キ/BR/PRE
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東京都**区─────。
「本当に久しぶり、キョウさん」
七月最後の日曜日。深夜のバーでグラスを鳴らした後、そんな挨拶をしたのは三十二歳の長壁知己だった。向かいに座るのは、簡単に説明すると「派手なオヤジ」であった。ちぢれた長髪を無造作に結んだ頭。ちなみに髪の色は黒のメッシュが入った金に近い茶パツ。顎を隠す髭。夜なのにサングラスをかけていて、アロハにも近い柄のシャツと膝までのズボンを履いていた。口元には常に不敵な笑みを覗かせていた。
「にしても、おまえも年とったよなー」
キョウ、こと石川恭二はガハハと愉快そうに笑った後、ウィスキーグラスを口に付けた。
「お互い様だろ」
こんな風に切り替えしがうまくなったのは、恭二の言う通り年をとったせいだろうか。
しっかり相手の誕生日を覚えていた知己は「先日、五十になったばかりのくせに」と付け足した。
「やかましい」
ゴン、と容赦なく拳が飛んできた。本当に容赦がなかったので知己は必死で避けた。
本気で当てようとしていた恭二は知己が避けたことにむくれて、バツが悪そうな顔で手を引っ込める。少し間を開けてから、からん、とグラスを鳴らした。
「でもまぁ、最後に会ったのは五年も前だしな」
サングラスの向こうの両眼が懐かしそうに笑う。
「…もう五年か」
恭二と違って、知己は笑うことができなかった。
まだ、笑えなかった。
「康男が死んでバンドが解散になった即座におまえは地元に引っ込んで、それ以来だもんな」
「嫌味?」
「そのとおり。…でもまあ、おまえが康男に心酔していたのは分かってたし。あのときの心痛は俺達も同じだったし、止める理由はなかったな」
バンドは事実上の解散。知己は詳しくないが、再結成を望む数多くの声があったらしい。
「キョウさん。結構派手に活躍してるみたいだな。たまにCDのクレジットで名前を見るよ。次郎さんも別のバンドでジャズやってるみたいだし」
「そうそう。省吾もプロデューサーなんてやってるしな」
くくっ、と不敵な笑みを恭二は返したが、それは途中で不自然に止まった。恭二は厳しい目つきで知己を睨み付けると、わざと低い声で言った。
「…おまえだけだよ。この業界から離れていったのは」
責める口調だった。
「……」
「聞いてんのか」
「………"彼女"は、元気でいる?」
突然、話がすっとんだ。しかし知己自身に話をずらそうという意図はなかった。
知己のあさってな方向の会話進行に恭二は苛めるのを諦めたのか、溜め息をついて肩をすくめた。
「ああ。時々『sing』って店で歌ってる。折角、こっちに来たんだ、会って行ってやれよ。おまえのこと、気にかけてた」
「…ああ」
「今、何やってんだ?
おまえの腕は正直惜しかったから、こっちで続けて欲しかったんだがな」
「地元で適当にやってる。もうブランク五年だ。腕だって腐ったよ」
「とにかく!
ウチの業界に入るならアイサツに来い。でないと苛めるぞ」
「…お手柔らかに」
知己には全くその気は無い。それでも穏便に交わそうと曖昧な答えを返した。
本当に、そういう気の回し方をするようになった自分は、年をとったと思う。
「この曲、気に入ったのか?」
「え?」
「おまえの癖。気に入った曲が耳に入ると、自然に指が机叩いてる。ドラムパートだけ、妙に正確に」
尊敬を通りこして呆れるよ、と恭二は笑ったが、知己は店内に流れるBGMに気をとられていた。
「…知らない曲だけど、なんだろ」
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