/BR/祐輔
2/13

 四年前───九月。

 薪坂千鶴音楽院は都内K市に本校舎を構える学校法人大学である。
 創立は昭和四五年、まだ歴史は浅いが国立・武蔵野と並ぶ音楽大学で、いわゆる名門と呼ばれる部類に属していた。カリキュラムは大きくわけて二つ───これは想像がつくだろうが、実技と規定。規定は主に楽典でこれは筆記試験がなく、実技試験の際の口頭試問によって評価される。実技は完全席次制で、同じ学科の生徒はAからEにランク分けされ、さらにその中で順位が付くというシビアなものだった。
 生徒数はおよそ一千人。一学年は二五〇人。そのうちピアノ科は一〇〇人と最多。
 そしてこの年の三回生、ピアノ科A組の一番に、山田祐輔が名を列ねていた。


「よー、山田ぁ」
 頭上から声がかかった。
 自分の名前だ。起きるしかないだろう。
 教室の机に伏して寝ていた山田祐輔は、睡眠を邪魔された不機嫌さを隠して頭を持ち上げた。
「何ですか?」
 祐輔は誰に対しても敬語を使う。それは癖なのだと、彼は言う。
 祐輔に声をかけたのは二人の男子生徒だった。同じクラスだが名前は覚えていない。
「席次見たぜー。一番。二〇週連続、憎たらしーけど、おめでと」
「校史初だって、先生言ってた。すげーよな」
 毎週発表される席次順は廊下に張り出されている。祐輔にはその発表を見る習慣は無かった。
「ありがとうございます」
 とりあえず笑顔で礼を言う。
 祐輔はこの学校の評価システムを小馬鹿にしている節があった。否定はしない、呆れているだけだ。
 音楽という点数化しにくいものにどうして順位が付けられるだろう。どんな基準で誰が評価するというのだ。その基準はとてもあいまいで、評価する先生方の耳にも気斑があるというのに。
 そういう環境だからというわけでなく、一番を取り続けているということに祐輔は優越や気負いを感じたりはしなかった。どんな採点方法でも、彼には興味がなかった。
 しかしそんな本人の思いとは裏腹に、席次発表のおかげで山田祐輔の名は学内ではちょっとした有名人扱いになっていた。
「山田ー、この間の授業の内容なんだけど、ちょっと訊いてもいい?」
「あ、ズルいっ。山田くん、私も教えて」
 主席を取ったからと言って、規定の成績も良いということにはならないのだが、こんな風に頼られることは多かった。断わる理由も無いので、自分の分かる範囲で教えてやる。
「ええ、いいですよ」
 貼り付けたような笑顔。自覚はある。それが悪いとは思わない。良いとも思わない。
 ただ周囲と問題を起こさない処世術を、自然と身に付けているだけだ。
 他人に好かれたいわけじゃない。嫌われても構わない。でも煩わしい人間関係に神経を使うのが面倒くさい。それらから避けるためには、当たり障りのない性格がベストなのだと、祐輔は知っていた。

2/13
/BR/祐輔