キ/コラボ/夏の日の
≪2/4≫
2. 日阪慎也
「え? 祐輔、行かないの? 来週の鎌倉」
日阪慎也(ひさかしんや)は目の前の旧友に向かって声を強くした。
目の前の旧友───山田祐輔(やまだゆうすけ)は、このクソ暑い日にコーヒーをホットで飲んでいる。貧弱な冷房の店の中、見ているほうが暑くなるハタ迷惑な注文(オーダー)だった。それなのに本人はいつもと変わらず涼しい顔で、視線だけで頷く。
「幹事には最初から断りを入れてありますよ」
「てっきり、行くもんだと思いこんでた。なにか用事でもあるのか?」
「もちろん仕事です」
音大時代に同級生だった祐輔は今はピアノ教室を営んでいる。この性悪に子供の相手が務まるのか甚だ疑問だったが、性悪であることと同じくらい器用でもあるので結構上手くやっているらしい。
それから同じく同級生だった男が留学先から帰国し、地元の鎌倉で小さな演奏会を開くという。それが来週の日曜日。同窓会もかねて集まろうという話になっていた。
「土日は教室(そっち)も休みだろーが」
「あれ。鎌倉の話も週末だったんですか?」
「おまえ、まともにメール読んでないだろ」
「安心しました。集まる十数人全員が平日の昼間から仕事もしてなかったら、同級生として気が滅入りますからね」
「おい…」
笑顔でキツイ物言いはいつものこと。慣れているつもりでも慎也は絶句してしまった。
「ていうか話を逸らすな。最初から行く気が無かったんだな? ただでさえ付き合い悪いんだから、こういうときくらい顔出せよ」
「すみません。夏場は出掛けるのが億劫なので」
「年寄りみたいなこと言うな」
「さすが年寄りが言うと重みが違いますね」
同級生といっても慎也のほうが3つ年上である。またも返答に窮したのは慎也のほうだった。
「……沙耶と予定があるとか?」
「だから、用事は無いと言ってるじゃないですか。…まだ、ね」
「じゃあ」
「暑いのは苦手なもので」
「だったらホットなんか飲んでんじゃねー!」
どこまで本気か判ったもんじゃない。なにひとつ本音など喋っていないのかもしれない。もしかしたら、慎也を相手に遊んでいるだけなのかもしれない。山田祐輔はそういう人間なのだ。
(俺、なんでこいつの友達やってんだろう…)
そう思うこともしばしば。
「大声出さないでください。閉め出されますよ」
誰のせいだ、と言いかけると、祐輔は窓の外を指で示した。「我らがお姫様たちの登場です」
店の外の通りを見知った2人が並んで歩いてくるのが見えた。元村(もとむら)沙耶(さや)と三高祥子(みたかしょうこ)。2人ともこちらには気付いていない。なにを話しているのか、楽しそうに笑い合っていた。と、思ったら、やはり祥子がこちらに気付いて手を振る。慎也はそれに応えた。
沙耶は慎也の実妹で、祐輔の恋人だ。そして祥子は慎也の恋人だった。沙耶と祥子を引き合わせたのは慎也だが、2人とも「社交能力」に関してはある意味欠陥があったので、こうして並ぶ姿を見るのは不思議な感じがした。
「あの2人があそこまで仲良くなるとは思わなかったな。とくに、沙耶は人見知りするほうだし」
「沙耶は他人に興味がないだけです。どちらかといえば、人見知りは祥子さんのほうでしょう」
「容赦ねぇな」
「違いましたか?」
「いや、合ってる」
やはり余所目にもそう見えるのか、と慎也は確認した。
祥子の人見知りは、彼女が持つ特殊な能力が一因となっていることは間違いない。2年にわたる付き合いのなかで、その能力が少なからず原因となったすれ違いや喧嘩もあった。それでも今もそばにいられるのは、お互いが寄り合おうと意識した結果だ。そしてそれはお互いの根幹にいる共通の人物のおかげでもある。それらの幸運に、慎也は感謝していた。
軽い挨拶のあと2人は席に着いて、そろってアイスティーを注文した。
「山田くん、早かったのね」
「私たちより遅いだろうって、話してたんですよ」
沙耶と祥子が笑い合う。沙耶の喋る速度は遅い。祥子と比べるとその異様さが余計目立つが、本人同士はウマが合っているようだ。
「来たのはついさっきです」祐輔はすまなそうな顔をして言う。「祥子さん、今朝は突然電話してすみませんでした」
「いえ、私も午前中は買い物する予定だったから。沙耶さんと色々回れて楽しかったです」
今日は昼食を4人でと、12時に集合予定だった。祐輔と沙耶は早くに落ち合う予定だったが、祐輔に急用が入ったのだという。
「私、慎也と会うのは久しぶりな、気がする」
沙耶が言った。
「そうだっけ?」
「お母さんがたまに訊いてくるの。慎也は相変わらずか、って」
沙耶は実妹だが両親が離婚したために籍は離れている。沙耶を連れて出て行った母親とも、そういえば久しく会っていない。
「そう、慎也は相変わらずの巡業生活ですよね」
「うるせーな。…あ、三高まで」
祐輔の冷やかしに祥子までも笑っている。
慎也の主な収入はピアノ弾きのバイトだ。バーやレストラン、大きなところではショッピングモールのホール、遊園地のイベントなどもある。都内だけでなく近隣の県も回って慎也は仕事をこなしている───つまり、巡業だ。
「それにしても、圏内とは言え、そんな転々とする仕事では、付き合ってる祥子さんも大変ですね」
さっさと見捨てても構いませんよ、という響きで祐輔が冷やかす。祥子は軽く笑って返した。
「そうでもないですよ。私のほうは時間に融通が利く仕事だから」
「でも、このあいだは休み取れなかったじゃん」
「あのときは長期の仕事が入ってたの」
その会話を聞いていた祐輔が口を開いた。
「祥子さんって、なんの仕事をしてるんですか?」
「確か、本屋のバイトはやめた…って」
「うん、本屋は辞めました。本業のほうが忙しくなったから」
「本業?」
祐輔が訊くと、祥子は少し迷った様子を見せた。
「調査事務所、のようなところです。説明が難しいんですけど」
「リサーチ会社?」
「ええと、研究(リサーチ)というよりは、代行とか仲介に近いかな。7人しかいない、小さな事務所ですよ」
沙耶も初耳だったのか、その話を聞いて首を傾げた。
「私、うまくイメージできないんだけど、所長さんとかいるの?」
「うん。最近はちょっと不機嫌なのが」
そう言って頷く祥子は何故だか楽しそうに見えた。犬猿の仲である「所長」が珍しく不調なことが小気味よいのだろう。
「阿達さん、なにかあったんだ?」
これは祐輔と沙耶はまったく知らない話になるので、慎也小さく尋ねた。
「最近、同じ依頼がいくつもくるって、イラついてるの」
「依頼って?」
「それは言えません」
祥子はやわらかい仕草で人差し指を立てた。これも仕事柄なのだろう、一線以上は喋らない、そういうところはしっかりしている。
その祥子がぴくりと反応して、ちらりと慎也を見た。 そのような挙動はもう日常のこと。なので、いつもなら2人とも流すところだが、目が合ったので慎也は読まれたことを素直に白状した。
「もうこういう季節だなぁ、と思って」
天井に指を向ける。
祥子は慎也の示すものに気付いたようで、あぁ、と相槌を打った。
「『B.R.』?」
店内のBGMに、ちょうど一年前に発売された曲が流れていた。『B.R.』はすでに夏の風物詩、多くの人がその存在を知る人気バンドだ。
「よくリクエストされるから、全部覚えちまった」
慎也もCDを買っているし、耳コピで弾いたりもする。指が自然に、曲に合わせてテーブルを叩いていた。
「うちの生徒にもいますよ。これ弾きたいって言ってくるコが」
と、祐輔。
「うちのオケでも、たまに話題になる。やっぱり今年も出てくるのかな」
『B.R.』は多方面に影響を及ぼしている。年に一度しか曲を出さないというのに世間での話題は尽きない。バンドメンバーが一切顔を出さないこともその一因だろう。
ふむ、と息を吐いて慎也は祐輔の顔を覗き込んだ。
「『B.R.』ってさぁ、実はおまえだったりしない?」
「違いますよ」
冷ややかに馬鹿にするような表情を向けられ、慎也は怒鳴り返した。「冗談だって!」
「───ぇ?」
と、その場に針を落とすような、小さく呟く声。
祥子は大きく目を開き、祐輔を見た。その視線に気付いた祐輔と目が合う。
「…ッ」
すぐに視線を外す。けれど遅かった。たとえ一瞬でも、目は口ほどにものを言う。
顔を逸らしても、祐輔の目がこちらを向いていることが判った。
(しまった)
と思ったのは、このときは祥子だった。
「どうした?」
「え…ぁ、…ううん。えーと」
慎也が声をかけると、祥子はあわてて言葉を探す。またなにか見つけたか、と慎也はとくに気に留めなかった。それ以上は疑問に思わなかった。
「そ、そう。雨が降りそうだな、と、思って」
「あ、本当。私、傘持ってきて、ない」
祥子の言うとおり、外は怪しい空模様になっている。祥子は不自然な挙動でその空を見上げていた。
まるで他のなにかから、目を逸らすように。
食事を済ませて席を立ったときのこと。
「───祥子さん」
祐輔の低い呼びかけに祥子は飛び上がった。「…な」
「なに? 山田さん」
一対一ではさすがに顔を背けるわけにはいかない。祥子はおそるおそる祐輔に向き直った。
「さっきの、冗談ですよ?」
苦笑混じりの表情。ただ声はそれと判るほど慎重な響きだった。
祐輔の科白は予測していたもので、祥子は胸を撫で下ろす。この場合の対応も用意していた。
「え? さっきの、って…なんでしたっけ?」
軽く笑って返すと、まるで表情が伝染したように祐輔の表情が動く。
笑顔で対峙する2人。しかしその場には言い知れない緊張感があった。
「どうかしたか? 2人とも」
慎也が振り返ると、
「な、なにも」
「なんでもありません」
祥子は祐輔を避けるように視線を落とし、祐輔はそんな祥子に射るような視線を向けていた。
≪2/4≫
キ/コラボ/夏の日の