/BR/知巳
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「今、何やってんだ? おまえの腕は正直惜しかったから、こっちで続けて欲しかったんだがな」
 四年ぶりに会った石川恭二はそんなことを言った。PRE-DAWNという店でのことだった。
「地元で適当にやってる。もうブランク四年だ。腕だって腐ったよ」
「とにかく! ウチの業界に入るならアイサツに来い。でないと苛めるぞ」
「…お手柔らかに」
 知己には全くその気は無い。それでも穏便に交わそうと曖昧な答えを返した。

 RIZの解散後、知己は地元へ引き込み稼業の手伝いを始めた。母親は「出て行け」と常にこぼしていたが、満更不快に思っているわけではなさそうなので、図々しく居座っている。
 それから地元にも沢山のバンドがあって、ドラムというポジションの助っ人は事欠くことがない。数多くのバンドの助っ人をしてきて、依頼も増えて、音楽という世界から離れることはなかった。
 偏った知識があること、手先が器用なこともあって、ご近所の便利屋的なこともしていた。家電製品のちょっとした故障や子供の玩具は直せたし、力仕事で借り出されたこともある。
 職に就かなくても、一人で食べて行ける程度のことはできた。

 たまに、本気で笑いたくなる。
 我ながら、かなり要領良くここまで生きてきた事に。
 一人っ子でありながら、しっかりした面倒見のよい性格に育ったのには反面的な原因があって、それは単身赴任の多い父親。母の、女手一つでも一人前に育てる、という江戸っ子根性が働いたせいだ。
 自分自身、親に迷惑かけないようにという注意がいつも働いていた。
 かといって、そんな生活を煩わしく思ったり、ストレスを感じたりすることもない。
 生まれながらの小器用さで、運動や勉強もそれなりの成績を収めたし、人付き合いも良く、何が起っても結構簡単に解決してきた。中学、高校時代は大したつまづきもなく過ごしてきた。
 そして気が付けば幼いころからの夢を、二十代前半で叶えてしまっていた。その後七年間、その夢を満喫して、やめた。その後は今に至る。
 ───早くに夢を叶えてしまったら、その後は何をして生きろというのだろう。

 RIZの七年目。
 とんとんと過ごしてきた人生の中で、初めて絶望を感じたときだった。

 リーダーの加賀見康男が死んだ。
 事故だった。
 電話の音は苦手だ。
 最悪なことが、告げられそうな気がして。

 バンドとして正式に解散を発表した後、長壁知己は地元の新潟へ帰ると言い出した。
 他のメンバーには止められたけれど、ここにいることはできなかった。

 声にしては中々言えなかったけど。
 父親のように慕っていたんだ。
 傲慢な態度も、ガサツで強引で勝手でワンマンなところも、愛すべき人間だった。

 人を失うことがこんなにも辛いということ。
 初めて、知った。






「私、片桐実也子」
 目の前の、コントラバスを抱えた女の子は元気良く名乗った。
 石川恭二とPRE-DAWNで再会してから、数日後。noa音楽企画の事務所でのことだった。
 PRE-DAWNで耳にした曲を追っていたら、こんな所まで来てしまった。noa音楽企画は元プロの知己にとって馴染みは薄いが名前は知っている。J-POP系のアーティストを数多く抱える業界大手の一つだ。
 二人して指定された会議室へ入ると、まだ誰も来ていなかった。
 片桐実也子に特に目を惹かれたのには理由がある。彼女がコントラバスを持っていたからだ。それは加賀見康男と同じ楽器だった。
 一五五cm強の彼女の背丈で、一八〇cm以上ある楽器を扱うのはかなり骨だろう。知己は何故その楽器を始めたのか尋ねた。実也子はぱっと表情を輝かせた。自分のことを語るのを嬉しく感じる質らしい。
「昔、RIZってジャズバンドがいてね、ベースの人に憧れて始めたんだ」
 嬉々として彼女は言う。知己は凍り付いた。
「へぇ」
 平然と、相手に何も察せさせずに、相打ちすることはできる。それはすでに年の功と言ってもいい。
「RIZ、…ね」
 そう呟いたとき、一種の感動を覚えた。四年ぶりに口にした言葉だった。
「そのウッドベースのね、加賀見さんっていう人のファンだったの、私」
 そこで知己は思案を巡らせた。
(わざと言ってるのだろうか)
 RIZをよく知っているらしいが、知己のことを知らない?
 自惚れているわけではないが、自分がRIZの一員だったことは事実だ。
 さらに実也子は知己の顔を覗きこんで言った。
「長さんは? 何やってた人なの?」
「…っ」
 その直後。
 知己は大笑いした。実也子は本当に気付いてないのだ。
 何故だか、笑いたくなった。気持ちが晴れていた。
「え、なに? なにっ? 長さんっ?」
 実也子は知己が笑い出した理由が分からずに困惑している。知己はそれを抑えながら、どうにか言った。
「いや…、何でもない」
 後から分かったことだが片桐実也子は思い始めると一直線で、つまり、…加賀見康男しか見えてなかったのだろう。…きっと。
 その気質に惹かれたかもしれない。それに実也子に自覚は無いが、同じ人間を知っているという親近感もあった。
 自分がRIZにいたことを、何となく口にできなかったのは、この後数年にも及んだ。まあ、それもいいさ、と思う。
 その時、扉が開いた。
 ガチャリ
「──…失礼」
 入室してきたのは背の高い青年と男子中学生だった。失礼、と言ったのは実也子と知己が仲良く喋っているところを邪魔したと思ったからだろう。
「二人だけ? もう、時間だよな?」
 そんな風に尋ねてきたのは青年のほうではなく中学生のほうだった。変声期前なのか、高くよく通る声だった。
「やっぱり皆、PRE-DAWNでひっかけられたの?」
 実也子が言った。
「そうです。でもそう考えると、ここに集まるのはごく少数のようですね」
「集まるって言っても、単に例の曲が誰のものか教えてもらうだけだろ?」
 どうやら同じ目的で、この四人は集まったようだ。
 時間は丁度、十時になったところだった。
 ガチャリ
 もう一度、扉が開いた。
「あー? …何だ、これだけ?」
 今思い返すと最後の一人が現われたことになる。
 片桐実也子、山田祐輔、小林圭、中野浩太。
 RIZが解散して四年目。
 ────彼らが、新しい仲間となった。





 片桐実也子と付き合い始めたのは『B.R.』の一年目。
 誘ってきたのは彼女のほう。はじめは年齢差による抵抗感も手伝って断わったものの、まぁ、いろいろあって、今に至っている。
 でも何か約束したとか、付き合おうと言ったなどということはない。何故なら、『B.R.』をやっていた当時、会うのは一年に一回。お互いの連絡先を教え合ってはいけないという規定があったので、夏以外に会うことがなかったからだ。
 実也子も、特に知己を縛るような発言はしなかった。ただ、夏に会う度に、繰り返される会話がある。
「長さん、結婚する予定とかないの?」
「おまえ、それ、毎年訊くな。訊いてどーする?」
「そりゃ、もちろん相手に挨拶に行かなきゃー。元愛人として嫌味の一つくらい言わないと醍醐味がないでしょ? ほら、火サスみたいに」
 でも長さんと結婚する人が現われなかったら私と結婚してね。これは予約。
 面白そうに笑いながら言った。実也子はその一種駆け引きを楽しんでいる節がある。
「長さんは男の人だから、年一しか会わない私が浮気しないでねなんて言えないよね。でも私は長さんのこと好きだし、好かれたいと思う。つまらないことで喧嘩もしたいし、心の中で思っていることを聞かせて欲しい。…すごくね、長さんと会えて幸せだなぁって、思ってるの。あ、でも、それを長さんが重荷に感じることはないよ。良い関係でいたいな、って、思うだけ」
 そんなことを真正面に言われて、知己は照れるのも忘れた。
 片桐実也子は、明るい笑顔で考えていることを正直にずばっという。それはいつも本当のことだし、時々はっとさせられることもある。でも考え無しに無遠慮なことを言うわけではなく、腹芸もできるが嘘をつくことはない。(ついてもすぐ分かるから)よく気を遣う性格だがコミュニケーションが経験豊富というわけでもなさそうで、信じられないほど鈍感なところもある。
 そういう人柄に気付いたのは、付き合い始めてから。
 好きと言われて悪い気はしないし、知己自身、実也子の傍に居たいと思っていて彼女を必要としている。
 好きだと、声に出して言ったことは実はない。恥ずかしいから。
 それを年齢のせいにしてしまうのは、知己の悪い癖。

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