/BR/実也子
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 前田公昭、六四歳。
 十七歳のときにウィーンのニール音楽大学に留学し、二一歳で卒業。後、六年間オーケストラのコントラバス奏者として活躍。帰国後はフリーの演奏家として、クラシックだけでなく伝統音楽や芸能など数々のセッションをこなす。日本を代表するベーシストとして人気をよんでいる。

 ────そんな解説が、パンフレットに書かれていた。

 実也子は理江から貰ったチケットで会場入りしていた。
 昼遅くに起きると、理江はチケットを差し出し「私、仕事で行けないから、行ってきて」と渡されたのだ。さらに理江には電車代を借りてここまでやってきた。
 周囲をいちいち気にしながら歩を進める実也子の挙動はかなり不審だった。
 激しい躊躇いの末、ここに来ていた。
 前田公昭のコンサートとなれば、周囲関係者や弟子たちも全員集まるであろうことは容易に想像がつく。その中のほとんどは昔の顔見知りだ。実也子と顔を合わせた時の彼らの反応が、実也子には恐い。
 塚原と同じように軽蔑を露にする者、罵る者もいるだろう。本当はそれらと真っ直ぐ向き合わなきゃいけないのに、その度胸が、ない。
 それからコンサートに誘ってくれた山田祐輔(後で謝らなきゃいけない)。彼が来ているかもしれない。
 色々な人から逃げようとしているけど、前田公昭の演奏は絶対聴きたい。
 この我が儘で矛盾した実也子の気持ちは、とりあえず眼鏡という変装で、どうにか納得させた。
(……ばれませんように)
 と内心で念じながら、実也子はロビーを足早に通り過ぎ、ホールへと入った。
 途中、やはり知っている顔が数人。祐輔は見かけなかったが、まだ安心はできない。
 できるだけ目立たないように、実也子は座席に腰を下ろす。一息つくことができた。
 舞台には緞帳が下りたままで、それには花畑の絵が刺繍されている。会場によって違う緞帳の絵柄をチェックするのは楽しいものだ。その絵の作者のサインを読んだが、実也子の知らない画家だった。
 周囲にはチケットと椅子のナンバーを見比べている人がいる。実也子は客電の明るさと、照明器具の位置を確認するのに高い天井を仰いだ。これは癖だった。
(あ。この雰囲気…)
 よく知っている、と思った。
 もう何年も前。
 前田先生の舞台には必ず八人揃って、花を持って、こうして客席から聴いていた。
 一番初めは十三歳のとき。
 生意気にも黒のワンピースを着て、兄さんたちに連れられて、いつも一番後ろの席に座る。純粋な観客ではないため、前田先生がわざわざ最後列のチケットを取るのだ。
 客電が落ちる瞬間のざわめき、イベントが始まることの高揚感、それから、自分たちの先生が唯一光のあたる舞台で素晴らしい演奏を披露している風景、それに聞き入る聴衆。
 いつも、実也子は夢中で舞台の上の先生を見ていた。手のひらが真っ赤になるほど拍手をした。
 いつかあの場所へ行く、と誓う瞬間。
(いつか、あの場所へ行く…と)
 ブザーが鳴って、実也子は現実へと引き戻された。

 前田公昭の演奏が始まった。


「……っ」
 目の前が曇った。涙が滲んできたのだ。
(泣くなっ)
 自分にそう命令する。でも、それに成功したのは数回しかない。
 涙が溢れて、頬を伝った。
「……」
 堪らなくなって、拳を額に押し付け、実也子は俯いた。
(先生…)
 実也子は泣いていた。
 この音楽。
 前田公昭の演奏に。
 ───ステージの上には楽園がある。
 聴く者すべてに感動を。この素晴らしい世界に拍手を。
 音楽に涙する、というのは不思議な感覚だ。
 こんなにも胸を打つ音楽に、私は出会えていた。
 幸せだ、と思った。

 それからもう一つの涙。
 それは、舞台という楽園へ。
 実也子が辿り着けなかった場所。手を伸ばしても届かなかった空間。
 挫折。
 諦めてしまった、憧れ。
 何故こんなにも、未練が残っているのだろう。
 逃げ出したのは、自分なのに。
 逃げ出したのは、私。
 わき目も振らずに努力していた過去の自分に申し訳ないと思う気持ち。
 協力してくれていた家族への謝罪。
 同じ志を持つ仲間への裏切りにも似た罪悪感。
 沢山のことを教えてくれた前田公昭、…合わせる顔がない。
(ごめんなさい。先生…)
 過去、何度も口にした言葉。
 そして苦い気持ちと共に思い出してしまった感情。

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/BR/実也子