/BR/祐輔
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 翌日。
「祐輔っ」
 背後から呼び止められた。振り返らなくても分かる、この学校で祐輔を呼び付けにする人物は一人だけだ。
「張り紙見た。また一番か」
 これは賞賛じゃない。あからさまな嫉妬でもない。
 日阪慎也は手を振って駆け寄ると、そのまま祐輔の肩に手を回して体重をかけた。
 祐輔も平均よりは長身なほうだが、慎也の視線は祐輔より高い。
 この馴れ馴れしさは祐輔の苦手とするところだが、許せてしまう雰囲気が、彼にはある。
「おはようございます。慎也」
 祐輔が呼び付けにする相手も、一人かもしれない。
 日阪慎也は二十六歳。クラスでは一番の年長者である。彼は別の大学を卒業後一旦就職したものの、ピアニストになるという幼い頃の夢を諦められず、この音楽院に入学した変わり種。学費をアルバイトで稼いでいる為、週に何日か学校をサボる日がある。勿論、興味の無い授業や必要ない単位を狙った日だけ。昨日発表された席次のことを今朝見たということは、昨日はサボりの日だったというわけだ。
 祐輔が慎也のことを気に入っているのには理由があって、他のクラスメイトと違って慎也だけが、堂々と率直な意見を口にするからだ。賞賛や批判、それらに付随する複雑な感情も。嫉妬という感情が彼には稀薄で、一度社会に出た人間であるのに繕おうとしない、年の割に良い意味でスレていない。そんな人間だった。
「さすが、コピー機≠セよな」
「ありがとうございます」
「…誉めたんじゃねーよ、皮肉ったんだよ」
 と口の端を持ち上げて呆れる慎也に、祐輔は笑った。
「もちろん、分かってますよ」
 ──山田祐輔には一ピアニストとしてかなり特異な特技があった。
 祐輔自身は早くからそれを自覚していた。それについては否定も肯定もしたことはない。
 この学校の生徒の幾人かが祐輔の演奏を聴いてそれに気付き、コピー機≠ニ呼んで嘲笑っているのは知ってる。しかしその一方で、先生方はそれに気付き、そして主席という成績をつけている。その特技が受け入れられている証拠だ。
 学校の成績はともかく、コピー機と呼ばれる祐輔の演奏は周囲に賞賛され、評価されている。
 祐輔がピアノを弾くのは誰の為でもないが、周囲の評価は自信につながる。自分の演奏に疑問を抱いたことはないし、スランプに陥ったこともない。コピー機というあだ名を、気にすることもなかった。
「昨日の楽典の授業、ノート貸してくれない?」
「ええ、いいですよ。学食の食券で手を打ちましょう」
「おまえな…」
「楽典の単位落としたら慎也危ないですよね? 昨日休んだのは新しいバイトでも入れたんですか?」
「いや、いつものピアノ弾き。貸し切りパーティするから出て欲しいって」
「さすが、うちの学科のナンバー2ですね」
「すげー嫌味だな、おい」
 結局、慎也は祐輔に昼食を奢ることになった。

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