/BR/実也子
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 同日、夜。

 コンコン
 ホテルの部屋、ドアをノックされた。空耳かと疑ったけど、どうやらそうではないらしい。
 実也子は枕元のデジタル時計に目をやる。時間は二時を過ぎていた。
 丁度起きていたので、パジャマの上からカーディガンを羽織り、部屋のドアを、そっと開けた。
 すると、
「…長さんっ?」
 知己が立っていた。実也子は大声を出した自分の口元を咄嗟に塞いだ。ドアを開けているのだ。深夜の廊下に響いてしまう。
 気のせいだろうか。知己は機嫌が悪そうだった。
 声を潜めて実也子は知己に言った。
「どしたの、こんな遅くに。今日は入れないよ」
「馬鹿、違うよ。…さっきホテルの従業員呼んでたろ。何だったんだ?」
 実也子は首を傾げる。
「え? 別に。…ちょっと寒かったから毛布持ってきてもらっただけだよ。まさか浮気なんかしてないって」
「ちゃかすな」
 強く響いた知己の声に、首をすくめた。心配そうな声が続いた。
「最近、寝てないだろ? 昼間ぼーっとしてるし、顔色が悪い。…何かあったのか?」
 知己の手が実也子の頬をなぞる。実也子はくすぐったそうに笑う。
「おせっかいだなー。何にもないよ」
「じゃあさっきの従業員に訊いてくるぞ?」
 知己の疑う言葉に、むかっ、と意味不明な言葉を実也子は吐いた。睨む視線と共に、低い声で言った。
「──怒るよ? 訊いてきても同じ。…ほらっ! 毛布だってここにあるしさぁ」
 手元に持っていた毛布を知己の胸に押し付ける。でもすぐに表情を和らげて、
「心配してくれるのは嬉しいけど、過保護なんて長さんらしくないじゃん。…それに、もし、本当に私が調子悪かったとしてもあんまり騒がないでよね。心配性なのはかのんちゃんだけだけど、うちのメンバーそういうの気にしすぎるでしょ?」
 ね? と、たしなめるように言った。
 勿論、これは実也子の調子が目に見えて悪かったときのことを仮定している。現在の話では、なく。
「……実也子」
「本当に何でもないってば。ほらほら、早く寝ないと明日、起きられないよ? それにうら若き乙女の部屋へ深夜訪れるなんて、人道外れた行為だって」
 知己はもう少し何か言いたそうだったが、実也子もいい加減早く寝たいので、長さんといえど追い返すことにする。
 知己も降参するように肩をすくめて、
「人道は外れてないと思うけど」
「ほらほら、そこでつっこまない」
 二人してくすくすと笑った。
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫だから」
「わかったよ。おやすみ」
「ね、長さん。おやすみのキスはー?」
「あほ。じゃあな」
「ケチー」
 むくれる振りをしながらも、おやすみなさいと言って実也子は手を振った。パタン、とドアを閉めた。
「…」
 また、静寂が訪れた。
 からん、と、実也子の足元に何かが落ちた。毛布の中から転がり落ちたのだ。
 実也子は溜め息をついて、それを拾う。
 手の平におさまるくらいの、透明なビン。
 ホテルの従業員に、毛布と一緒に持ってきてもらった胃薬だった。
(こんなものが効くとは思えないんだけどね)
 知己には嘘をついた。
 心配はありがたいと思う。でも。
(情けは私のためにならないんだよ、長さん)
 備え付けの水差しから水をコップに注ぎ込む。それを持って、実也子はベッドに乱暴に腰を下ろした。コップは枕元の台に置いた。
「………ばか」
 小さく小さく、呟いた。これは自分に対しての言葉。
 実也子は乱暴に薬ビンを開け、三錠ほど取り出し、一気に飲み込んだ。ついでにコップの水も掻っ込む。口の端から溢れた水をパジャマの袖で拭う。
 水が気管に入って激しくむせた。実也子は涙が出るほどの胸焼けを覚えながらも、ベッドに潜り込み布団に包まり、一人丸くなった。
 五分ほどでそれは収まり、さらに二時間後、実也子は眠りにつくことができた。

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