キ/コラボ/夏の日の
≪3/4≫
3. 三高祥子
「……ばか?」
頬杖をついて上目遣い。史緒は呆れ切った様子で深い溜め息を吐いた。
事務所へ帰るなり、テンパりながら、しどろもどろに説明した後のことだ。
沙耶たちと別れた後、祥子は慎也と出掛けたけれど最初から最後まで上の空だった。送ると言ってくれた慎也の申し出を断り急いで戻ってきた。
「何年、それ、持ってるのよ」
「だ、だって」
「あとね、その話を私に聞かせてどうしろっていうわけ? そのネタを売れとでも? 特別手当でも出しましょうか? かつてないくらいイイお金になるのは確実だし」
「それはダメ!!」
山田は知られては困るだろうし、沙耶も慎也も知らないようだし、友達の隠し事を暴露するようなマネできない。
史緒は肩をすくめる。
「でしょう? ひとりで秘密を抱えてるのが苦しいからって、こっちに片棒担がせないで欲しいわ」
「ごめん…。でも、信用して言ったんだから」
信用?、と史緒は滑舌良く復唱し、きれいに笑って、芝居がかって言った。「その科白、私の目を見てもう一度言って」
それは無理。祥子は素直に視線を逸らした。
確かに、興奮のあまり史緒に漏らしてしまったのは自分の落ち度だろう。けれど、ここ数年、日本中を騒がせているものの正体、その糸口。大きな秘密ほど、抱えるのは苦しい。
「まさか本当に売る気じゃ…ないよね?」
「あのねぇ」史緒の声に怒気が灯る。「私は、B.R.の話なんか聞きたくないの。知りたくもないし、扱いたくもない」
「え…? あれ…?」
史緒の反応は予想外だった。祥子は途端に弱腰になる。
「どうして? 売ればイイお金になるんでしょう? だからって売られても困るけど」
「B.R.はもう、私たちが想像できないくらい大きな案件(ヤマ)なの。おおよそ情報屋と名のつくところは、どこも一度はトライしてるでしょうよ。それこそエサに群がるピラニア状態。そんなところで本物のエサを出してごらんなさい、喰われるのはこちらのほうだわ。目を付けられて、その後が遣りにくくなるだけ」
史緒は机に八つ当たりする勢いで吐き捨てる。
「B.R.の依頼の数にはうんざり。なにがイヤって、“できません”って答えなきゃいけないこと。腹立たしいのよ。さっさとどこかがカタをつけてくれればいいのに───って、思ってた矢先にコレ」
じろり、と睨まれる。史緒の苛立ちが伝わって祥子は一歩退いた。
「で? どうするの?」
「どうするって…」
そうだ、山田は勘付いている。確信まではなくても疑惑は生まれていた。今日、B.R.の話題が出てから別れるまで、山田はこちらを注視していた。
(次に会うとき、どんな顔で会えばいいの!?)
「どうしよう…?」
期待の目を向けてみるが、史緒は笑いながら拒否を口にした。
「さっきの話は聞かなかったことにするわ。あなたの友人関係は知ったことじゃないし、ともかく私を巻き込むのはやめてね」
「薄情もの〜…」
「なにを今更」
ふと、祥子は振り返る。
「なに?」
「誰か来た。お客さん?」
「今日はもう予定はないはずだけど」
史緒が言い終わらないうちにノックが鳴った。祥子が知覚してからドアが鳴るまでが予想以上に短かった。対象者は走ってきたのかもしれない。
コンコン
しばらく目を合わせた後、史緒は顎をしゃくってドアを示した。この場にあっては史緒は祥子の上司だ。既に染みついている役回りで、祥子はドアを開けた。
「はい」
と、仕事(ビジネス)用の声と表情で客を確認───…すると、心臓が飛び跳ねた。「き」
「キャーっ!!」
「祥子さん」
腕を掴まれる。
「や…山」
そこにいたのは山田。山田祐輔だった。
「どうしたのッ?」
祥子の悲鳴を聞いて史緒は腰を上げる。ドアに隠れた来訪者が不審人物かと危機感を持ったのだろう。祥子は誤解を解くために、首を振ってみせた。
「ち、ちがうちがう。この人は慎也さんの友達」
「なんだ」
史緒はほっと息を吐いて椅子に座り直した。(「なんだ、つまらない」と聞こえたのは祥子の気のせいのはずだ)
山田は一歩進んで事務所に足を踏み入れた。後ろ手でドアを閉める。祥子の腕は掴まれたままだった。
「あの、ど、どうしたんですか? 山田さん」
平静を保とうとしたが声が裏返ってしまった。山田が射るような視線を向けてくる。祥子は5秒と保たず目を落とした。これでは後ろめたいことがあると言っているようなものだ。
「あぁ、さっきの…」
状況を察した史緒が言うと山田に緊張が走る。祥子は史緒を睨みつけた。けれど史緒は知ったこっちゃないと言わんばかりに肩を竦める。
山田が深く息を吸った音が聞こえた。おそるおそる顔を上げると、山田は祥子に文庫本を差し出した。
「これ、沙耶から」
「え?」
意気を削がれて力が抜けた。
そういえば今日、沙耶と約束した。次に会うときに貸してくれる予定だった本。山田に渡された文庫本はそのタイトルのものだった。わざわざ持ってきてくれたのだろうか。
「あ、ありがと」
史緒が盛大な溜め息を吐いた。
「…祥子。いい加減、懲りたら?」
「え?」
「文庫本(それ)はカモフラージュ。もしくは間を埋めるための小道具。あなたの反応を見に来たのよ」
「えっ!?」
山田はそれと判るほど表情を歪めて史緒を見た。
本来、山田は人の良さそうな表情を崩さず、余裕が有り、取り乱すことがない人間だ。わざと刺々しい言葉を選んだり、挑発的な物言いもするが、それだって己を崩さず相手をコントロールしているに過ぎない。───だから、祥子の能力に触れることなど今まで無かったのに。
今日、B.R.の話題が出るまでは。
だからこそ分かってしまう。山田にとってのB.R.の重要性。危険を冒してA.CO.(ここ)まで来た理由も。
「とりあえずその手を放してください」
史緒に言われて気付いたのか、山田はやっと祥子の手を放した。血流(けつりゅう)が再開されたような開放感があった。すみません、と小さく山田が言った。
「……」
やりにくいな、と祥子は手を撫でながら思う。
これが知人ではなく、慎也の友人ではなく、沙耶の恋人ではなかったら、もっと気楽でいられた。史緒に任せておけば程なくして来訪者を退場させただろう。でも山田は祥子にとって仲の良い知人で、この先も付き合っていく友人でもある。禍根を残したくない相手だ。
(そのへんのところ、考慮してくれてるかな〜)
史緒のほうを窺(うかが)うと、その横顔はやりあう気満々だ。───期待できないかもしれない。
窓を背にする机と、廊下側のドア。部屋を二分(にぶん)する位置で、史緒と山田はお互いの目から意図を吸い出そうとする。しかし優劣は明らかだ。
「なにを知っているんですか」
山田は慎重な声で言った。
「あなたが知られたくないことを」史緒は口端に冷笑を浮かべる。「苦しいですね。何を知られたか見当はついてるのに、確証はないから自分からは迂闊に口にできない。かといって真偽を確かめずに弱みを握られるのも滑稽な話です」
「史緒」
「なによ。もともとは祥子のせいじゃない」
「だって、B.R.よ!? びっくりしちゃって…───あ」
失言に気付いたが既に遅い。
「馬鹿」
史緒は額に手を添えて天井を仰ぐ。今度は疑問形ではなく確定、しかも漢字だった。
「度し難いとはこのことね…。その軽率さは査定に響くわよ」
「そんな」
仕事とは関係無いじゃない、と言い訳しようとしたが、現状において重要なのはそんなことではない。
「どうして…」
困惑の表情で山田は史緒と祥子を見比べた。
どうして分かったのか、と。
「あ、あの…」
祥子はなにかを言い掛けるがその後が続かない。その代わり、祥子の科白を埋めるように、かたん、と音がした。
史緒が椅子から立ち上がる音だった。
机を回り込んで、その端に浅く腰を掛ける。
「遅ればせながら…私は阿達といいます。ええと、山田さん? …運が悪かったですね。このコは、少しばかり勘がいいんです。Y/N(イエスノー)回答の真偽ならエラーはありません」
山田は疑惑の目で祥子を見た。それ以上の説明はしたくないし、史緒にしてもらいたくもない。だから問われる前に祥子は降参を示した。
「あの、心配しないで…ください。なにがあっても、ばらさないから」
史緒がぼそっと横槍を入れる。「私に喋ったくせに」
「どっちの味方なのっ!?」山田さんの前で余計なこと言わないで、と泣きそうになる。
「祥子の味方って、決まってるわけじゃないでしょ?」
史緒は相変わらず知らん顔だ。
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