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 三高祥子にはどこか不思議なところがある。
 と、慎也は何となく感じていた。

 慎也はこんな風に言ってみたことがあった。
「三高って何か、猫みたいなとこあるな」
「猫?」
「突然顔上げて、周囲を見回すの。何か聞える?」
「───」
 こういう質問をすると、決まって祥子は笑ってごまかす。もしくは、顔を曇らせて視線をそらす。
 何故だろう、と思ってもそんな顔をされたら質問できるはずもない。
 そういうわけなので、「不思議なところがある」としか認識できないでいるのだ。

 本日の待ち合わせはS駅中央改札口前。慎也は出かけに手間取ってしまい、待ち合わせ時間ちょうどに到着することになってしまった。祥子は時間に正確なので、きっと、先に来ているだろう。
 大型連休に入った学生達がひしめき合っている駅構内。いつも通りと高をくくっていたこと、これも遅れた原因の一つだ。家族連れや小中高生の一団。その中を縫って歩くサラリーマンが気の毒でならない。
 慎也は、人波の中、待ち合わせ場所に立つ祥子を見つけた。いつものバイト帰りとは少し違う、可愛い(というより綺麗)な服装で、窓口のすぐ横の壁に背を預け、俯いていた。
 慎也は少し思うところがあり、ゆっくりと祥子に近づいた。祥子はまだこちらに気付いてない。
 しかし。
 突然、祥子はぴょんと顔を上げて慎也をまっすぐ見つめた(見渡しもしなかった)。まだ距離はある。俯いていたにも関わらず、二人の間には、絶えず群集が横切っていたのに、まるで慎也が近づいたことが分かったように。
 慎也の姿を目に止めて、笑った。
(やっぱ…、不思議だよなあ)
 視線を感じる力は誰にでもある。けど祥子の場合はそれだけでは説明できないような正確さがあるのだ。
 初めのうち、耳がいいのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
「ごめん。遅れた」
「ううん。こっちもさっき来たばっかりだから」
 今日は一緒に映画を見に行く。
 慎也は貧乏学生であるが故に金と時間はあまり無い。けれど今日は学校が夏期休暇に入ったので時間は沢山できて、さらに慎也の好きな小説が映画化されるというので生活費に特別予算(笑)を組み込ませてあったのだ。
 祥子は映画をよく見ているようだが、いつも一緒に行っている友達が試験前で誘うことができず、こうして二人のスケジュールが合ったというわけだ。
 公害的混雑の為、駅から外へ出るだけでも一苦労だった。慎也は祥子の手を引いて、人波を掻き分けた。
「───いた」
 唐突に、祥子は呟いた。
 本当に前触れ無く、しかも脈絡も無かったので慎也は「は?」と返す外無かった。
 祥子の顔には安堵からくる喜びが表れていた。
「ごめんなさい、ちょっと待ってて」
 そう言うと、慎也の手を離し、祥子は人の壁の中を割って入っていた。
「おい、三高っ」
 人波に潰されるのではないかという心配と、何よりはぐれてしまいそうだったので慎也は祥子の後を追った。
 人口密度がほんの少しだけ減少した壁際。祥子は一人の女性に声をかけた。(知り合いなのか?)と慎也は思った。
 その女性は何やら不安と焦燥が表情に表れていた。それは慎也にも分かった。
 祥子はこう言った。
「あの、もしかしてお子さんが迷子になってるんですか?」
 突然、見知らぬ人間に、そう声をかけられた女性は目を見開いた。はじめは訳が分からなかったようだが、祥子の笑顔に安心したのか、こくりと頷く。
「え、…ええ、はいっ。そうなんです」
「駅員さんのところに預けられてるみたいですよ。そこの窓口のところ。放送連絡もしてたんですけど、この雑踏で聞こえなかったんでしょう」
「本当っ? あ…ありがとうございますっ」
 泣き出しそうな顔で女性は頭を下げると、慎也たちが待ち合わせ場所にしていた駅員窓口のほうへ走っていった。
 きっとこの混雑の中、子供とはぐれてしまいどうしようかと慌てていたのだ。
 その女性の後ろ姿を見送って、祥子は満足そうに息をついて、踵を返した。
「…わっ」
 すぐ後ろに慎也が立っていたので祥子は飛び上がって驚いた。
「どっ、どうしたの日阪さん」
 映画始まっちゃうよ、と、慎也の腕を引き、先を促す。
「よくあの人が子供を捜してるって分かったなー」
 素直に、感心して慎也は言った。自分たちと、あの女性との距離はけっこうあったと思うけど。
 祥子は何故か、微妙に視線を逸らせて、気まずい表情をした。
「迷子の放送なんてしてたっけ?」
「その放送は3回くらいしてたよ」
 やっぱり祥子は耳がいいのかもしれない、と慎也は思った。
 が、祥子は駅員室に迷子がいると知っていたから、その放送を意識的に聞くことができたのだ。そうでなければ慎也や先程の女性のように、構内放送など耳まで届かなかっただろう。
 祥子はその放送を聞いていた。それは事実だ。駅員室に迷子がいること、それからさっきの女性が迷子を捜していたことが祥子に分かったのは、また別の問題であるけど。
「───…私、勘がいいって、よく言われるの」
 前髪を掻きあげて、祥子は苦笑した。そして、
「その勘の良さを役立てられたらって、いつも、心がけてるんだ」
 と、言った。
 その横顔には強い意志が感じられた。祈り誓うような、力強さがあった。
 慎也はその横顔を見つめていた。
「…何かよくわからないけど」
 そう、どうも祥子の不思議なところや不可解な言動、勘がいいということについても、自分はまだ何も知らないのだろうけど。
「えらい」
 ぽつりと呟いて慎也は祥子の頭を撫でた。祥子は目をパチクリさせた。
 本当に、心から感心してしまった。自分の能力をよく把握していて、それを役立てようとする心持ちは立派だ。役立つ能力を持っていることがすでにすごい。
 慎也は自分のことについて考えた。一度就職した会社を飛び出して、ピアニストになるという漠然とした夢の為に、今は音楽学校に通っている。果たしてこれは、将来、誰かの為になるのだろうか? 何か周囲の役に立つのだろうか?
「三高は偉いなー」
「やだ、日阪さんたら」
 頭を撫でられて、祥子はくすくすと笑った。
「三高、やりたいこと探してるって言ってただろ? その勘の良さを使えることにすれば?」
「……」
 祥子は黙って微笑んだだけだった。
「日阪さんは、私のちからを分かってないよ」
 とは、言えなかった。
 しかし祥子自身、将来のやりたいことを探していたものの、このちからを使おうなどと夢にも思ってなかった。慎也の言葉に(そうか、そういうことも有りか)とさえ思っていた。
 一方、慎也のほう、目の前に立つ人物に更なる興味を覚えていた。
 もっと知りたいと思った。三高祥子について。
「三高、今度の8日、暇?」
「え?」
 慎也の申し出に祥子は手帳を取り出し、確認して言った。
「今のところ予定はありませんけど」
「うちの店で貸切パーティあってさ。三高も来ない?」
「貸切パーティ?」
「と、言っても俺はBGMのバイトのほう。たまにピアノ弾くだけで、余った時間することもないし、三高がいてくれたらいいなーと思って。俺が演奏してる時は暇にさせちゃうけど、可憐さんもいるし」
 どう? と祥子の顔を覗きこんだ。
 その仕種がなんだかかわいく見えて、祥子は笑いながら頷いた。慎也はパチンと指を鳴らした。
「じゃあ、一応、チラシ持っていく? 帰りに俺ん家寄ってくれれば渡せるけど」
「日阪さん家?」
「そう。大崎の駅近く。あと、三高がこの間言ってたCDもあるよ」
 そんな会話をしていた矢先のこと。
「慎也」
 すぐそばから、自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
 人波に目を走らせると、よく知った人物が二人、近寄ってきた。一見してカップルと分かる二人に、慎也は手を振った。
「よ。偶然だな」
「夏休みに入ってまで会うとは思いませんでしたね」
「私も。少なくとも一月は会わないだろうって思ってたのに」
 男のほう───やたらと言葉遣いが丁寧なこの人物は山田祐輔という。
 女のほう───表情に動きがないくせに、口は辛い、こちらは本村沙耶だ。
 二人の嫌みったらしい台詞を聞いて、慎也は刺々しく言った。
「俺も、おまえらと会うとは思わなかったよ。だいたい祐輔、おまえ帰省したんじゃなかったっけ?」
 確か彼とは、先日「休み前の顔の見納め会」と銘打って飲みに行ったはずだ。
 祐輔は殊更めく沙耶の肩を抱いて言った。
「沙耶とデートしない、とは言ってないでしょう? ───それにしても」
 祐輔は、慎也のとなり、祥子に視線をうつした。
「珍しいですね。慎也が女性同伴というのは」
「山田くん、ほら、例の…」
「ああ。この人が噂の慎也と付き合ってる美人≠ナすか」
 わざと区切って言ったのは、そういう噂があることを祥子に聞かせる為だ。
「おまえなーっ」
 祥子は祐輔の発言に驚いているようだった。「噂の」とはどういうことだろう、と。
 少し前になるが、可憐の店で祥子と会っているところを沙耶に見られていたらしい。それがそのまま祐輔に伝わって、「休み前の顔の見納め会」の時も慎也はそれをネタにからかわれたばかりなのだ。
 さらに慎也は、祐輔に「彼女とは付き合ってるわけじゃない」という失言をかましてしまい、今度は片思い(?)をネタにからかわれることになった。
「三高、この二人は、俺の友達、と妹」
「どうも。山田祐輔です」
「沙耶です」
「あ、三高祥子です」
 それぞれが名乗ると、慎也はちょっとごめん、と言って祐輔と何やら言葉を交わし合っていた。学校のことらしい。

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