな人らしい)に、沙耶は苦笑した。
「会うとそればっかり」
「大丈夫だよ、父さん。遅かれ早かれ隣にいる男とくっつくからさ」
 慎也の台詞に、なにっ、と微かな敵意が込められた視線を父親に向けられた祐輔は、
「はじめまして。山田祐輔といいます」
 と、冷静に名乗った。こういう場面で、微塵も緊張しないのが山田祐輔の特徴でもある。
 続けて、慎也と沙耶の同級生であること、慎也の友人であり、沙耶と付き合いがあることを簡単に並べる。その落ち着きぶりに慎也は舌打ちした。父親に質問攻めにされて慌てる姿を期待していたのに。
 父親のほうからもあれこれ質問されても、祐輔はいつも通り、少しよそ行きの笑顔を見せて、素直に答えていた。
「そうそう、慎也のやつ、沙耶が同じ大学にいるなんて最後まで言わなくてな」
「卒業する前にバレただろ」
 突然向けられた父親の愚痴に慎也は肩をすくめる。沙耶も会話に入った。
「でもお父さん。私たちも、狙って同じ大学に入ったわけじゃないよ」
「だよな。俺だって入学してから驚いたし」
 それなら祐輔も知ってる。
 慎也はピアニストになる夢を諦められず二十四歳で音楽院入りした変わり種で、入学してから一ヶ月後、新入生最初の席次発表で沙耶の名前を見つけて驚いたという。二人は両親には秘密にするという同盟を組み、卒業まで隠し通したのだ。祐輔は途中で知らされた。
「あれ。─じゃあ山田くんは今は何をしているんだい?」
 合間に、そんな質問があった。
 何気ない質問だった。
「───」
 祐輔は答えるのが遅れた
 質問に意表を突かれたわけではない。ただ、自分の今の職業を何と言い表せばいいのか、分からなかった。
 数ヶ月前までは「ピアノ教室の先生をやっています」と言えば済んだ。現在は?
 何度か、「Blue Roseでキーボードやってます」と答えたことがあるが、これは職業ではない。それ以前にこの父親は「Blue Rose」を知っているだろうか。はたまた「芸能人」などと答えたら笑われるかもしれない。大体、芸能人は職業名なのだろうか。「音楽関係者」と呼ばれたこともあるが、これも職業であるかは謎だ。
「演奏家、だよ」
 沙耶だった。
「!」
 祐輔は胸を突かれた。
 振り返ると、沙耶は微笑んで祐輔を見つめていた。
「山田くんは、演奏家、だよ。ピアノだけじゃなく、電子楽器もこなしてる。テレビに出たりもする、演奏家だよね」
 慎也も、沙耶の言いたいことが分かったらしく祐輔に笑顔を向けた。
「………」
 演奏家。
 くすぐったい響きだった。
 それは学生時代に既に諦めていた道、散々否定してきた未来。
 今、祐輔はそれを生業としているのだ。運命とは、不思議なものである。
「ほう、それはすごい」
 父親が頷いた。
「───…ありがとうございます」
 会話のつながりとしてはおかしかったかもしれない。
 でも祐輔は、慎也たちの父親だけでなく、慎也と、沙耶に、感謝を述べたかった。

「じゃあ、その演奏家にお願いがあるんだけど」
 にかっと笑う慎也。何か企んでいるようだ。すぐ傍らに置かれていた紙の束を無造作に掴み祐輔に手渡す。
「式のとき、この曲弾いて欲しいんだ」
 と言った。紙の束は楽譜だった。何気なく受け取ってしまった後に気付いた。
 祐輔は目を丸くして言う。
「は? 聞いてませんよ」
「言ってない。祐輔なら大丈夫だろ。沙耶、おまえも一緒な。どうせ車に楽器積んであるだろ?」
 とんとんと話を進めてしまう慎也に、祐輔は口を挟んだ。
「ちょっと待ってください。教会にはピアノなんて無いでしょう?」
「大丈夫。借りてあるから」
 抜け目無かった。
「慎也、あのですねぇ」
「おまえ、親友の結婚式なんだから文句言わずに大人しくやれよ」
「そういう台詞は事前に打ち合わせの段取りを組む親友に言ってもらいたいですね」
 二人の会話に沙耶は笑ったようだった。
 ふと、祐輔と目が合う。黙契が成り立ち、二人は笑いあった。
「それに────一応、私たち二人ともプロなんだけどな」
「まあまあ。他ならぬ慎也のため、ノーギャラでも演りましょう」
 アイ・コンタクトで意地悪な芝居を打つ二人は、どう考えても性格が悪い。分かっているはいるが、慎也は素直じゃない二人に嘆息した。
「おまえらな…」
「何の曲なんです? …ああ、これって、慎也が学生時代からしつこく弾いてる曲ですよね」
「違うよ山田くん。これ、慎也は十八年前から弾いてる」
 この曲を初めて耳にした時から。
 ───以前、聞いたことがある。
 慎也と、彼の恋人はこの曲をきっかけに出会ったということ。
 まあ、有り体に言えばノロケなのだが、随分と感慨深げに語っていたことを覚えている。
 慎也の彼女とは祐輔も何度か対面したことがあるが、あまり笑うことが得意ではない美人、という認識がある。笑顔が板に付いてないというか、ある種、叶みゆきのようなぎこちなさがある。かと言って大人しいわけじゃない。
 付き合いがあるわけではないので詳しくは分からない。
 でも慎也の隣で見せる幸せそうな笑顔を、祐輔も沙耶も知っている。
 お似合いだね、と沙耶が言う。僕たちほどではありませんが、と祐輔が言う。
 幸せだな、と思った。
「山田くんと演奏するのも、久しぶりだね」
 沙耶が笑う。
 二人はこの五年間、一緒に何度も演奏してきた。
 でも、いつも。思い出す気持ちは五年前の秋───。
 まだ二人が、お互いの音を知らずにいた頃のこと…。

12/13
/BR/祐輔