/BR/Lの歌
5/6

 彼女の歌は生で聴いてもやっぱりきれいだった。
 綺麗な景色を見たときと同じ、胸が痛くなる。とても大切なものを手に入れたような気分になる。滲み出る幸福感に、自然、微笑んでしまう。
 10人ほどのバックバンドはアコースティックギターやヴァイオリンなどの弦楽器とピアノ、フルートやオーボエの管楽器が並んで静かだけど深い音色が響き渡る。
 彼女は白い衣装を着て、祈るように両手でマイクを持ち、まるで語りかけるようにそっと唄う。40歳近いはずなのに稚い少女のようにも見えた。
 唄っているときはまるで別世界の住人のような彼女だが、MCでは軽快に喋り、おどけたりして、客席を笑わせることもあった。
「…ありがとうございます」
 ひとつ曲が終わった後、彼女は小さく頭を下げた。
 客席からの拍手が収まった後、いずまいを改める。
「えっと、じゃあ、そろそろゲストを紹介しようかな」
 と、いたずらをする子供のように歯を見せて笑った。
「って言ってもね、実はアポとってないんだけどね。まぁ、怒られることは覚悟のうえです」
 バックバンドに休むよう手振りで伝えて、彼女は客席を見渡す。
 スゥと息を吸った。
「───圭くん、いらっしゃい」
 明るいステージの上から彼女は細い手を差し伸べる。照明の落ちている客席へと。
(え…?)
 ざわめく観客席。ほとんどの客は彼女の視線を追うが、その先に何者か動く気配は無かった。
 それでも彼女は手を差し伸べたまま動かなかった。
(けい…?)
 さらに数十秒後、堪りかねたのか彼女がもう一度呼んだ。
「圭くん」
 しばらくしてアリーナの一画がざわめいた。私の席からはよく見えないけど、周囲の数人に押し出されるように客席からはみ出した人影があった。自分の席のほうへ振り返り何やら言葉を発したが聞こえるわけない。でも悪態を吐いたようにみえた。
「観念しなさい」
 彼女がマイクごしに言うと、その人影───少年のようだ───はしぶしぶといった様子でステージに近づく。
 帽子を目深にかぶった少年らしき人影が警備員の間を通り抜け、身軽な様子でステージに上がった。
 薄暗い客席から一転、眩しいステージに招かれた少年は客席からの視線に臆することなく、自らを呼び出した彼女へ近づく。
 何やら喋ったようだが、それは聞こえない。
 彼女は用意されたマイクを差し出した。何故か慣れた様子で少年はマイクを構えた。
「…聞いてねーぞ」
 苦々しい声がホールに響いた。
(あれ…この声…)
 知っている声だった。
「だって、絶対断ると思って」
「あたりまえだって」
 マイクを通しての不穏な、でも棘はない会話に客席がざわめく。その少年は誰で、一体どんな関係なのだろうと。
「どうしても紹介したかったの」
 彼女のきれいな深い声に、少年は顔を伏せた。彼女は笑った。
「ほら、帽子とって」
「…おぼえてろ」
「忘れろって言われても、忘れない」
 どうやら彼女のほうが上手なようで、少年の恨めしそうな台詞はあっけなくかわされた。
 しょうがない、といった風に少年は帽子をとった。やわらかそうな髪が揺れて、ぶすっとした顔が明るみになる。
「ケイだ!」
 と、最初に叫んだのは誰だったろう。
「えっ、BlueRoseの?」
「BlueRoseのケイだ〜ッ」
 またたく間に客席が揺れる。どわっと音が聞こえたような気がした。
 BlueRoseのケイ。彼のファンは今日の客層とはかなり違うだろうけど、普通に世間の動向に興味がある日本人なら知らないはずはない。
(圭…?)
 それとはちょっと意味が違うけど、一応、私も知ってる。
「まじで? BlueRose?」
 BlueRoseファンの隣の彼も、上ずった声をあげた。
 ステージの上の彼女は静まらない客席を見渡して、
「私よりずっと有名だもんね」
 と、笑う。
「でも紹介します」
 彼女の凛とした声に客席がぴたりと沈黙した。
 圭の肩に手を置く。
「小林圭くん。───私の息子なの」

5/6
/BR/Lの歌