/BR/Kanon
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 ぴんぽ〜ん
 と、ヤツの家のチャイムを鳴らしても、誰も出てこなかった。迎えに来させておいて、一体どういう了見だろう。まったく。
 割と古めの平屋に今は人の気配が無い。いつもなら、やたら元気な爺さんとやたら若いおばさんがいるはずなのにそれもいないようだ。こんなことなら駐車場に車を置いてくるんじゃなかった。徒歩1分でも徒労は徒労だ。この辺りは駐車禁止なのでしょうがないものはしょうがないのだけど。
 夕飯は奢らせようと決めて、文句を言おうと携帯電話を取り出そうとした、そのとき、
「いらっしゃい。待たせてごめんなさいね」
 と、背後からやたら若いおばさん(もちろん、ヤツではない)が現れた。近所に出かけていたというような軽装だった。
「こんにちは。今日、お爺さんもいないんですか?」
「そうなの。それとあの子もね、ちょっとお買い物頼んじゃったの。ちょっと待っててくれる?」
 4年も付き合ってれば家族と気安くもなる。おばさんは玄関の鍵だけを開けると、扉を開けずに、庭先のほうへ行ってしまった。勝手に入ってろ、ということだろう。
 三和土を上がると微かに線香の匂い。いつもの癖で、奥のヤツの部屋へ進みそうになったが、ヤツは自分がいないとき部屋に侵入されるのを大層嫌がるので(何を隠してるんだ?)、途中の居間へ入らせてもらうことにする。
 ガラスが埋め込まれた引き戸を開け、敷居を跨いだあと、
「…ぁ?」
 ぎょっとした。
 床敷き(フローリングとはニュアンスが違う)の部屋に不釣り合いな黒革のソファ、応接間───いや、それは見知った部屋なのだけど───そのソファの上で子供が寝ていたのだ。
(だれっ)
 ツッコミにも似た驚きを心の内で思う(俺はあまり感情を表に出さない人間なのだ)。
 おばさんが来るより前は玄関に鍵がかかっていたし、そうだ、おばさんは家に誰もいないと言ってはいなかったか?
(居眠り強盗?)
 そんな阿呆なことを想像してる暇はないというのに。
 そっと近寄ってみる。中学生くらいだろうか、少年が四肢を投げだし毛布一枚で寝ている。どこかで見た顔だが気のせいだろう。起こすべきだろうか? いや、でも気持ちよさそうに寝ているのでそれも忍びない。おばさんを呼んでこよう、とようやく思い立ったとき、へくち、と小さなくしゃみが聞こえた。寒いのだろうか、毛布にくるまったまま、むくりと少年が起きあがった。
 少年は寝ぼけているのか首を振って室内を見回す。その視線は壁掛け時計で一旦止まった。次にカレンダー、テレビ、新聞ときて、その視線は俺にぶち当たる。
「…だれ?」
 おまえこそ誰だ。
 まだ寝ぼけている少年と5秒ばかり対峙した。
 気のせいと思っていたが、やっぱり知ってる顔だった。
 そのとき、
「あらケイくん、来てたの?」
 俺の背後からおばさんがやって来た。どうやら少年は強盗では無いらしい。
「うん」少年は目をこすりながら答える。「…じぃちゃんは? 本、返しにきたのに、いねーんだもん」
 おばさんは奥のふすまを開け、台所で自分の仕事を始めた。声だけが返る。
「おじいちゃんは一昨日から旅行」
「どこ?」
「長崎」
「電話あったら、カステラ食いたいって言っておいて。抹茶の」
「はいはい。ところで今日は? ご飯食べてく?」
「食べる。───香子は?」
「すぐ帰ってくるわ。でも出かけるみたいよ、彼氏が来てるから」
 少年の視線が突っ立ったままの俺のほうへ戻った。ぽん、と手を叩く。
「あー、あんたが香子のカレシ?」
 と指先を向けてくる。失礼なヤツだ。
 おばさんが、やれやれと溜息を吐いた。
「ケイくんは初対面の人への態度を学びなさい」
「よく言われる」
「修さん、厳しいもんね」
「いや、親父じゃなくて、浩太とか…あ、ギターのやつ」
 そこでやっと、俺は声を出すタイミングを得た。愕然とするあまり喋れなかったのだ、珍しいことに。
「───小林圭?」
 その見たことのある顔の人物の名前を呼んでみると、
「ん?」
 と、頓着なく反応する。どうやら本人らしい。
「BlueRoseの?」
 そう訊いた声は少し強くなってしまった。少年はぽりぽりと頭を掻く。
「あれ、まずった?」
 一方、おばさんも意外そうに、
「聞いてなかったの?」
 と言う始末。
「何を───」
 誰から。
 そして恐らくその張本人であろう人物が玄関からやって来た。
「ただいまーっ」
 おばさんの娘───なんて遠回しな言い方しなくてもヤツだ───が、ぱたぱたと駆けてくる。ヤツは居間の入り口で突っ立っていた俺をみとめた。「おっと」そのまま駆けてきた勢いで俺の横腹に体当たりする。とりあえずそれを受けとめた。
「ごめん、待った?」
「いや」
「すぐ支度するから。あ、母さん、はいコレ。───っと、あれ、圭、来てたんだ」
「よぉ」
 ソファの上の少年が手を上げて返す。
「そうだ、おじさんから連絡あったよ、ひーちゃんがこっちにいる間に3人でひーちゃんの実家に行こうって。休める日、連絡しときなよ」
「わーった」
 ヤツは伝言を終えてそのまま踵を返してしまう。あのなぁ。とりあえず呼び止めるしかないだろう。
「小林」
「なに?」「ん?」
 と、ヤツと少年が同時に振り返る。…確かに2人とも小林姓だ。
 不自然な沈黙の後、ようやく気付いたらしく、
「……ぁ」
 と、顔を歪めたヤツの呟きが聞こえた。





「えっと」
 と、かしこまってソファに座る小林(香子のほう)。俺も隣に座って、何故かBlueRoseのボーカル・小林圭と向かい合うことになった。
「私の従弟の圭。…圭、こっちは私の彼氏」
 圭は興味深そうにこちらを覗き込んでくる。
「BlueRoseファンの?」
「そう」
 そんなことまで話してたのか、おまえは。
「ども、小林圭です。香子のイトコ」
「…はじめまして」
 一通りの紹介だけ済ませて、小林(香子)は支度があるから、と自室へ行ってしまった。
「えっと、今日は休みなんだ?」
「そう、先週ライブだったから、その息抜き」
「あ、それ行った。小林…香子と」
 苗字が同じというのは不便なものだ。あいつのことを名前で呼んだことなんか無いのに。
 圭はあぐらをかいた姿勢でにかっと笑った。
「ども。いつもの休みなら、みんなと遊びに行ったりするんだけど、今日は都合合わなくてさ」
「他のメンバーと一緒に遊びに行ったりする?」
「よく行くぜ」
 そこで気になったことを訊いてみた。
「Kanonも?」
「…」
 圭は表情を固めて黙ってしまった。
 BlueRoseの作詞作曲担当、Kanon。この人物について衆目には一切明かにされてない。その歌を唄っている圭がKanonを知らないはずはないだろうから、口を噤んだということはやはり意識的に隠されている存在なのかも。
 そもそもKanonという人物は存在しない、という説もある。BlueRose(5人いる)のメンバーらが持ち寄っているとか作り込んでいるとか、複数のライターを起用しているとか。
 でもKanonは一人の人間だと思う。統一された視点があるから。
 圭が返答に迷っていたので、先ほどの質問は取り下げた。
「ごめん、実を言うと、俺はKanonに興味あるから」
「どっちの?」
「は?」
「っと、何でもない。どして?」
「どうしてって訊かれても…、。あー、答えられる範囲だったら教えて欲しいんだけど」
「ん、いいよ」
「Kanonって子供じゃない? 俺よりは下だと思う」
「子供」
 圭は目を丸くした。「なんで」
「なんでだろ。たまに、表現がストレート過ぎるっていうか、本音を隠しきれてないというか」
「あんた、面白いのな。売ってる歌は所詮、商品じゃん。本音も何も、作ってるやつは仕事だ」
「君が言うと重みがあるなー。でも、本心じゃないんだろ」
「ばれた?」
「文字による自己実現は人生の切り売りだと思ってるんだよね、基本的に。そういう観点で聴くと、子供なのかな、って───あ、悪い意味じゃない」
「ということは、俺がKanonだという可能性も有りか」
 面白そうに笑う。
「それは違うみたいだ」
「はっきり言うなぁ」
「なんとなく」
 そこで横やりを入れてきた声があった。
「こいつはKanonに傾倒してんのよ、昔っから」
 着替えを済ませて戻ってきた小林(香子…ってあーもう面倒くさい)が俺の隣に座る。
「それにあんたの勘は当てにならないじゃん、B.R.のボーカルも結局男だったわけだし」
「それを言うな」
 それは俺の人生の黒歴史。
 出かける時間だったので、その場を後にする。圭は「またな」と手を振った。殺人的に忙しいと聞く芸能人である圭とまた会うことがあるかは、ちょっと疑問。でも手を振り返しておく。
「最初の質問だけど」
 と、圭が声をかける。
「なんだっけ?」
「Kanonは俺達と遊びに行くことはないよ」
「…そうか」
「俺らが押しかけることはあるけどな」
「そうか」
 よかった。そう思えた。
 どこかでKanonの心配をしていた俺は、もしかしたら自惚れていたのかもしれない。
 Kanonの歌を唄う圭が、Kanonの気持ちを解ってないはずないのに。


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