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 気を遣ってくれたのだろうか、沙耶が話しかけてきた。
「慎也、迷惑かけてない?」
「いえ、私のほうこそ、いつもお世話になってるんです。…あの、沙耶さんは日阪さんの妹さん、なんですか?」
「そう。正真正銘、きっちり血のつながった妹。そしてあっちが、慎也と同じ大学でクラスメイトの、親友。…っていうより、悪友、かな」
 と、沙耶は連れの男性───祐輔を指差した。
「でも気を付けてね。山田くんは私以外の気に入ったヒトには、すごく、イジワルだから」
 沙耶のその台詞に、二人が仲の良い恋人同士だということが伝わってきて祥子も微笑んだ。
「沙耶、聞こえてますよ。───ところで慎也、8月に特別講義があるのは知ってますよね」
「えっ、…あっ、忘れてた。それって何日だっけ?」
「8日です」
「げ。嘘っ」
 その日はちょうどバイトが抜けられない日だった。先程祥子にも言った通り、貸切パーティのBGM係をすることになっている。
 慎也は少し考え込んでから、がしっと祐輔の両肩を掴んで言った。
「祐輔、悪ィ」
「何です?」
「代返頼む」
「了解しました。見返りは考えておきます」
「たまには代償無しでやれって」
「無償の親切は、後の借りになるだけです。利子を付けたいならどうぞ」
「ひでぇ」
 友人のあんまりな台詞に慎也は口を歪ませた。「おまえはいつもいつも〜」と始まった抗議にも彼はそこ吹く風だ。その隣で沙耶は肩を竦めた。
「こういう人なの」
 沙耶が眉尻を下げて耳打ちする。祥子は自然と笑顔がこぼれた。
「ええ。いい人ですね」
 は? と。慎也、祐輔、沙耶は目を見張って振り返った。
 祥子の笑顔は皮肉ではない。




 3人の視線を一斉に浴びた後で、遅まきながらも祥子は慌てた。
(しまったっ)
 咄嗟に口元を両手で塞いだ。が、勿論それで発言がひっくり返せるはずもなく。
 ───確かに、祐輔の台詞はちょっとキツいものだった。
(…でも)
 祥子は横目でそっと見た。慎也の友人、沙耶の彼を。
 丁寧な口調でひどいこと言ってる。でもその本心は。
 伝わってくる。
 天邪鬼というか素直じゃないというか。この彼も相当複雑な性格のようだ。
 それなのに文句を言っている慎也も、そして沙耶もそれを分かっているみたいだし。
 3人のことを、良い関係だな、と思って、「いい人ですね」と言ってしまったのは、ごく自然な流れなのだけど。
 祐輔の台詞から、初対面の人間がそれに気付くことはまずないだろう。
 久々の大ポカだった。
 祥子はどうにかその場をごまかすのに苦労した。

 人と関わるのは大変だ、と思った。
 それから、A.CO.メンバーの存在の貴重さも、再認識した。




1-8
 映画を見て食事をして、その帰り。慎也の家へ寄ることになった。実家を離れて一人暮らしなのだという。
 慎也の家は2階建ての木造アパートだった。駅から徒歩10分程度。
 その、201号。
 カンカンと足音が響く鉄の階段を昇る途中、先を歩く慎也が言った。
「あんまり軽々しく他の男の部屋に入るなよー」
「日阪さんが寄れって言ったんでしょ」
 何気なく言った台詞が、可憐の店で二人がよく交わす会話と重なり慎也は軽く吹き出した。
「てきとーに座ってて」
「はーい」
 三和土を上がると、すぐに台所。間取りは1Kで、6畳間が奥に続いていた。
 慎也は冷凍庫から氷を取り出していた。意外…と言ったら失礼かもしれないけど、シンク周りがきれいに片づけられている。祥子は部屋を見回しながら、奥へと足を運んだ。
「わぁ…」
 部屋に入ってまず驚いたのは、壁一面を埋めるスクラップの数々。新聞や雑誌の記事の切り抜きが、壁に直にピンでとめられていた。その中には縮小コピーした楽譜もあった。慎也は結構マメな性格かもしれない。
 そのスクラップの数に目を丸くしながらゆっくりと、祥子は足を踏み入れた。
 ベッドとテーブルと、テレビとオーディオ、本棚、それから小さなキーボードが一つ、6畳間にひしめき合ってた。楽譜が書かれた本がいくつか散らばっているが、その他はきっちり片付けられている。
「結構…きれいにしてるんですね」
 やっぱり意外そうな声で響いてしまったのか、台所から慎也の笑い声が聞こえた。
「散らかってたら上げないよ。でも、俺って片づけ癖あるから。実家が男所帯だったせいもあるけど、放っておいたらすぐに足の踏み場がなくなるし」
「男所帯…って、沙耶さんは?」
 今日、街中で出会ったカップルの一人。慎也の妹だと言っていたのに。
「うちの親、かなり昔に離婚してるんだ。母さんが沙耶を連れて出てってからは親父と男二人。母さんのほうは他の男とすぐに再婚して、沙耶とは名字も違うよ」
 と、あっけらかんと言う。
「はい、オレンジジュースで構わなかった?」
「あ、ありがとうございます」
 テーブルに合い向かいに座った。改めて部屋の中を見渡すと、慎也に丁度良く馴染んでいるように感じた。
「さらに俺が家を出たから、親父は一人なんだけど、最近は彼女がいるみたいだから、ま、淋しくもないだろ」
「沙耶さんとは、結構会ってたんですか?」
「ほとんど会わなかったな。親が離婚したのは俺が11歳の時だから、24歳になるまでの13年間で数回しか会わなかった。で、どういう因果か、今、沙耶とは学校が同じなんだ」
「え!」
「本当に偶然。入学式で顔を合わせた時はお互い目を丸くしてたもんな。それでも学科は違うからいつも顔を合わせるってことは無かったんだけど、今度は沙耶が俺の友達───ほら、今日会った祐輔、と、付き合うようになって、何故か今では3人でツルむ間柄になってしまっている」
 何故だろう、と眉間に皺を寄せる慎也を見て、祥子も笑った。
「三高のほうは?」
「え」
 何を尋ねられたのか、咄嗟に分からなかった。
「阿達史緒さんと、それから篤志って人とは会ったけど。いつから知り合いだったの? 他にも仲間がいるわけ?」
(仲間……?)
 祥子にとって何となく抵抗感のある言葉なのだが(単に、あの連中をストレートに「仲間」と言えない僻者…)すぐに否定できない自分が悲しい。
 ぽりぽり、と頭を掻く。
「…私、高校卒業するまでずっと友達いなくて、いつも孤立してるような子だったんです」
 慎也は首を傾げた。これは尋ねたことの回答になるのだろうか。
「そうは見えないけど」
 慎也はそう返した。祥子は苦笑する。
 それが本心かどうかは怪しい。慎也と知り合ってからの短い間も、祥子は十分、人との付き合い方を知らない非社交性を見せ付けていたはずだから。
「ずっと、一生、そういう風に生きていくんだろうなって、思ってたんですけど、高2の冬に史緒と知り合って、少しづつ、変わっていった、かな、と。史緒とは昔から喧嘩ばかりで、折り合い悪くて、………だって、すごく性格悪いし、悪巧み働くし、頭がキレるからさらに質悪いし」
 いつのまにか祥子は手の平を握って、語調が強くなっていた。そんな祥子の力説を聞いて、慎也は口元を歪ませて苦笑する。
「…でも、尊敬すべきところと、感謝すべきところもあるし。───憎たらしいけど、付き合わずにはいられない相手」
「素直じゃないなぁ」
 ついに慎也は声をたてて笑い出した。祥子は口を尖らせて、
「それも、自覚はあるんです」
 と言った。
「それから篤志と、他に4人、長く付き合ってる人達がいます。…そうですね、やっぱり、昔では考えられないことだな」
 5年間も付き合ってる仲間がいること。
 それから、その本音を、こんな風に話せる男の人がいることも。
 昔の、いつも一人で孤立していた頃の自分からは想像もできないだろう。
「良かったな。史緒さんと出会えて」
「───…」
 祥子は答えに迷った。
 でも自分の本当の気持ちは、もう分かってる。やっぱり史緒本人の前では言えないけれど。
「ええ」
 と、祥子ははにかむように笑った。
「あ、チラシとCDだったよな」
 祥子がここへ来た本題である。慎也は本棚からファイルを取り出し、目的のものを探し始めた。
 祥子は一息ついて、壁に貼られたスクラップに目をやった。
 ものすごい数。それのほとんどの記事は紙の色が黄ばんでいた。どうやら古いものが多いようだ。
 記事の見出しから、それらが音楽関係のものだと分かった。
《審査員、絶賛。》
《音楽界期待の新鋭!》
《7歳の少女、その音楽性》
 などなど。
《神童、光臨》
 などという、ちょっと笑ってしまうような仰々しいものまである。
 祥子は音楽界のことはさっぱり分からないが、見出しを読む限り色々と事件があり、大変な世界らしい。(それとも報道が大袈裟なだけだろうか?)
「……?」
 ふと、祥子はひっかかるものを感じた。
(なに…?)
 祥子は記事の内容は読んでいなかった。ただ目を走らせていただけだ。
 それだけなのに、視界の片隅に、知っている単語が映ったのが分かった。
(なんだろう?)
 何という単語なのかもすぐに分からない。でも知っている文字が視界に入って、一瞬だけそれを見た。
 祥子はそれが何なのか気になり、一つの記事に当たりをつけ、その内容を読み始めた。
「!」
 答えはすぐに分かった。

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