キ/BR/祐輔
≪6/13≫
講堂は、コンサートホールの縮小版と思ってもらえばいい。
各学科、週二回行われている公開授業。これは講堂の舞台の上で行われる個人レッスンで、学内の誰もが見学することができる。優秀な生徒の演奏を聴ける数少ない機会なので、教師のほうも茶々を入れ妨げたりせずに弾かせている。一人当たり約三十分。弾き手の腕前と聴衆の人数は完全に比例し、山田祐輔の場合は同じ学科のみならず、他の学科の生徒が授業をサボってまで聴きにくる始末だった。
コピー機≠ニ呼ばれる、山田祐輔の演奏を。
慎也が講堂に入った時、講堂の客席の三分の二が既に埋まっていた。
「さすが、祐輔の人気は相変わらずだな」
勿論、祐輔本人に人気があるわけじゃない。祐輔のピアノ演奏に人気があるのだ。
客席は薄暗く、その中には慎也の知っている顔や、学内の腕利きと呼ばれる人物の顔がいくつもあった。
「日阪、遅せーぞ」
扉の近くにいたクラスメイトが声をかけてきた。目ざとく慎也の後ろにいる人物に目をやる。
「げっ、本村沙耶じゃん。知り合い?」
その声にさらに別の生徒が聞きつけた。
「嘘っ、本村沙耶?」
彼女───本村沙耶は慎也の背後に隠れた。不機嫌な表情こそ出さなかったものの、慎也にはそれが伝わった。
「沙耶…」
苦笑いを向けると、
「この反応にも、慣れたわ」
いつも通りの無機的な声が返ってきた。
ヴァイオリン科三回生、本村沙耶。彼女も、学内有名人と呼ばれる一人だがそれを良しとしていない。
「日阪っ」
「うるさいって。祐輔は?」
「ああ、山田ならちょうど…ほら」
ちょうど、山田祐輔は舞台の上にいた。光の中に。
「…」
沙耶が前へ進み出る。
舞台の上のピアノを弾くのは、長身の男の人。長い髪を一つに結び、指の動きにならってそれが揺れている。
「…あの人が、山田祐輔?」
沙耶はその見覚えのある顔に眉をしかめた。図書館で目にした顔だ。
ヤマダユウスケって知ってる?
いえ、知りませんが。
そう答えたはず。
その人物が、舞台の上、グランドピアノを前に音を奏でていた。
(あの人が、山田祐輔…───)
沙耶は山田祐輔の演奏を初めて聴いた。
ショパンの、「革命」───。有名すぎるくらい有名な曲。
あの力強い曲を、危なげなく弾きこなしている。指、そして手首と腕の力がなければこうはできない。
押し寄せるような音の波と、溢れる躍動感。
正確なタッチ。激しい強弱と、テンポの変化。
(……これが、山田祐輔)
ヴァイオリンのコンクール。課題曲が伴奏付きだと聞いて、沙耶は悩んでしまった。
誰かと共に演奏するなんて、今までしたことはない。
想像しただけで、これはとんでもないことだと、分かった。
ピアノ伴奏でやるということは、そのピアノの上で自分は演奏しなければならない。ピアノが不安定ではこちらも引きずられるだろうし、例えノーミスで弾ける人と組んでもお互いの息が合わなければ演奏はガタガタになる。対等なパートナーシップを持てる人を選ぶなんて。
人付き合いが苦手な沙耶は考え込んでしまった。
山田祐輔は? とクラスの子に言われた。
「沙耶と組むんだもの。腕前としては申し分ないと思うけど?」
誰それ、と言ったらクラスメイトは大袈裟に驚いていた。かなりの有名人らしい。
パートナーを組むかは別として、そんなに巧いのなら一度は聴いておこう、と沙耶はここまで来たのだ。
「……?」
ふと、祐輔の演奏を聴いていた沙耶の頭に何か引っ掛かるものがあった。
隣に立つ慎也の腕を掴む。
「……この演奏。…シーモン? まさか」
「やっぱり気付いた?」
慎也は苦笑した。そして言う。
「これが、山田祐輔がコピー機と呼ばれる所以だよ」
S.シーモンという現代のピアノ演奏者が居る。クラシック界の中でも知名度が高く、世界的に評価がある演奏者だ。
沙耶は、祐輔の演奏とついこの間CDで聴いたシーモンの演奏法が似通っていることに気付いた。
一つ一つの音の強弱。演奏構成、テンポ、ペダルの使い方──。全てにおいて。
似ているというより、これは真似、模倣だ。
「……嘘でしょう?」
「あいつが何のCD聴いてるかって、すぐ分かるよ。音に表れるから」
真似できるだけの耳と技量が、彼にはある。
一部の生徒はこれに気付き、コピー機≠ニ呼んで嘲笑っている。
教師もこれに気付きながら、主席という評価をしていた。
そう、完璧に真似しているのだから巧いはずだ。
完全なるコピー機。
それが山田祐輔だった。
≪6/13≫
キ/BR/祐輔