/BR/祐輔
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 やがて演奏が終わった。客席から拍手が巻き起こっても、祐輔はそれに応えることはせず舞台を降りる。声をかけるクラスメイトの間を縫って出て行こうとする。慎也の姿を見つけた。
「…慎也?」
「よっ」
「どこ行ってたんですか。はじめ居なかったでしょう? ───あ」
 慎也の後ろに隠れるように、女生徒が一人立っていた。知っている顔だった。
 自分でも驚いているが、よく顔を覚えていたものだ。クラスメイトの名前も覚えられないのに。
 図書館で「山田祐輔って知ってる?」と聴いた女。そう、彼女だった。
「祐輔、こいつ、おまえに用があるんだって」
「慎也の知り合いですか?」
「ん? ああ、まあ」
 慎也はあいまいな答えを返した。隣の女生徒は慎也の腕に手をかけたままだった。
 慎也の彼女なのだろうか、と祐輔は思った。
 そして何故か、先程から祐輔の顔を凝視している。それを不快に感じた。視線を捕まえられないように祐輔は顔を背けた。
「…何か?」
「山田祐輔って、知ってる?」
 やはりどこか無感情な口調だった。その疑問に慎也は不可解な眼差しを向けたが、祐輔にはその意図が分かっている。どうやら図書館で嘘をついたことを責められているらしい。図書館で会ったとき、同じ質問に祐輔は「いえ、知りませんが」と答えた。
 溜め息をついて、今度は真実を答える。
「…僕のことですよ」
「私、本村沙耶」
 彼女は名乗った。祐輔は初めてその名を知った。
「今度、ヴァイオリン科のほうでコンクールがあるの、知ってる?」
「知りません」
 素気無くあしらった。でも知らないのは事実だ。
 どうしてだろう。あまり関わりたくないと思っている。直感的に。
 沙耶は別に気にしていない様子で話を続けた。
「私の、伴奏を、お願いしたいの」
 そう言った途端、祐輔の背後が沸いた。
「本村沙耶の伴奏〜っ? すげーコンビだぜ、これ」
「山田が伴奏、って、もったいなくないか?」
「馬鹿、相手は本村だ。相手に不足なし、だよ」
 どうやら山田祐輔と本村沙耶の対面に、周囲は耳をそばだてていたらしい。
 慎也は呆れたような溜め息をついた。
 沙耶はそれを無視しているかのように、祐輔を見つめたままだ。
 その視線から逃れることができず、祐輔は居心地の悪い雰囲気を味わっていた。やはりこの女はあまりよくない存在だ。
「引き受けて、もらえる?」
 悩むまでもなかった。それが慎也の恋人であっても同じこと。
 祐輔はにっこり笑うと、
「お断りします」
 と、言い放った。背後の騒ぎが止む。祐輔はそのまま慎也の横を通りぬけ、扉をくぐり、廊下へと出て行った。
 慎也は嘆息して、こん、と沙耶の頭を軽く叩いた。
「だから言ったろ。あいつを誘うのは難しいって」
「そう、ね」
 沙耶は相変わらずの無表情だが、懲りた様子はない。
「あいつは誰の演奏にも興味が無いんだと。伴奏なんてもっての外だよ」
 諦めろ、と言外に匂わせる。
「でも、あの人の腕は、評判通りだって、わかった」
「沙耶?」
「……」
 何も、答えなかった。
 山田祐輔も本村沙耶も、他人にあまり興味がないという点において似ているが決定的に違うところがある。
 祐輔は他人の演奏も、そして自分の演奏にも無関心で、あるのは曲を弾きこなす興味だけ。数学の問題に挑む高揚感に似ている。完全な自己満足だった。
 沙耶は音楽で自分を表現するということにとても積極的で、そのための努力は惜しまない。共に演奏する者には同じものを要求する。音楽に対する厳しさを持っている。
 その二人が、出会った日のことだった。




「──は?」
 廊下で担当教師に呼び止められ、思ってもみない話題を振られた。
 同時に、(やられた)とも思った。
「だから、本村の伴奏、やってみたらどうだ。おまえ、そういう経験なかったろ」
 と、説得するような口調で言う。その様子は必死で、しつこく祐輔に食い下がってくる。
 大体どこから情報が伝わったのだろう。──決まっている。本村沙耶だ。
 あのぼーっとしている彼女はこんな裏技を使うタイプとは思えなかったのだが、それは侮りだったらしい。
 まさか教師陣から崩してくるとは。
「それについてははっきりと断わってあります」
 これまたはっきりと、祐輔は言った。
「まあ、そう言わずに。おまえ本村の演奏聴いたことないって? 一度くらい聴いてみろ。聴く価値はあるぞ」
「……」
「聴いてからでも、断わるのは遅くないだろ? な?」



「───と、いうわけなんですよ」
 刺々しい口調で言ってしまってから(これは自分らしくなかったかな)と祐輔は思ったが、まあ、いいことにする。相手は日阪慎也だ。
 慎也も一部始終を聞いて目を丸くしていた。
「…あいつがそこまで本気になってるとは思わなかった」
「本気?」
「悪ぃな、あいつ、本気になると手段選ばないから」
 諦めて降参してくれ、という色を含ませた口調で慎也は言う。しかしその中に第三者特有の面白がっている節があるのも事実だった。
「付き合い長いんですか? 彼女と」
「…え、ああ。まぁ普通」
 と、あいまいな答え方をする。
 はー、と大きな溜め息をついたのは祐輔だ。
 本村沙耶も、慎也も、担当教師も、沙耶の演奏を聴いてから改めて断われば納得してくれるというのだろうか。慎也が言う沙耶の性格通りならそううまくいくはずはないが、沙耶の演奏に興味がないのだといえば、少しは牽制できるのかもしれない。
 祐輔はそんな風に考えて、慎也に沙耶の演奏を聴く機会があるか尋ねた。

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